ルンプロは革命的主体になりうるのか

tenjuu99(天重誠二)
@tenjuu99@hollo.tenjuu.net
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読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など いろいろ雑につぶやいています SPACE NOBI というアートスペースやっています
- SPACE NOBI
オンラインMTGでPCの画面うつして、ブラウザの開いているタブいくつか移動してたら西麻布の母のTL見てるタブが映ってかなり恥ずかしかった
ほっこりニュースなど。
お寺さんによっては、そういう情報をよそ者の研究者には委ねたくないと秘匿しているとも聞く(実際に実家方面の古刹について調べものをしてたら、遠回しにそう解釈できる話が返ってきたこともあります)。信仰のための場所なのでそれもありですが、開示してくれるのはありがたいし、学生もいい経験ができたよね。
https://withnews.jp/article/f0250820000qq000000000000000W08r10201qq000028198A

withnews.jp
寺に眠る「お経600巻」大学生が調査したら…「文化財」登録の快挙
大学生のグループがお寺に眠っていた江戸時代の古いお経600巻を調べたところ、地域における江戸時代の仏教信仰のあり方を裏付ける貴重な史料であることが分かりました。お経は今春、東京都板橋区の有形文化財に登録されました。指導にあたった歴史学者で…
語り得ぬものについて沈黙を守るためにゃーんとしか発話できなくなったなにかたち
哲学くさくて深いっぽい話(?)といえば、「戦争と美術 1937-1945」に掲載されている椹木野衣の「「戦争画」をめぐる広大な密室」という文章が「基礎論の欠如」だのなんだのぐちゃぐちゃ哲学ふうなことを並べるだけでまじでおもしろくなかった。びっくりするようなつまらなさで、そうながくもない文章なんだけど全文読んでない。
大山クマでるのか
このインタビューは、潜在的に欧米社会を「学ぶべき大人、先行者」の社会として表象しているとおもうんだけど、それは欧米社会でなければならない。たとえば、インドネシアみたいな多民族国家はインタビューの対象ではない。アジアは学習すべき先駆者では断じてない。 で、こういうイメージの偏りは、たとえば西洋美術館という国立の美術館があったり、高階秀爾みたいな美術官僚みたいなやつがどっからどうみても「西洋美術」をモデルにしてモノを考えようとする傾向と共通する。それは本人たちがそうしたことを考えていなくても、「脱亜入欧」みたいなことがいまでも機能していると思う。
「オリエンタリズム」とはまさしくこの表象の欠如を埋めるための表象なわけよね。このイメージの構築は実在性を欠いている。こうした表象の操作・差配が支配のためのイデオロギーではないにしても、なにかしらのメカニズムが働いているとは考えたくなる。
こんなことを思いだしたのも、竹内好を読んで、そういえば日本において「アジア」はどう表象されているのだっけとおもったのだが、このTOKYO MX NEWSのインタビューとか象徴的だなと感じるのだった。欧米は日本のモデルになっていて、「先進国」という自意識がある。アジアはオリエンタリズムの対象として表象されるか、表象が欠如する=排除される。
そういえば、選挙後のTOKYO MX NEWSの「「日本人ファースト」掲げ躍進の参政党 外国人はどう見る?」という動画を見て、まあインタビューにたいする返しはだいたい冷静で興味深いとはおもったんだけど、そのインタビューの対象者が、イタリア出身、ドイツ出身、アメリカ出身、スペイン出身、カナダ出身とみごとに欧米人ばかりだった。アジア系や、中国・韓国系にはインタビューしない、映像化しないのが「日本における外国人」問題というものがよく現れているようにおもった。「日本人ファースト」で排外主義的な言説にさらされるのは働きにきているアジア・中国・韓国系やもとから日本に住んでいる在日韓国・朝鮮・中国人などだとおもう(ほかにもたくさんいるけど)。TOKYO MX NEWSが彼らのことを「外国人」だと思わなかったのかはわからないが、「欧米で似たような形で移民についてごにょごにょしているからその意見は参考にしたい」が、ほかは聞く必要がない、という選択をしたのはあきらかだとおもう。「排除するかどうかを選ぶ側の視点」がめちゃくちゃでている動画だった。 https://www.youtube.com/watch?v=OaqvLLBFif8
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日本の右派というものの根深さを感じてしまうな...
天心の思想を反文明の精神主義っていうところに見るのは竹内好らしい。まさに「近代の超克」のモチーフで、天心は近代の超克の先駆者だった。
竹内好が岡倉天心について書いている文章(「竹内好評論集 第三巻 日本とアジア」所収)、伊沢修二との対比をもちだしてきておもしろいな。伊沢の音校のほうは洋楽を基礎にして岡倉の美校は日本画を基礎にしたが、文明化=実学主義とそれに対する反動としての国粋主義があった。天心はナショナリストだが、偏狭なナショナリストとは言いづらいものがある。伊沢はストレートに帝国主義者で、複雑なところがない。伊沢の言語統一への普遍主義的な野心も、ある意味で多元主義的な世界観だった天心とは対立的。
てつがくって言ったら温泉マークさんがカントを読むとかの話どこいったの
肉体のあらゆる力を振り絞って泣くことができるのすごすぎる
人のところの赤子が全力泣きですごい ああなりたい
github の copilot ちゃんとコード内探索して意味ある回答返してくれる、うれしい
こんな条件文なにが検査されてんのかわかんねーよ
return unless hoge.present? && fuga.blank?unless とか作ったのだれだよふざけんな
にゃーん
> イスラエル国防軍(IDF)のアハロン・ハリバ少将は(...)「(2023年)10月7日に起こったあらゆる出来事を踏まえ、当日の犠牲者1人につき50人のパレスチナ人が死ななければならない(...)彼らが子どもであろうと、今は関係ない(...)ガザ地区ですでに5万人が死亡しているという事実は必要なことであり、将来世代のために求められている(...)選択の余地はない。時折、代償を味わうためにナクバが必要なのだ」とハリバ氏は述べた。
イスラエル軍の元諜報トップ、ガザでは5万人の死が「必要」と発言 録音が流出(1/2) - CNN.co.jp

