tenjuu99(天重誠二)'s avatar

tenjuu99(天重誠二)

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読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など いろいろ雑につぶやいています SPACE NOBI というアートスペースやっています

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to サトマキ

@satomuch 「文字使っちゃうと人間が忘れっぽくなるからダメだし、計算機とかもっとダメ」とかいいつつ、日夜「おれの考えた最強のソクラテス先生」の再現を試みる、すごくキモいプラトンを想像しています

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人に本のおすすめを聞かれ、自分のおすすめではなくAIにおすすめを出してもらって回答のかわりとしたので、ただのトークンおすそわけおじさんになった

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to 関貴尚

@seki_takanao 自分は野良で考えているだけでブックリストわからなかったので、AIに聞いてみた。

まず、このジャンルについて、2系統あり、つまり「メディアが変わったから知識人が落ちた」派と、「知識人層のほうが先に落ちたから、メディアはそれを追認しただけ」派のどちらもある。わたしの見解は後者であるが、どちらもレコメンドしてくれた。以下はAIのレコメンド文も添えておきます。

  1. 竹内洋『教養主義の没落——変わりゆくエリート学生文化』(中公新書, 2003)

これが「インテリ層の失墜」側の本命です。旧制高校を発祥地として、その後半世紀にわたって日本の大学に君臨した教養主義が、1970年前後までキャンパスの規範文化であり、そこから没落していく過程を追った本。教育社会学者の本なので、「教養があった/なくなった」という嘆きではなく、教養主義を担っていた学生・読書人という社会階層がどういう条件で成り立ち、どう条件が崩れたかを扱っています。あなたの言う「階級としてのインテリの凋落」にほぼそのまま対応します。しかも没落の起点を70年前後に置いているので、SNSどころか90年代の雑誌黄金期よりさらに前です。 同じ著者の『革新幻想の戦後史』『メディアと知識人——清水幾太郎の覇権と忘却』はもっと分厚い版だと思ってください。まず新書のほうを。

  1. 大澤聡『批評メディア論——戦前期日本の論壇と文壇』(岩波書店, 2015/『定本 批評メディア論』として岩波現代文庫にも)

こちらはメディア形式側から。論壇時評・文芸時評・座談会・人物批評・匿名批評といったフォーマットが、どう成立して定着したかを解析した本で、第3章がまるごと「座談会論」です。 この本の要点は、座談会も特集も「昔からあった自然な議論の場」ではなく、1930年前後の出版産業の条件のなかで発明された商品形式だ、というところ。つまりフォーマットのほうも歴史的な産物なので、それを復活させれば議論が戻るわけではない、という話になります。あなたが「論壇誌を作っても効果がないはず」と言ったことの、実証的な裏づけになると思います。 竹内が「担い手の階層」、大澤が「入れ物の形式」を扱っていて、この2冊がちょうど噛み合います。

関くんの関心は後者があうかも。

ほかのおすすめも以下

  1. 北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』(NHKブックス, 2005)

小林よしのりと2ちゃんねるを同じ流れのなかで論じた本です。60〜70年代のアイロニー(真面目さを嗤う態度)が、80年代の消費社会を経て、90年代の「インテリを嗤う」構図に転化していく——という筋を立てています。SNS以前に、すでに「批判に応答しない」主体のかたちが用意されていた、という論点が取り出せるはずです。あなたが挙げた「漫画家によるインテリ批判」の構図を、それ単体の事件ではなく系譜として扱っている点で有用です。

  1. Russell Jacoby, The Last Intellectuals (1987)

アメリカで公共的知識人が消えたのは、彼らが大学に吸収されて制度内職業人になったからだ、という議論。メディアのせいにしない構造論なので、あなたの主張の英語版とも言えます。邦訳は見つかりませんでした。

  1. フリッツ・K・リンガー『読書人の没落——世紀末から第三帝国までのドイツ知識人』(西村稔訳, 名古屋大学出版会, 1991)

