tenjuu99(天重誠二)
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マクルーハン的な議論で、メディアの登場がそれに伴なって感覚器官のバランスを再編成するというような議論があり、近代の芸術観において絵画と音楽が代表的な芸術形式と見做されてきたのも、それぞれ視覚・聴覚の純粋化みたいな側面があり、共感覚的なものの後退があったんじゃないか。というか、そのある感覚器官の純粋化に対応する絵画という芸術形式じたいが目が見えない人を排除していてとか、そういうことを考えている。共感覚が、視覚と聴覚の変換みたいなもののうえに成り立つとしたら、芸術における感覚器官の純化は感覚器官が代替不可能なものとして立ち現れる。それがいつも芸術における排除を生み出している。情報保証という観念で処理できないのは感覚器官の代替不可能性が芸術の根拠の一つでもあったからだ、とかそんなことを考えている。