90年代の前半ってビーイング系ばっかりっていうと言い過ぎかもしれないけど、バブル崩壊なんのそのみたいなノリで、ただでさえイライラする青春期にはビーイングにイラつく青少年はたぶん一定数いて、そういうティーンは、溜め込むかオタクになるか洋楽を聴くかしてたんじゃないかとおもう。

tenjuu99(天重誠二)
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読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など いろいろ雑につぶやいています SPACE NOBI というアートスペースやっています
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バブル崩壊の余波がまじででかかった。これは場所とか職種とかによって濃度の違いがあるのかもしれないが、我が家はわりと直撃であった。
自分は順当に(?)90年代暗かったな。だいぶ昔、同じ世代の人と、幽遊白書が途中から「ジャンプ的なもの(というかドラゴンボール的なもの)」を懐疑の対象としていたのが、世代的なものあるよね、という話をしたおぼえがある。世界の薄皮を剥がしていったらゴミみたいな世界が広がっている、という感覚は世代的な感覚としてはあったとおもう。 https://note.com/elastic_dale5686/n/n6488df1c50d0

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90年代ってそんなに暗かった?『平成かわいい文化史』への違和感|dale
「平成女児ブーム」である。 1990年代後半から2000年代初頭に子ども時代を過ごした女性たちが夢中になった、キラキラでポップな少女カルチャー。そのリバイバルが令和の現在、大きな盛り上がりを見せている。 そんな中、『平成かわいい文化史』という本が出版された。 まず帯のキーワードを見てほしい。「かわいい」がてんこ盛りである。 原宿、ギャル、デコ、アイドル、ヴィジュアル系、ゆるキャラ、オタク、女児カルチャー、ジェンダーレス男子等々。「かわいい」があらゆる方向から取り上げられている。 「かわいい」というテーマがあまりにも広大なため、この一冊で論点が網羅されているのか私には判断できない。
『平和と愚かさ』のロジックをふまえると味わい深い文章だ。
「つまり、この人、思いっきり矛盾しているのだ。片方で世界はすでに「非常事態化している」と言っときながら、もう一方で「さっきまで日常の空間であった場所でいきなり銃をぶっ放すわけで、高揚感が生じる余地はない」とか言う。日常と戦争の溶解した世界を語っておきながら。自分の日常が警察官や消防士の日常だと思い込むおおざっぱさ、という問題にも無自覚だ(その種の職業を選びとった人々が「儀式」や「訓練」を経ていない、とでも?我々と同じ「日常」を生きているとでも?)。というわけでこのひと、いろんなレベルに、ずいぶん柔軟性のあるスタンダードを持ち込んで、ある種の観念を必死に定着させたがっているように見える。むしろ東さん自身が、無意識のうちに日常と戦争の区別を自明のものとしているのだろう。そうじゃなきゃ、あんな素人目にもどうかと思う矛盾は言わないでせう。自分に染み付いたものと観念の同期がとれていない感じ(あ、ひょっとしてそれって「イデオロギー」なんじゃないかしら)」
https://itoh-archive.hatenablog.com/entry/2015/10/30/151328
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たまにはカタい話でも - 伊藤計劃記録 はてな版
むかしむかし、夢見られたせかいのはなし ユリイカ 2005年10月号 特集 攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX を買い、仕事場から夕食に出たときラーメン屋さんで読んでしまった。面白かったわけではない。制作サイド自身の発言は(予想通り)おおむね面白かったけれど。それ以外はどうかというと、正直買わんでいいと思う。なんてったって1300円だ。 東浩紀さんの発言に感じる、この我が身のような、我が身がかつて経験したような懐かしさと恥ずかしさはなんだろう。それは多分、この人が80年代的な意匠を無自覚に(いや、それはさすがに侮りすぎかしらん)纏っていることからくる恥ずかしさなんじゃないかしら…
AI絵と疑われている絵を手描きであると動画で見せている。
AIを使って画を出して、それを真似して描くっていうトリッキーなことをしているらしいのだが、そこまでして何枚も描くんならもっと自由な絵の書き方してみようってなんないんかな。
そしてこれはもし本当にAI絵をアナログでトレースしたということならそれはそれで新しいジャンルではあるな。
自分はやりたくないけど。
https://x.com/akizukinosora/status/2086755150572695665?s=20
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秋月の空 (@akizukinosora) on X
【動画の投稿です。】【3/10】
ブルボンが博物館支援のデジタルツールを提供していてすごい https://yoisho-museum.org/public/reasons/
yoisho-museum.org
博物館サポートツール
ヤクーツクというロシアの街、マイナス64度で人間が都市生活しててヤバい https://youtu.be/D-WGGDRyf68?si=QpT9PC0NzjbSzjAF
未来を予測しないというときにもう一つ重要な原則がたぶんあって、作ることができると同時に解体することができるということ。修理の技術はこの解体・再構築の知識に依存するわけだけど、だとするとメンテナには構築の知識が保存されていなければならない。町大工とか仕立屋はこの原則にあてはまっている。建物の場合、30年後にも陳腐化しない技術を選択する必要があるし、ソフトウェアの場合でも入れ替わりが激しいと言われるけど時間経過で変わらないものはあるはずで、変わらない技術を採択するのはかなり重要な話だとおもう。
予測不可能性を織り込むのは、トヨタじゃなくても町大工でも仕立屋でも同じことだけど、ようするに作ることとメンテナンスすることは一体的な事業だったのが、近代にはいってそれが区別されるようになった。トヨタはそれを工業的な規模で町大工みたいなことをやった先駆的企業だったという話で、それが現代のIT企業にとって一つのモデルになっていた。
建物とか、30年〜50年先の未来と向き合わなきゃ作れないわけなんだけど、そんな先のことを予測することはそもそも不可能で、その不可能性を織り込むことが設計行為だという矛盾がある。未来を勝手に先取りしない、ということが設計の第一原則になる。重要なのは、事が起きてから考えることで、そのときに対応できるだけの柔軟性を維持すること。アジャイルっていうのは結局そういうことだとおもうんだけど、そもそもこの常識的とも言える言説が「作り方」のほうにフォーカスされてしまうのが誤りのもとで、作り方を柔軟にすることなんではなくて、事が起きたときの対処の柔軟性をアジリティと呼ぶ。devopsなんかはアジャイルにとって本丸でもある。
これわかってないなとおもうんだけど、「アジャイル開発は「どうやったら、不確実性をもっと減らせるんだろう」という問いにチームが向き合うための学び方」もなにも、不確実性はどこまで行っても無くなることも減らすこともできない。実際の使用というのはそれだけ不確実な状況にさらされているわけで、そうすると有り得る在り方としては、実際の使用を生産プロセスにフィードバックすることで、まさにこれをやったのがトヨタなんであって、不確実性を減じるために対話とかレビューとか振り返りとかをやっているわけでもなんでもない。未来を予測しないことこそが重要なんでしょ。 https://qiita.com/hirokidaichi/items/1faf7a57cc55562a15e1