機械と大衆の登場によって文化的危機に見舞われた世紀末ドイツの学者=読書人層が、混乱と対立を経てナチズムにからめとられていく過程を追った思想史。竹内洋の下敷きになっている本で、「知識人がひとつの社会階層として権威を失う」という現象の古典的なモデルケースです。高いし古いので図書館向きですが、友人が「詳しく知りたい」なら本命はここかもしれません。

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to 関貴尚

@seki_takanao 技術的構造に主体が作りなおされるという話になると技術決定論的な観念になってしまうので、慎重な話が必要だとおもう。自分がさっきの投稿で言いたかったことは、たとえばSNSをやめてそういう雑誌(論壇誌)を作ったとしても効果がないはず、ということ。技術を変えても、それに従って議論が生じるということはない(そのような主体が形成されるわけではない)、ということです。朝まで生テレビはいまは録画1時間番組になっているらしいけど、それはもう社会のほうが変わっているからそうなっている。 「SNSが主体を作りなおした」ということは言えなくはないが、雑誌・マスメディアの凋落はそれが全盛期だった90年代にはすでに始まっていて(90年代は雑誌黄金期)、その象徴が「新しい歴史教科書を考える会」。これは、「歴史教科書」という大文字のメディアを疑う運動だが、そのなかに小林よしのりがいて、漫画家によるインテリ批判という構図で、メディアの失墜を狙っている。これはSNS登場よりはるかに昔のことで、この頃からメディアの失墜ははじまっていて、その理由は階級としてのインテリの凋落というほうが適切だと思う。雑誌の凋落はメディアの変遷というよりインテリが社会におよぼす能力の低下と見たほうが筋が通る。インテリをひとつの社会階層だと考えるなら、このとき起きているのは広くみて社会階層の変化というもので、これがメディア技術の変容にともなって起きたのではなく、社会変化のほうが先行しているというのが自分の見解。技術・メディアの形式変化は、あとから登場し、この流れを追認したもの。

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)

良い言い方ではないとおもうのだけど、論争は格が等しい者同士でしか成立しなくて、それは抱えているリスクが釣り合うから。SNSでは、「有名」という資源が不均等なので、環境として論争が成立しない。

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net

BT 雑誌がWebメディアに移行した効果というより、全体としてマスメディアの有効性が消滅しつつあるということのほうが主要で、フォーマットの問題に還元することはできない。 むかしは、朝まで生テレビとか議論をしまくるということがそれなりに意味があったけど(この番組に意味があったかはともかく、政治家も評論家も出演して意見を述べていた)、もう今はそういう議論が成立しない。 「SNSで議論ができない」というのは、なにかしら批判とか立論とかしても、批判された側には反論する義務がないから、論争にはならないので、立場表明だけすることになる。昔の雑誌だと公然と批判されたら反論の場が設けられたりする。 こういうのがメディアの効果というより、全体として変化したとしか言いようがない変化としてある。部分的に議論がおこなわれることはあっても、公論のようなものがもう成立しない。国会ですら軽視されてるし。

@seki_takanao@fedibird.com · Reply to 関貴尚

雑誌がwebメディアに移行したことの問題は、特集が組まれなくなったことと、それに紐づいた座談会がなくなり、問題を共有するという回路がなくなったこと。

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to 関貴尚

@seki_takanao 雑誌がないからと書いてたけど、評論誌というものがあって、岡﨑は批評空間がその発表場所だったし、これはなにかしらの専門誌ではない。浅田も柄谷も自分の枠組みで何でも語ってみるのは評論誌というフォーマットと合わせてそうなっているとおもう。こういう評論誌はアジェンダセッティングの機能があるんで、特定領域にこだわっていない。いまはほとんど論争なんて存在しない(メディアがないか弱くなりすぎたから)。

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@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)

自分の整理がヌルかったのがあとでわかったけど、「結社」という概念をとるなら、結社には同人と会員の階層区分があり、当時の雑誌区分には「結社誌」と「同人誌」が明確に区分される。結社誌はたぶん編者が同人で投稿者が会員、同人誌は投稿者も同人、ということらしい。この区分で言えば、明星は結社誌で、同人誌ではない。

