松田政男の『風景の死滅』を読んでいたら、連続殺人事件を起こした永山則夫のような人物に革命の主体を見いだしていておもしろかった。ちゃんと追いたいところ。宿題が増える。

tenjuu99(天重誠二)
@tenjuu99@hollo.tenjuu.net
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読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など いろいろ雑につぶやいています SPACE NOBI というアートスペースやっています
- SPACE NOBI
"彼は市長選の公約に「ビリオネアの追放」を含めていないものの、市の家賃規制の対象となる住宅の賃料の凍結、市営バスの無料化、保育の無償化を掲げている。その財源は、所得税の最高税率の2ポイント引き上げや、法人税率を現行の7.25%から11.5%へ引き上げることでまかなう構想だ。"
興味深い。この選挙の行方は注目したい
「ビリオネアは存在すべきでない」と主張のNY市長選候補、マムダニ阻止に巨額を投じる富豪26人 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン) https://forbesjapan.com/articles/detail/84034

forbesjapan.com
「ビリオネアは存在すべきでない」と主張のNY市長選候補、マムダニ阻止に巨額を投じる富豪26人 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
11月4日に投開票が行われる米ニューヨーク市長選の最有力候補とされる急進左派の民主党候補、ゾーラン・マムダニ(34)は、「ビリオネアは存在すべきでない」と主張している。その発言に反発した富豪が、彼の当選を防ごうと自らの財力を用いている。NY...
@seki_takanao つぎは nobi に行く
山しばらく行ってないけど、行くときはもう熊スプレー持っとかないとな...
最近の熊害について都市計画の失敗にちゃんと触れていてよい
https://encount.press/archives/884641/#

encount.press
「クマ鈴は逆に危険」専門店が警告 東京23区内「いつ出てもおかしくない」 多摩川が通り道に
全国各地でクマによる被害が相次いでいる。今年度のクマ被害による死者数は全国で12人(10月28日時点)と、統計を取り始めた2006年以降で過去最悪に。人を食べる目的で襲った食害のケースも複数報告されている。そんな中、注目が高まっているのがトウガラシなどのカプサイシンを主成分としたクマ撃退用スプレーの存在だ。クマスプレーからライフルまで、さまざまな狩猟・アウトドア用品を取り扱う専門店「トウキョウジュウホウ」の担当者に、クマスプレーの効果や普及状況、クマ問題の根本原因を聞いた。
山本浩貴さん登壇のこのようなシンポジウムがあるとのこと。
シンポジウム「時代のプリズム1989-2010:今日の展覧会実践と美術批評における影響のスペクトラム」
開催日
2025年11月 7日(金)
時間
15:00~17:00(14:30開場)
会場
国立新美術館 3階講堂
時代のプリズム:日本で生まれた美術表現1989-2010
入場無料だけど展覧会半券要。
https://www.nact.jp/event/2025/006230.html
nact.jp
シンポジウム「時代のプリズム1989-2010:今日の展覧会実践と美術批評における影響のスペクトラム」 | イベント | 国立新美術館 THE NATIONAL ART CENTER, TOKYO
綱領はこっち。「疎外」ってないんですよね。そうすると、「左翼が労働者を相手にしなくなった」んじゃないですかねやっぱり。この綱領、階級闘争理論として成り立ってないとおもう。 https://www.jcp.or.jp/activity/kouryo/

jcp.or.jp
日本共産党綱領 | 日本共産党
日本共産党の公式ホームページ。
共産党の綱領、どうみてもただのリベラル政党の主張であって、共産党の主張ではない。綱領に一言も「疎外」ってワードないしな。
革命理論に忠実であるなら、資本による「労働者の人間化」は、革命意識を麻痺させる阿片でもあるのだろうが、日本共産党にしてもこの手の革命意識はすでに麻痺しているよね。労働時間の短縮がつねに綱領に入っているのは、まさに「労働者の人間化」だとおもうんだけど、でもこれって本来は資本による疎外(=労働者のモノ化)の克服ありきなはずだから、制度的に労働時間の短縮を果たしても、それは資本が労働者を人間扱いするというだけで、革命理論に導かれた必然性はあまりないし、むしろ資本と労働者の関係を誤魔化すイデオロギーになるんじゃないだろうか。日本共産党の綱領あらためて読むと、なんかもう共産主義である理由がほとんどない。 https://www.jcp.or.jp/web_policy/11419.html
資本がなにかしらを疎外する(=モノ化する)ことがいまだにあるのだから(いまでは資本ではなく国家なのかもしれないが)、唯物論と疎外の理論の再構築が必要なんだとおもうけど、日共には期待できないなとおもう。

