だから椹木野衣がずーっとあのポジションにいるのだな…

tenjuu99(天重誠二)
@tenjuu99@hollo.tenjuu.net
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読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など いろいろ雑につぶやいています SPACE NOBI というアートスペースやっています
- SPACE NOBI
美術方面ではもうみんな諦めてるんじゃないかという気がする。足使う批評家って少ないし、場所がかたまってないから交通費と時間がすごくかかる。どこにでも顔出す学芸員の人いるけど文章書いてないのだよな。
これ、美術の批評とかもいっしょだな。1930年代からあるとはおもわないけど、60〜70年代はかなり展覧会が増えて批評のニーズがあり、なんとなくの「流れ」みたいなものが把握できる装置として美術手帖とかがあったとおもう。いまも展覧会大量にあるんだから批評のニーズというか「"今"をわかった気にさせてくれるような論考」へのニーズはあるとおもうんだけど、それができなくなっている。なぜなのかはよくわからない。 https://x.com/muselmann1942/status/1964629764658041062
結局、戦後史を学ぼうがなんだろうが、植民地主義の反省がなければ、感情を害する話と矮小化されるだけ。明治維新後からの日本帝国主義の問題と、現在を照らしてその類似、いまだに保持される差別を学ぶ必要があるのではと思う。
実際に沖縄への修学旅行にて、祖父が沖縄戦で亡くなったことを理由に、平和学習にて語り部を聞くことを拒否した学生がいたとのこと。↓の動画は大変不快なものなので視聴注意です。
https://youtube.com/shorts/Zbq1b4D9kjg?si=aCKkdVuG8LSGPeYC
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仮に沖縄戦後史の学習体系が整備されたとして、次の歴史修正主義的なアプローチとして、特攻隊や、日本兵の親族の「語り」が利用されるだろう。「自分の曽祖父は、戦争の犠牲になった」「おじいちゃんも苦しんでいた。」それが「違う視点」として持ち出される。
米での韓国系工場建設で拘束された人達の記事、長いのでたたむ。
ジョージアのヒュンダイとLG合弁のバッテリー工場で拘束された人達は475人。(日本人3人を含む)
拘束中の様子の韓国メディアの記事を翻訳にかけてみた。
(以下引用)
腰と手を一緒に縛られた状態では、水を飲むにも頭を下げてなめるようにするしかなかった。仕切りのないトイレには下半身を隠す布が一枚あるだけだった。拳ほどの穴からほとんど日差しは入らず、わずか2時間だけ小さな中庭に出ることが許された。8日間、米国移民当局に拘束された労働者とその家族は、2025年、平凡な韓国人として暮らしてきて想像したことのない人権侵害と不条理を伝え、衝撃を訴えた。
現代自動車‐LGエナジーソリューション合弁バッテリー工場で行われた不法移民の取り締まりで拘束されていた労働者330人が今月12日に帰国し、拘禁当時に経験した人権侵害の状況が次々と伝えられている。
14日に明らかになった彼らの証言に映し出された収容施設の様子は、衛生、外部との連絡、異議申し立て、状況説明など、国際社会が定めた被収容者処遇の最低基準(ネルソン・マンデラ規則)がすべて崩壊した状態だった。
逮捕の過程からして呆れるものだった。いわゆる「ミランダ原則」の告知など基本的な説明すらなく、誰も状況を正しく把握できなかった。40代のLGエナジーソリューション協力会社の社員、ソ某氏は「自分が逮捕されている状態だとは思いもしなかった。身分確認の手続きだと思っていたら、ある書類にサインするよう求められた」と語った。
また、別の協力会社の社員K(48)氏の家族は「書類に『アレスト』(arrest・逮捕)という文字が目についたので、『これ、やってはいけないんじゃないか』とひそひそ話したが、捜査官たちが銃を持っていたので、とりあえず署名してしまったそうだ」と伝えた。
↓続
”화장실엔 천 조각 하나, 항의도 못 해…우리가 뭘 잘못했나”
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1218653.html

hani.co.kr
“화장실엔 천 조각 하나, 항의도 못 해…우리가 뭘 잘못했나”