cnn.co.jp
イスラエル軍の元諜報トップ、ガザでは5万人の死が「必要」と発言 録音が流出
イスラエル軍諜報(ちょうほう)部門の元トップが、パレスチナ自治区ガザ地区で数万人のパレスチナ人が死亡するのは「必要なことであり、将来世代のために求められている」と発言していたことが分かった。流出した音声記録によって確認された。 - (1/2)
丸木俊が戦後すぐに「解放されゆく人間性」という題で女性ヌードを描いているから、公共彫刻の裸婦像もそういう文脈なんだろうな。このへんを小田原のどかがどのように論じているのかそういえば読んでいない。 https://www.momat.go.jp/magazine/007

momat.go.jp
丸木俊(赤松俊子)《解放され行く人間性》1947年 (見る聞く読む)- 東京国立近代美術館
独特なタイトルは画面左下に赤の絵の具で書き込んであります。以前の展覧会では《裸婦(解放されゆく人間性)》という表記で紹介されていましたが、前所蔵者に聞けば「裸婦」の語は管理のためにつけていたとの由。そこで当館への収蔵に際 […]
先住民族x技術xアートみたいなテーマの記事がMIT Technology Reviewに掲載されるんだ
先住民族の知と人工知能が交差するとき https://www.technologyreview.jp/s/367289/indigenous-knowledge-meets-artificial-intelligence/

technologyreview.jp
先住民族の知と 人工知能が交差するとき
先住民アーティストたちは、テクノロジー、記憶、そして抵抗をめぐる関係を、新たなかたちで描き直そうとしている。
沖縄が避暑地らしい。
あとでよむ いま改めて問う、美術は戦争をどう描いてきたか──「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」(東京国立近代美術館) |美術手帖 https://share.google/DgBPNxbZLtCLWn2nJ

bijutsutecho.com
いま改めて問う、美術は戦争をどう描いてきたか──「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」(東京国立近代美術館)
東京・竹橋の東京国立近代美術館で、「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」が開催されている。報道内覧会もプレスリリースもないこの展覧会に込められた意図とは? 担…
flexboxのレイアウトしたいときにtailwindのクラスを調べなくてはならないとか不毛すぎるんだけど。
tailwindキライ
ずっと積んでた『戦争と美術 1937-1945』の論考をようやく読みはじめたけど、針生一郎の文章がおもしろい。藤田の『アッツ島玉砕』を観たとき、針生は右翼学生だったらしいが、この絵を「わるい、わるーい」絵だと直感したらしい。
"荒涼とした北海を背景に、どす黒い肉体と死骸がはげしくもつれあい、銃剣をふりかざして米兵におそいかかる日本の将兵の中央で、山﨑部隊長が八面六臂ともいうべき激闘を続ける。凄惨苛烈な殺しあいの光景をこれでもか、これでもかとばかり描きこみながら、作者の魂はまったくここに関与していない。彼は野次馬の嗜虐的な興味に駆られてこのむごたらしい場面を描きながら、その効果をニヒルに、偏執狂的にたのしんでいるだけだ。しかも、それによってこの絵は、戦争末期のデスパレートな心情に通ずるものがあったのだ。"

