
tenjuu99(天重誠二)
@tenjuu99@hollo.tenjuu.net
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読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など いろいろ雑につぶやいています SPACE NOBI というアートスペースやっています
- SPACE NOBI
イスラエルにおける思想教育はどういうものなのか、と最近ちょこちょこ考えていたのだが、昨日イスラエル出身のイラン・パッペのインタビュー動画がお勧めにあがってきて、「イスラエルは1980年頃まではユダヤ人国家と西欧的民主主義の両立をするという体裁だけは維持しようとしていたが、右派の台頭と共にそれを捨ててしまった。」と言っていた。
ユダヤ人至上主義とイスラエル一国主義の思想教育が徹底するようになり、それで育った世代が国の中枢を握るようになっている、と。
ソ連陣営の崩壊は、イスラエルにおいては少数のキブツ的社会主義だけではなく、ユダヤ至上主義の強化に向かってしまったという事なんだな。
私が小学生の頃は、サヨクのひとたちでキブツを体験するためにイスラエルに行く、という話を聞いたことがあったのを思い出した。
元始女性は太陽だったのか?行っとかないとな https://www.tokyoartbeat.com/events/-/In-the-beginning-Womankind-was-the-sun-Werent-we/kotaro-nukaga-three/2025-05-17

tokyoartbeat.com
「元始女性は太陽だった」のか? (KOTARO NUKAGA Three)
KOTARO NUKAGA Threeで開催。「『元始女性は太陽だった』のか?」は、日本という国家が歴史的に、あるいは現在進行形で女性の身体とセクシュアリティをどのように管理してきたかを問う展覧会です。本展はニューヨークに拠点を置く非営利団体ap
レビューや本人のブログ記事とか読んで行って(事前に読んでいてよかった)、フェルトの作品を観た後に動画を観るとばあって繋がってちょっと興奮してる。ほんとにタイトル含めて。
羊を食べながら余韻に浸る夜……
羊酒家 - 新鮮なジンギスカンの店
https://ggs4000.gorp.jp/

ggs4000.gorp.jp
羊酒家
小平エリアの新鮮なジンギスカンの店、羊酒家のオフィシャルページです。お店の基本情報やメニュー情報などをご紹介しています。
このレビューを読みつつ現地に向かって、鑑賞して来た。いい体験だったと思う。あんまりタイトル気にしないタイプなんだけど、タイトル込みで楽しむ作品群だなって思った。
この穴の中で: 渡辺泰子「We are tilting.」について(レビュアー: 天重誠二) | SPACE NOBI
https://space-nobi.net/articles/2025/in_this_hole

space-nobi.net
この穴の中で: 渡辺泰子「We are tilting.」について(レビュアー: 天重誠二)
渡辺泰子のこれまでの仕事を振り返りつつ、「We are tilting.」における新作について考察しています。
体温調節機構バグってしまった
ART Collectors って刺激的な特集するわけじゃないんだけど、地味に現状を丁寧に拾ってるんだよなぁ。 https://amzn.asia/d/j3e1xq5
amazon.co.jp
ARTcollectors'(アートコレクターズ) 2025年 6月号 | 生活の友社 |本 | 通販 | Amazon
https://www.queerarthistory.com/queer-methods/ queer art history にとってふたつの方法があり、ひとつは queer content の収集で、もうひとつは queering。queer content の収集は、ホモセクシュアルであったりレズビアンであったりトランスジェンダーであったりというのが自明であるものの調査で、queering はその関係が自明じゃないのにクィアに読めてしまう、もしくはそのように読んでいく実践。整理としてわかりやすい。
queerarthistory.com
Queer Methods
Sitting down to write this page, I knew that I wanted it to read like a letter. A letter from my queer heart to yours. Often when people start talking about “methodologies” and “t…
こういう視点はカトリック的なものが隠蔽してきているはずで、美術史的言説の構築においてキリスト教的なものがどう機能してきたかとか洗いなおしてみれば、その言説の性規範性もわかってくるのではないか。すごい適当なこと言っている。 https://note.com/digicreatorito/n/n16768ad2f911