( ☞한겨레 뉴스레터 H:730 구독하기. 검색창에 ‘한겨레 h730’을 쳐보세요.) 허리와 손이 한데 묶여 물을 마시려면 고개를 숙여 핥아야 했다. 가림막 없는 화장실에는 하체를 가릴 천 하나가 놓여 있을 뿐이었다. 주먹만 한 구멍 틈새로 햇볕은 거의 들지 않았고,
こういう主題で展示をしておきながら、どういう論争をもくろんでいたか作家側の見解・仕掛けがまったく見えないのが、ぬるすぎると感じる
もう10年も前の展示だけど、キセイノセイキのことはこうして外部でトークイベントやってそれがSNSに一部あるだけで、結局雑誌や本などで文字化されて検証もされなかった。BTに沢山遼による批判があったのだが、そのときはまだ情報がでそろってなくて事実誤認もおおい記事で、それもトークイベントのなかで消化されてしまっている。いや、紙資料におとしこまなくても、作家有志でWebに資料公開できたはずだが、それもやっていない。継続的で相互的な批判が、なんにもなくなっているのが、きびしい。 https://posfie.com/@misonikomioden/p/MeWoIFF

posfie.com
小泉明郎展「空気」 アーティスツ・ギルド企画「キセイノセイキ」展関連トーク「キセイノキセキ」Vol. 01 卯城竜太×小泉明郎[メモ書き]
トークメモ書きのツイート書き起こしと関連ツイート登壇:卯城竜太(Chim↑Pom)×小泉明郎日時:2016年 5月5日(木・祝)16時~18時会場:無人島プロダクション
1952〜美術出版社がだしていた「美術批評」の復刊に際して北澤憲昭が「批評の初心」なる文章を書いているけど、美術出版社が当初はかなり論争性を意識していたこと。こういう論争性は70年代くらいまでは続いているとおもうけど、近年はもう美術館の広報なんじゃないかくらい、論争的テキストが掲載されることがない。こういう論争的性格がいつころ失われたのかはまだ把握できていないが。 https://www.yumani.co.jp/np/isbn/9784843342817
yumani.co.jp
美術批評 全13巻+別巻1 - ゆまに書房
批評というもの、論争的テキストによる論争的行為のことだと思っていて、論者の立場など論のなかに込められているから「批評家の立ち位置」など問う理由はないのだけど、論争を成立させるメディアが失われてしまうと、批評というものはアカデミズムなんだかわからない抽象的な立場を取るようになってしまう、と思う。去年出た「批評の歩き方」とかで小林秀雄とかが参照されてしまうのって、批評が論争的な相互テキストではなくて文学的行為だと見做されているためだとおもうのだが、立論内容ではなくて批評的態度こそが批評だみたいなことになる。これは批評だがあれは批評でない、みたいなどうでもいいごにょごにょになるのも、論議の内容ではなく態度が問われているという理解で、論争そのものは発展することがない。 いやすごいどうでもいいことなんだけど...。
富井玲子「オペレーションの思想 戦後日本美術史における見えない手」読了、おもしろかった。「批評」みたいなやたら観念的な立ち位置が出発点ではなく、作家たちの手札を引っ張りだして具体的に記述しているので、やる気あるアーティストにとっては、レシピとしても使っていけそうな本だなとおもう。
1970年前後ってかなりポストモダンだな。なんとなくニューアカとかのせいでポモは80年代という謎イメージができていたけど。
70年代の美術批評言説を洗ってみると、藤枝晃雄が美術批評のゲームチェンジャーになっている。いわゆる御三家(中原、針生、東野)は反芸術の影響がやはりおおきく、宮川淳もふくめて、言説としては制度論といっていいとおもうけど、70年頃に限界を迎えているように見える。彼らが、作品・作家の傾向を洗いだしてその状況を名付け・問題として明確化していったのに対して、藤枝は個別の作品分析をして、「芸術論」的なものはあとづけででてくるという態度を出している。藤枝と別な傾向としてでてきているのが、李禹煥や美共闘ら若手の実作者が批評言説を繰り出すという状況で、これも御三家にたいする反発がわりとある。
概念芸術というものがでてきて、「オブジェの消滅」みたいなことが言われることで、芸術の本体は知覚にないみたいな論調がでてきたことは、そうした傾向への反発を生みだし、メルロー=ポンティというか現象学が読まれた背景の一つになっている。