qiita.com
日本にアジャイルが普及しづらい本当の理由〜不確実性に向き合うマネジメント論〜 - Qiita
はじめに こちらの記事は、技術評論社に寄稿させていただいた「エンジニアリング組織論への招待」をご紹介するための文章です。Qiitaにも再掲しておきます。 アジャイルって何だ? 「ウォーターフォールよりもアジャイルのほうがいいのか?」そんな言葉をIT企業の経営者か...
多くの建築物や工業製品というのは、作り手側が作りっぱなしでメンテナンスはしない。工学の前提がだいぶ違うというか、作るための方法論だけ考えるのと、使う・メンテナンスするということも考えて「作る」ための方法論を考えるのは、だいぶ違っている。もちろん、建物はメンテナンスのことを考えて作られるけど、作りっぱなしのデベロッパーが作って納品でメンテナンスは無関係な業者がやります、だと責任の所在が異なるから、メンテナビリティの優先度は下がる場合がある。
devopsみたいな流れがでてきたぶん、ソフトウェアのほうが建築よりマシだとおもう。ただ、インダストリアルデザインとかだと、生産・販売・修繕のような製品ライフサイクル全般を管理する自動車メーカーの存在を考えると、これはソフトウェアというかdevopsみたいなのに考えとして近いとおもう。
大規模マンションとかが、30〜40年と生活の場となるなかで、長期的にどのようなことが起きて管理しなければならなくなるか、ほとんどのケースが事前に予測不可能で、ソフトウェア工学が建築をモデルに考えると言ってもソフトウェアも建築もおなじくらい不確定な問題の上に「工学」と呼ぶものを組みたてているなと思う。
「90年代末は、イスラエルがガザであんなことを21世紀にするとは思わなかったのではないでしょうか?」ってそんなわけないやん。サイードの批評とかインタビューとか、それこそ日本のポスコロ論壇がめっちゃ紹介しているのもイスラエル・パレスチナ問題があったからでしょ。デタラメすぎる。 https://x.com/adamtakahashi/status/2085940805051830311