note.com
ミケランジェロの芸術からにじみ出る同性愛。|DigitalCreator
米国のMedium Daily Digestは2020年10月05日に、カムナ・キルティ(Kamna Kirti)による美術の歴史「Homosexuality oozed through Michelangelo's art(ミケランジェロの芸術からにじみ出る同性愛)」について、バチカンは、このゲイ・ロマンスを知られたくないようだと報告している。 ミケランジェロ・ディ・ロドヴィコ・ブオナローティ・シモーニが(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni)生まれたのは、今から5世紀以上前の1475年03月06日のことである。 若い頃の彼は立派な大
パノフスキーをクィアに読むって、そもそも彼の主要な対象のルネサンスの新プラトン主義とかが同性愛的性格ありそうだし、ミケランジェロをクィアに読むとかふつうにできるだろうし、そういう知識をパノフスキーが持っていないはずもないから、ぜんぜんありそうだな。やる人はいなそうだけど...。 https://hollo.tenjuu.net/@tenjuu99/0196e4a4-49ec-755c-a96a-072e7d8cb441
hollo.tenjuu.net
図像解釈学の性規範性みたいなものまで視野に入るとおもしろくな…
図像解釈学の性規範性みたいなものまで視野に入るとおもしろくなるんだろうけど(パノフスキーをクィアに読む!)、そこまでやってそうには思えないんだよな。むしろ図像解釈学の復活によってMoMA的な「抽象」を批判できるから結託しているというか、それが相互に中途半端なものにしているように感じる。その「MoMA的抽象」批判じたいがすでに古く感じられるから、語りにくさがあると感じる人がいるのではないだろうか。
図像解釈学の性規範性みたいなものまで視野に入るとおもしろくなるんだろうけど(パノフスキーをクィアに読む!)、そこまでやってそうには思えないんだよな。むしろ図像解釈学の復活によってMoMA的な「抽象」を批判できるから結託しているというか、それが相互に中途半端なものにしているように感じる。その「MoMA的抽象」批判じたいがすでに古く感じられるから、語りにくさがあると感じる人がいるのではないだろうか。
この記事を引いた早尾貴紀先生のFBの投稿が重要だったので全文転載します。
(早尾貴紀先生の投稿)
「パレスチナ・ガザ住民、半数が他地域移住を希望」、まさにこれこそがイスラエルの狙い。
虐殺と飢餓で極限まで追い詰めて、追い詰めて、追い詰めて、最後に「死か移住か、どちらか好きな方を選べ」と迫る。そこで「移住」を選べばそれは「自発的選択」と言われる。
(1948年のナクバについても「自発的避難」と言われてきたことを思い起こそう。)
国際社会は、善意で支援として移住のサポートをする、費用を負担する。
イスラエルは「ジェノサイドも追放もしていない」と言い張る。イスラエルは何も費用を負担しない。
そうしてイスラエルは更地化したガザ地区を手に入れる。
その同様の手法で西岸地区も一掃することに着手する。
何度も書いてきたけれど、これは、2023年10月7日の前から検討されてきた既定路線だ。
サラ・ロイは、2008年12月の大規模ガザ攻撃の直前にこう警告していた。「ガザ地区が陥落すれば、次は西岸地区の番だ」と(サラ・ロイ『ホロコーストからガザへ』青土社)。
https://jp.reuters.com/world/mideast/M5GIGTAA4FORZLRSZQYEBLSQR4-2025-05-07/?fbclid=IwQ0xDSwKIpEtleHRuA2FlbQIxMAABHhDPDfcN-XD3wNCeO8f0s6Q4PpYUnncCe1rppWRZcNQfX9rLe6P8wfmI9xsR_aem_0oR4xPNRbnxMk1gSeCOJ6g