1971年の美術手帖を読んでいると、「前号の...でこういうふうに書かれていて」とか「本誌何月号で云々」とかがけっこうあって、こんなふうに相互に参照しあいながら議論が進むような事態が、いまはもう見ないような。
現在の美術っておおかれ少なかれ物語性に依拠するとおもうけど、アクティビズムがやっているのはその物語性を打ち破ることだという気はする。
地方には美術の美の字もないが均質に広がる「風景」があり、それゆえに一発の弾丸が「風景」を切り裂く必要があったのである。
刀根康尚が1971に60年代を振り返って書いているこの文章、もろにメルロ=ポンティの影響があるな。
"ここにとりあげた運動や集団は、(略)既成の表現概念をカッコに入れ、具体的な生活世界に送りかえすことから出発した。(略)このような表現の状況をもたらしたものは、ハプニングにもっとも典型的であるような、表現行為の「生ける現在」への還元によって、表現と生を一致させようという試みであったのだ。 六〇年代芸術の試みが挫折するのは、われわれが「現在」に執着することによって生それ自体のなかに沈殿する歴史を、制度的な形骸と見誤ったことによるだろう。その時、われわれは、表現を現在の各瞬間に分散することによって、生活世界から決定的に遊離した芸術を再生産する他なくなったのである。" 「百花斉放・六〇年代初期」(1971.10)
1971年の美術手帖何冊か買ったら、毎号アーティストのインタビュー記事があるのだけどインタビュアーが足立正生で笑う。そんなふつうにライターやってたのかよ。
「人間と物質」展、もうちょっと調べておきたいが https://note.com/artwritingschool/n/na93e298aa0ad

note.com
「人間と物質」展の真実|アートライティングスクール
1970年に東京都美術館で開催された「第10回日本国際美術展」、通称「東京ビエンナーレ」、あるいは「人間と物質」展は、戦後日本美術史に欠かすことができない重要な展覧会として知られています。それは、リチャード・セラ、カール・アンドレ、ハンス・ハーケ、クリスト、ダニエル・ビュラン、高松次郎、成田克彦、小清水漸、田中信太郎、野村仁、松澤宥ら、後にミニマリズムやコンセプチュアル・アート、もの派といったカテゴリーでくくられることになる、当時新進気鋭のアーティストたちが数多く参加していたからです。 この「人間と物質」展のコミッショナーは美術評論家の中原佑介でしたが、主催の毎日新聞社の事務局として
学食、カツカレーが370円という異常価格
さっきの中平の引用箇所、自分はロラン・バルトっぽいこと言っておるなぁという感じだったけど(バルトがMPから輸入しているのかもしれないが)、中平がMPについてどこかで言及していた気がするが気のせいなのかもしれない。「なぜ、植物図鑑か」の論考をぱらぱらめくってもMPのなまえは見つからない。発想としては共通する基盤からでてきているのはあきらかではあるけど。
みすずの「眼と精神」が1966、「シーニュI」が1969とかなので、サルトルと交替で読まれた、という気がする
まあでも当時もっとも影響がつよかったのはゴダールじゃないかという気はする
メルロ=ポンティは60年代〜70年代にかなり読まれてたっぽいすね。それもけっこう政治的な文脈で読まれていた。
フーコーって五月革命たしかかかわってたとおもうんだけど、フーコーが読まれたかどうかと独立に(宮川はフーコー読んでる)、同時代的な反響としていくつかの現象がピックアップ可能になっている。
"今、少し冷静にふり返ってみると、《PROVOKE》のめざしたものは、写真家の肉声(パロール)の獲得ということであった。それは既存する美学や価値観による制度的に整序された視覚(ラング)に対する肉声による切り込みであったはずだ。むろんのこと、それがどこまでできたかの判定は第三者にまかす他はない。ただオプティミスティックな観測などを私は今一切持ちあわせていない。むしろ《PROVOKE》の獲得したかもしれない肉声などは一瞬の後に制度的な視覚のうちにのみこまれてしまったに違いないのだ" 中平卓馬「記録という幻想」
こういうものいいが、宮川の「影響」を受けたかどうかはまあどうでもいいけど、5月革命の余韻みたいなものははっきりある。
ようするに、宮川の制度論は、70年代美術にとって次のような影響を与えた。美術(表現)と政治(行動)と二元的にわかれた別領域のものがある、というわけではなくて、表現こそがまさに政治的な領域であるから、表現行為は政治的行為である。風景論もこの系譜で把握してよいとおもう。
