tenjuu99(天重誠二)'s avatar

tenjuu99(天重誠二)

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読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など いろいろ雑につぶやいています SPACE NOBI というアートスペースやっています

@spiralginga@fedibird.com

最近展覧会のお知らに「車椅子で行けないこと、行けること」(と可能なオプション)をはっきり書いてくれるものがあって嬉しい。会場に車椅子で行けるかどうかはビルの賃貸情報やストリートビューを用いないとわからないことが多い。特に都市圏で車椅子で行けるギャラリーを確保するのが難しいのはよくわかる(かなり賃料が変わるし特にオルタナティブで開かれてるスペース数が少ない)ために、そこはある程度仕方ないと諦める(ここのは膨大な議論と葛藤があるが)にしても、行けるかどうかを表記するのは比較的コストの低い最低限の対処にはなるので。。ほんとはギャラリーが書いとくべきことだけど。

@satomuch@fedibird.com

読了。まったく興味のない写真家の土門拳の写真から内灘闘争と土門拳の写真に写る「鬼」について書かれた章が、こういうオムニバス形式の本でもなかったら出会わなかった文章だなーって思って面白かった。写真を手がかりに内灘で聞き込みをして同じ景色を探していく。
岡本太郎と土門拳のやり取りが相当長く引用されているんだけど、岡本太郎が写真の作為を批判していて、それに対して土門拳が反論してるんだけど二人とも同じようなことを言ってるのが面白かった。

内灘闘争のカルチュラル・スタディーズ書影
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内灘闘争のカルチュラル・スタディーズ書影

こんばんチュン❣新曲をつくりました❣ よかったら聴いてね~ 
みんなも振られたくない話題を相手が執拗に振ってきてめっちゃうざいときって、あるよね~...

結婚願望がないのよ(prod. cryko) | 温泉マーク
onsenmark.bandcamp.com/track/p

onsenmark.bandcamp.com

結婚願望がないのよ(prod. cryko), by 温泉マーク

track by 温泉マーク

@ririyeye@bookwor.ms

記事の見出しはともかくとして、おっしゃっている「Xをやめた理由」については「ああ同じだ」と思いながら読んだ記事。寄せられたコメントにもいろいろなことを思う。
ということでシェアします。よろしければどうぞ。

5月19日 18:03まで全文お読みいただけます。
「親としてダサい?」情報学研究者がX・FB・インスタをやめた理由:朝日新聞 digital.asahi.com/articles/AST

asahi.com

「親としてダサい?」情報学研究者がX・FB・インスタをやめた理由:朝日新聞

■ソーシャルメディアはどこへ④ 情報学研究者ドミニク・チェンさん 情報学研究者のドミニク・チェンさんはこの春、17年間にわたって使い続けてきたX(旧Twitter)のアカウントを削除、さらにFaceb…

@lematin@mastodon-japan.net

たまたま再読していた『書物としての新約聖書』に出てきた、『死海文書の謎』(ペイジェント&リー、1992)の批判。もう30年ほど前の本だけど、今も昔も全然変わらないということがわかる。

「そして、この件を通じて多くの論者が見落としているのは、この国際チームの人たちは、第一次中東戦争(1948,9年)、第三次中東戦争(1967年)などを通じて、パレスチナ人の側の地域に留まって仕事をしてきた人たちである。外交的に面倒な問題だから人々は敢えて口にしないが、死海写本の問題はパレスチナ問題なのだ。国際チームの人たちはその戦火をくぐって仕事をしてきたから、イスラエル国家の侵略行為に対して、ひどく深い不信感を持っている。ところが、ペイジェント・リーは、その不信感に対して、こともあろうに、イスラエル国家を批判するのだから、彼らはひどい「アンチ・セミティスとで、ファシストだ、ナチと同じだ」とレッテルを貼る。この土地を「イスラエル」と呼ばずに「パレスチナ」と呼んだ、というだけで、ファシストだ、というのだから、ペイジェントたちが何者であるかがわかろうというものだ」(p.373)

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net
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国分寺行って帰ってきてタイムラインを眺めると、あれ、早春書店さんにDM持っていかなかったのなぜだっけと、いつも思いだす

@comecaML@mastodon.social

私はあなたがテキトーに使い捨てるための「コンテンツ」ではないんですよ、というケースが多いよな。インターネットとかSNS。オフラインでもそうしてるならまだわかるが。

@comecaML@mastodon.social · Reply to コメカ

それこそ、「こういう場」であれば軽ーく何を言ってもいい、みたいな感じのな。言葉が向かう先にいる人間をナメてるってことなのだろう。

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近代の視覚優位はマクルーハンの考えではたしか書物な発達と黙読の成立によるものだったと思うけど、最近アクセシビリティの考えが発達してみて改めて気づくのは、目が見えない人が読書から排除されていたということだったりする。そういう考えが出てくればまた、絵画も目が見えない人を排除しているように見えてくるわけで、これはコンピュータの登場の遠い影響である気もする。感覚器官の再編成みたいなのはこういう思考の習慣の変化をとおして起こるのかと。