jp.reuters.com
パレスチナ・ガザ住民、半数が他地域移住を希望=調査
パレスチナ自治区ガザの住民の約半数が、他地域への移住をイスラエルに申請したいと考えていることが、6日公表された調査結果で明らかになった。
わかったけど、カタツムリはサイボーグフェミニズムにひきつけて考えればかなり整理できそうだな。男性でも女性でもないものとしてサイボーグのメタファーをもちだすのとおなじ仕掛けで、カタツムリが解釈されているんだ。
矛盾しているかどうかはそんなに気にしていないんですが、「性のアサインが固定的ではない」は、ユリア・フォスは社会構築主義的な理解をアフ・クリントにあてはめ、そういう理解は可能だとおもう。ただ、そこから現代の性別二元論の克服の象徴としてカタツムリの雌雄同体性を取り上げると、んーそうなんだっけ?みたいなのと(身体的性差の問題って現代的な議論の枠組みにおいて雌雄同体みたいな話になる?)、ヒルマ・アフ・クリントがカタツムリを通じて何を思考していたかが単純に抑圧されているように感じる。
ユリア・フォスインタビューでは「性別は単純な二元論に基いているのではなく、異なる要素が混ざり合っているという認識」と述べられ、性のアサインが固定的ではないと主張しているとおもうけど、これが現代的な観念だというのはわかる(「混ざり合っているという認識」が現代的かどうかはわからないが)。ただ、ここからインタビュアーはカタツムリの雌雄同体にいっちゃうけど、カタツムリの雌雄同体性ってそもそも身体の性の話ですよね。身体的な性差があるからこそカタツムリの雌雄同体がなにかの象徴になる。この雌雄同体への志向には若干の気持ち悪さを感じるんですよね。ほかにも精子と卵子を描いてたりすることにも気持ち悪さを感じるけど、この気持ち悪さみたいなのがなんなのかは自分はいまいち説明できない。
アフ・クリントの二元論性は自明なような。W=女性、U=男性という図式的理解は本人が書いているもので、そこからWU=両性具有もしくは雌雄同体という図式があるので、だいたいの論者はアフ・クリントの二元論を前提としているのでは。アフ・クリントでは原初の混沌が螺旋として描かれ、その螺旋の展開としてカタツムリ(雌雄同体)というモチーフを持ち出すのだから、カタツムリ=雌雄同体は原初の混沌の象徴として描かれている。そうすると男女という性差は、混沌から秩序への発展として現れているはず。
図像解釈学の性規範性みたいなものまで視野に入るとおもしろくなるんだろうけど(パノフスキーをクィアに読む!)、そこまでやってそうには思えないんだよな。むしろ図像解釈学の復活によってMoMA的な「抽象」を批判できるから結託しているというか、それが相互に中途半端なものにしているように感じる。その「MoMA的抽象」批判じたいがすでに古く感じられるから、語りにくさがあると感じる人がいるのではないだろうか。
ヒルマ・アフ・クリントのカタツムリをどう読むかは、文脈依存の問題なんだけど、アフ・クリントを巡る問題群に「抽象」を巡る図像解釈学の復活という文脈がもうひとつある。クィアに読むのであれば図像解釈学とはたぶん対立的な立場を取ったほうがよさそう。図像解釈学はあくまでアカデミックに確立された領域だけど、クィア・リーディングはむしろ(たぶん)批評的営みで、相性いいとおもえないし、それぞれで別な解釈が導かれるとおもう(というか図像解釈学は客観的にやる必要がある)。そのへんが混ざっているように感じる。
自分はたとえば、荒川ナッシュ医が、エルズワース・ケリーの「スペクトラム」という作品を性的多様性の象徴として読み替えていくのは筋が良く見える。ケリーはゲイだったそうだけど、当時レインボーには現代のような象徴性はなく、むしろハードエッジ系のモダニズムの文脈でやっていたのは自明で、そこを現代のレインボーに読み替えていくのは鮮かだとおもった。それはモダニズムの男性中心主義への批評として機能する(エルズワース・ケリーの作品理解からゲイ性が排除されている)から鮮やかなのだけど、その読み/文脈の転換は現代の芸術の規範性からの解放でもある。
クイア・リーディングだというのはそうだとおもうけど、もっと文脈掘り起こさないと単に説得的ではないと感じる。アフ・クリントのレズビアン性は僧坊での同性愛的関係っぽさがあるなとおもったけど、それはそういう社会関係を当時の規範的性のあり方と対比的にどう理解するかが問われるはずで、そのへんがスキップされて現代の観念から見て先駆的に見えるという解釈を出しているように見える。
あと、両性具有への神話的な憧憬って現代的にはどうなんですか。そこらへんだいぶ怪しい気がしたんですが。
保守的なというか、いわゆる家父長制的な性規範のもちぬしではなかったのはたしかで、ただそこからレズビアン的関係があったからといって、ただちに思想的実践として現代的なクイアネスの先駆性を読もうとするのはたんに過剰だと感じる。
昨日から今日にかけてだけで現地のジャーナリストがたくさん殺害された。これを現地から報じさせないためだったのか。
美術手帖のヒルマ・アフ・クリントについてのクィア的な読み、むしろ無理矢理すぎないかという印象だった。「進化」が有性生殖によって起こるという観念があり、有性生殖=生物学的男女とその本質化(「男性性」と「女性性」が自明に存在している)がある。カタツムリのような雌雄同体に関心をもったのは、たぶん有性生殖以前=カオスの状態の表象としてであるとおもわれる。進化の突端に現在の自分たちがおり、その先にはさらに精神的な進化があるのであるから、カオスに戻るのではなく分化が起こる。二元論こそが進化の根拠として使われているのだから、現代的な観念とはかなりズレがある。
車椅子情報、書いてないし、前指摘されたのもあるから、ちゃんと書いておこう...



朝日新聞デジタル