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Adam Takahashi (@adamtakahashi) on X
@archerknewsmit ありがとうございます。この話はいくつかのレイヤーと観点が重なっているので、腑分けして考えないとダメだとは私も思います。ただ、まとまりのない雑感ですが、90年代末は、イスラエルがガザであんなことを21世紀にするとは思わなかったのではないでしょうか?どう過去の惨劇を当事者でないにもかかわ
@satomuch 「外国人との秩序ある共生社会推進担当」がやばいですね...。
@satomuch ああ、なるほど、無能すぎて右翼的言動を促すか、無意味なクールジャパンとかやらせるかになっているんですね...
小野田の役職、経済安全保障大臣って岸田内閣のときに作られたやつ(初代が小林鷹之)で、本来は国家の戦略物資の調達についての役職だとおもうのだけど、たぶん小野田は(おそらく無能であるがゆえに)なにもやることがなくて暇なのでは。ガソリンとかナフサとかが足りないってときに赤沢大臣が動いて経済安全保障大臣はなにもしてなかったし。
AIに「その話し方疲れるからもっと配慮してくれ」ってお願いした。
この語の並び、カートの白人嫌悪的なものを感じるけど、受け取る側としては「誇りを失った白人」みたいに受け取ることができる。それはすごいねじれてるんじゃないかと思うんだけど、それはそれで一つの正当な受容のあり方ではないかとも思う。
「a muratto, an albino, a mosquito, my libido」というフレーズがしばらく気になっていたのだけど、何気なく並べた言葉ではないかとおもうんだけど、albinoって言い方に白人の疎外感がよくあらわれている気はしている。白人の誇りを取り戻すみたいなのとはまったく別で、白人としての自分に自己同一化できない、みたいなのがある。白人性はアルビノのような病理的なものとして an が付けられているけど、自分のものとして感じられるのは libido だけという。
白人のマジョリティ性というより、nirvanaが共感されたのはむしろ白人の疎外感で、それがまあMAGA的な感性だよなと思う。
claudeに聞いたらグランジの階級的な読みは英語圏ではまあまあスタンダードな解釈ではあるらしい。claudeが参考文献上げてくれたけど、わたしが不案内すぎる。ハルシネーションの有無は知らない。
学術的な解釈としては、いくつかの系譜があります。もっとも直接的なのはRyan MooreのSells Like Teen Spirit: Music, Youth Culture, and Social Crisis(2010)で、グランジやパンクを、脱工業化とレーガン以降の経済再編で「親の世代より豊かになれない」ことが確定した白人中間層の子どもたち——つまり下方移動(downward mobility)する中産階級——の文化的応答として読みます。ご指摘の「落ちこぼれ」感覚を階級論的に定式化したものと言えます。もう一つの系譜は白人性と男性性の研究で、Fred PfeilのWhite Guys(1995)はグランジを、ヘゲモニックな白人男性性が自己嫌悪や脆弱さの演技を通じて再編される場面として分析しますし、Matthew BannisterのWhite Boys, White Noise: Masculinities and 1980s Indie Guitar Rock(2006)はインディ・ロック全体の「白さ」——黒人音楽的な身体性やファンクからの距離の取り方として構築されるカノン——を論じていて、Nirvanaもその延長で読めます。ちょうどヒップホップが商業的に台頭する同時期に、グランジが「白人の疎外」の表現枠として機能したという指摘もこの文脈でよく出ます。
Nirvana ではないものの 90s オルタナと白人男性性(からの現代のオルトライト)みたいな話はあったりする
Is the “alt-” in alt rock the “alt-” in alt-right? https://www.its-her-factory.com/2024/12/is-the-alt-in-alt-rock-the-alt-in-alt-right/

its-her-factory.com
Is the “alt-” in alt rock the “alt-” in alt-right?
いいニュースだ、心がぽかぽかする
SNSは「有害物質を排出する工場」 米裁判所、メタに900億円の支払い命令 - CNN.co.jp https://www.cnn.co.jp/tech/35251409.html

cnn.co.jp
SNSは「有害物質を排出する工場」 米裁判所、メタに900億円の支払い命令
子どもの心の健康に対するSNSの責任が問われた裁判で、米ニューメキシコ州の裁判所は6日、米大手メタに対して5億6700万ドル(約900億円)の支払いを命じる判決を言い渡した。これとは別に、同社は3億7500万ドルの罰金を命じられている。
トランプの娘のイヴァンカ・トランプ、Nirvanaの大ファンだったらしい。 https://nme-jp.com/news/44982/ イヴァンカは中産階級の落ちこぼれどころではないが、ただ白人階級の社会的地位が変容し、そのなかで生まれた感性にがこういう形をしていて、それにはある程度のレンジがある、という気はする。カート・コバーンが生きてたら反トランプだとおもうけど。

nme-jp.com
ドナルド・トランプの娘のイヴァンカ、カート・コバーンの死で24時間泣いたと明かす | NME Japan
ドナルド・トランプ大統領の娘であるイヴァンカ・トランプは若い頃に「パンク期」があったと述べ、ニルヴァーナのフロントマンであるカート・コバーンが亡くなった時は1日中泣いたと明かしている。...
アーカイヴ写真のカラー化がもつ問題点についていろんな面から検討されていて興味深い。ここまでしっかり考えたことはないにせよ、モノクロ写真のカラー化ブームって「なぜ?」がなかなかしっくりこないからなんか不気味なんだよな……
Colorization of Archival Photographs and “Reality”: Technology, Ethics, and Responsibility to History アーカイヴ写真のカラー化と「リアリティ」――技術と倫理、歴史への責任 - Asia-Pacific Journal: Japan Focus https://apjjf.org/2026/8/kato
ニルヴァーナって白人中産階級の落ちこぼれ的なものという感じがするんだけど、これトランプ支持層的なものと地続きな気がするな