一般に「編集者=執筆者」が同人誌であり、記事で言おうとしている「商業誌」とは編集者と執筆者が分業的になっている雑誌のことだと整理できる。結社誌も形態的には後者であるけど、性格は異なっている。記事ではこういう整理がおこなわれていないから、「編集者=執筆者」という体制で重要な共産主義運動とか見逃しているし、地方誌の整理も同じで編者と記者が別れている地方誌もあれば同一のものもあり、編者と記者が別れている地方誌はただの地方誌であって同人誌ではない。

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記事内容で、自分が意味わからないなとおもったのは、硯友社が「同人誌」であることはそのとおりであるけど、「同人」というのは結社のメンバーのことで、同人誌はその社が発行する雑誌という以外の意味はないとおもう。 硯友社の時代に、「まず仲間内で手作りし、反応を得ながら正式な刊行物へ成長するという歩み」と言っても「正式な刊行物」なんてものが存在しなくないか。 そのあとの明星や白樺の話も「当時の同人誌が必ずしも商業出版の対立物ではなかった」というのは定義から自明であるとしか言えないけど、「明星」が「自主制作の練習場である」とはどういうことなのか。 これ、本人のパースペクティブが、現代の「同人誌」的ニュアンス(商業誌と対比的な意味での「同人誌」)を持ち込んでいるから、歴史理解が歪んでいるというだけで、AIがおかしいわけではない。

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いま日本に中国人留学生が多いのって、2010年代にbilibili動画とかで日本コンテンツが中国に流入しまくっていたことがけっこうあるはずで、(たぶん非合法とは言え)草の根文化交流があったからだとおもうんだけど、文化戦略とか言っている側がそういう認識はたぶんもっていない

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めちゃくちゃ雑な「令和人文主義」の記事書いてたの読書猿だとおもってたけど、見てみたら存在しなくてアレ?とおもったけど飲茶だった

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note、キーワード検索したときに、見出し画像がズラっと並んでいるのが、AI生成の情報過多な画像ばかりですごい気持ち悪さがある

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クールジャパン/ものがたり大国、AIにひどいこと言われた

AIにクールジャパンについて聞いた内容。書かれているのは次の通り。

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3. 歴史は繰り返す:戦前プロパガンダと「クールジャパン」の共通の病

この戦前の対外宣伝の歴史を見ると、現在の「クールジャパン」や「ものがたり大国」と全く同じ病気(構造的欠陥)に罹っていることがよく分かります。

1. 「素晴らしいものを見せれば味方になる」という幼児性:
戦前は「洗練された近代的なグラフィック」、現代は「アニメ・漫画」という、自分たちが誇れる『弾(素材)』を海外に投げつければ、相手は日本を好きになるはずだという短絡思考が全く同じです。
2. 現地(受け手)のリアルを見ない:
戦前の宣伝誌が「国際社会からの孤立」や「現地の反日感情」という不都合な現実を無視して美しいイメージだけを輸出しようとしたように、現代のCJも「海外の排外主義感情の受け皿問題」や「各国の表現規制(ポリコレなど)」というリアルな課題を無視し、ただ「20兆円」という数字と「コンテンツの美しさ」だけを語っています。
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AIにクールジャパンについて聞いた内容。書かれているのは次の通り。 ``` 3. 歴史は繰り返す:戦前プロパガンダと「クールジャパン」の共通の病 この戦前の対外宣伝の歴史を見ると、現在の「クールジャパン」や「ものがたり大国」と全く同じ病気(構造的欠陥)に罹っていることがよく分かります。 1. 「素晴らしいものを見せれば味方になる」という幼児性: 戦前は「洗練された近代的なグラフィック」、現代は「アニメ・漫画」という、自分たちが誇れる『弾(素材)』を海外に投げつければ、相手は日本を好きになるはずだという短絡思考が全く同じです。 2. 現地(受け手)のリアルを見ない: 戦前の宣伝誌が「国際社会からの孤立」や「現地の反日感情」という不都合な現実を無視して美しいイメージだけを輸出しようとしたように、現代のCJも「海外の排外主義感情の受け皿問題」や「各国の表現規制(ポリコレなど)」というリアルな課題を無視し、ただ「20兆円」という数字と「コンテンツの美しさ」だけを語っています。 ```