tenjuu99(天重誠二)'s avatar
tenjuu99(天重誠二)

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net

批評というもの、論争的テキストによる論争的行為のことだと思っていて、論者の立場など論のなかに込められているから「批評家の立ち位置」など問う理由はないのだけど、論争を成立させるメディアが失われてしまうと、批評というものはアカデミズムなんだかわからない抽象的な立場を取るようになってしまう、と思う。去年出た「批評の歩き方」とかで小林秀雄とかが参照されてしまうのって、批評が論争的な相互テキストではなくて文学的行為だと見做されているためだとおもうのだが、立論内容ではなくて批評的態度こそが批評だみたいなことになる。これは批評だがあれは批評でない、みたいなどうでもいいごにょごにょになるのも、論議の内容ではなく態度が問われているという理解で、論争そのものは発展することがない。 いやすごいどうでもいいことなんだけど...。

tenjuu99(天重誠二)'s avatar
tenjuu99(天重誠二)

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)'s post

1952〜美術出版社がだしていた「美術批評」の復刊に際して北澤憲昭が「批評の初心」なる文章を書いているけど、美術出版社が当初はかなり論争性を意識していたこと。こういう論争性は70年代くらいまでは続いているとおもうけど、近年はもう美術館の広報なんじゃないかくらい、論争的テキストが掲載されることがない。こういう論争的性格がいつころ失われたのかはまだ把握できていないが。 https://www.yumani.co.jp/np/isbn/9784843342817