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tenjuu99(天重誠二)

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net

アフ・クリントの二元論性は自明なような。W=女性、U=男性という図式的理解は本人が書いているもので、そこからWU=両性具有もしくは雌雄同体という図式があるので、だいたいの論者はアフ・クリントの二元論を前提としているのでは。アフ・クリントでは原初の混沌が螺旋として描かれ、その螺旋の展開としてカタツムリ(雌雄同体)というモチーフを持ち出すのだから、カタツムリ=雌雄同体は原初の混沌の象徴として描かれている。そうすると男女という性差は、混沌から秩序への発展として現れているはず。

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ユリア・フォスインタビューでは「性別は単純な二元論に基いているのではなく、異なる要素が混ざり合っているという認識」と述べられ、性のアサインが固定的ではないと主張しているとおもうけど、これが現代的な観念だというのはわかる(「混ざり合っているという認識」が現代的かどうかはわからないが)。ただ、ここからインタビュアーはカタツムリの雌雄同体にいっちゃうけど、カタツムリの雌雄同体性ってそもそも身体の性の話ですよね。身体的な性差があるからこそカタツムリの雌雄同体がなにかの象徴になる。この雌雄同体への志向には若干の気持ち悪さを感じるんですよね。ほかにも精子と卵子を描いてたりすることにも気持ち悪さを感じるけど、この気持ち悪さみたいなのがなんなのかは自分はいまいち説明できない。