tenjuu99(天重誠二)
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矛盾しているかどうかはそんなに気にしていないんですが、「性のアサインが固定的ではない」は、ユリア・フォスは社会構築主義的な理解をアフ・クリントにあてはめ、そういう理解は可能だとおもう。ただ、そこから現代の性別二元論の克服の象徴としてカタツムリの雌雄同体性を取り上げると、んーそうなんだっけ?みたいなのと(身体的性差の問題って現代的な議論の枠組みにおいて雌雄同体みたいな話になる?)、ヒルマ・アフ・クリントがカタツムリを通じて何を思考していたかが単純に抑圧されているように感じる。