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絵画は見ることによってしか経験できないし、音楽は聴くことによってしか経験できない、というようなことは近代芸術が抱えてきたし、その通俗版がいまだに有効なテーゼになっているとおもうんだけど、それはそんな自明なことだろうか

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net

マクルーハン的な議論で、メディアの登場がそれに伴なって感覚器官のバランスを再編成するというような議論があり、近代の芸術観において絵画と音楽が代表的な芸術形式と見做されてきたのも、それぞれ視覚・聴覚の純粋化みたいな側面があり、共感覚的なものの後退があったんじゃないか。というか、そのある感覚器官の純粋化に対応する絵画という芸術形式じたいが目が見えない人を排除していてとか、そういうことを考えている。共感覚が、視覚と聴覚の変換みたいなもののうえに成り立つとしたら、芸術における感覚器官の純化は感覚器官が代替不可能なものとして立ち現れる。それがいつも芸術における排除を生み出している。情報保証という観念で処理できないのは感覚器官の代替不可能性が芸術の根拠の一つでもあったからだ、とかそんなことを考えている。

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@tomoya@social.matsuuratomoya.com

「誰一人取り残さない」をデジタル庁のような行政が言うときはともかく、国政政党がスローガンとして掲げるなら「誰がいま取り残されているのか」を明示すべきだとは思う

@novik_st@ak2.suzu-ya.info
北原白秋作詞の『ハワイ大海戦』、ほんとえげつないのでみんなも読んでみてね。しかし白秋って没年的にこの戦争の結末を見届けてないんだな。

天に二つの日は照らず
凌ぐは何ぞ星条旗、
大詔くだる時まさに
此の一戦と衝き進む
疾風万里太平洋、
目指すはハワイ真珠湾。
(途中略)
天の下せる懲罰を
今こそ知れや米艦隊、
正義の決意すでにして
凱歌はあがるこの八日、
一望万里太平洋、
我あり、臨む大東亜。
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同時開催している硲伊之助展も地味にいいです。絵がいいというより、展示企画の意図がわかりやすい。戦後にマティス展、ピカソ展、ブラック展開催の立役者となるなど西洋絵画の輸入に一役買った人物で、アーティゾンの所蔵品もしばしば硲経由で購入している。 硲の絵は、人物画はおもしろくなくて風景画とかはわりといい、ただ絵具の塗り方が好きになれない(晩年のものはいい)、みたいな印象だったんだけど、フランスに行って浮世絵にハマり、自分でも自刻自摺の版画を作っている。こういうパターンは当時の洋画家にいるけど、版画の色合いが当時の新版画の面々と違ってモダンアートを受容した人の色というか、色のバランスの悪さが興味深かった。ポール・ジャクレーっぽさがちょっとある。 https://www.artizon.museum/exhibition/detail/586

artizon.museum

硲伊之助展 | アーティゾン美術館

公益財団法人石橋財団アーティゾン美術館公式サイト。ブリヂストン美術館(1952年開館)が館名変更し、2020年1月に新しい美術館として開館。従来の日本近代洋画、印象派、20世紀美術に加え、古美術、現代美術へと視野を広げ、美術の多彩

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ゾフィー・トイバーがデザイナーとしてキャリアを出発させたのは重要で、先日関くんが書いたこの記事を考えていたんだけど、装飾が空間に対して拡散的なのは「装飾性」の効果というようなものではなくて、そもそも装飾という活動が空間と関わるものだからで、自足的な作品というようなものではない。抽象絵画がアメリカにわたって抽象表現主義になるのは、作品というものの奥には表現の主体があるという観念によるけど、装飾にはそういった意味で表現主体と表現の関係のようなものはない。 https://space-nobi.net/articles/2025/decoration_and_boundary-painting_cultivating

space-nobi.net

装飾、境界、あるいは耕される絵画——郷正助「秘密の花園」(レビュアー:関貴尚)

2024年11月1日から12月1日までSPACE NOBIで開催された郷正助の個展「秘密の花園」について、関貴尚がレビューします。

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美術館とかは、ここ10年くらいでアクセシビリティへのアプローチはあると思うんだけど、作品構造そのものが排除を埋め込んでいたりするので、作家の意識が変わっていかないとどうしようもないところがあると思う。

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net

アート関係のアクセシビリティはぜんぜん進んでないというか、作家がナチュラルに排除してしまっていることがしばしばあるし、そこへの反省もなかったりする。

@emim@fedibird.com

著作権法、それこそ芸術方面の情報保障などについても結構立ちはだかる壁と聞きますね。「情報保障」行為が複製になってしまうから情報保障を提供できない、と。