jcp.or.jp
2025年参議院選挙基本政策/物価高騰から暮らしを守り、平和で希望がもてる新しい日本を | 日本共産党
日本共産党の公式ホームページ。
これ、労働者が資本からモノ扱いされることと、モノ扱いされることの自覚を通して資本主義にたいする革命的主体として立ち上がるということが、左翼のもともとのロジックだったとおもうんだけど、現代の労働者(とくに正規雇用労働者)は資本からモノ扱いされず人間扱いされるため革命的主体にはならない、という話ですよね。いまだにモノ扱いされるのが外国人労働者。 https://x.com/ShinHori1/status/1984853678063534513
アイデンティティと様式の関係は、いがいなほどに根深く、ポリティカルな意識領域でおこなわれているらしい。
岡﨑乾二郎は、自我の脱中心性を抽象の発生する力学として理解して、マティスをこの図式に入れるけど、この図式だけだとマティスのナショナリスティックな性格を見逃すわけだよね。彼があからさまにフランス回帰するのは、抽象が発生する磁場に身を置いていないから。
フォーマリズムや抽象絵画を、国際様式として捉えて、それをヨーロッパ中心主義として批判するのは、かなりあやうい理屈であると知った。戦後アメリカの美術批評が、フォーマリズムや抽象絵画をヨーロッパ中心主義として(ヨーロッパの継承として)定着させようとしたけど、それを内面化してはいけない。
都市における周縁化されたアイデンティティこそ、抽象絵画を生み出す力学で、岡本太郎が日本に帰ってきてからは土着性を探求しはじめたのは抽象を生み出す力学がすでに無くなっていたからだ。彼はヨーロッパにおいては周縁化されたアイデンティティだったと言えるだろうが、日本においては完全にマジョリティである。
彼の過剰なフォーマリズムというのは、たとえば画面のかなり細部に注目して、そこにあらわれる図像的なパターンについて分析する、とかそうしたこと。
こういう方法論は、たとえばパノフスキーが考えたイコノロジーと比較してみることができる。イコノロジーではまず絵画(など)で観察された事実から出発するが、視覚的観察だけでは、首を斬られた男性の図像がユーディットなのかサロメなのか確定できない。それを確定するのは、類型的な図像の歴史的発展を考慮することになるわけで、文化的背景を考察することによって確定することになる。フォーマリズムは、まさにこうした歴史性を切り離して、そこにある絵そのもの・視覚現象から離れない。それは、ある文化の継承者「ではない」からこそ必要となる操作だ。この点において、イコノロジーとフォーマリズムは対立している。
こうしたことを考えて、抽象絵画の担い手に移民がおおかったことなどを想起した。岡本太郎がパリでアブストラクションの運動に身を投じたのは、ヨーロッパの文化的背景を切り捨てて絵画と向き合うことができるためだったし、ロシア人のカンディンスキーがモネの倒立した絵を見て抽象に至ったのも象徴的なことだ。絵を歴史的な文脈から解放することが、抽象の要請にあったわけで、それはヨーロッパ中心主義なのではなく、ヨーロッパで周縁化されたアイデンティティが生みだしたものだ。マティスが抽象に行かずオリエンタリズムに向かったのも同様の理由で、彼はヨーロッパ中心主義を強く内面化しているためだ。
移民二世の美術関係の人と話しをして、その人は平倉圭みたいな過剰フォーマリズム的なことをやっている人なんだけど、そうした過剰フォーマリズムが本人の移民二世と関係あるという話を聞いて、なるほどとなった。
一般的に、美術を理解するにあたってどうしてもコンテクストの理解が必要になり、たとえば日本美術の場合でも日本の美術の歴史を知っている必要がある。おそらく、彼は、ある時期にアイデンティティポリティクスの問いの前に立たされ、日本人として振る舞うのか、台湾人として振る舞うのか思考した結果、どちらでもないものとしての振る舞いを志向し、文脈に依存しない美術理解の方式が必要となり、それがある種のフォーマリズムだった。それは歴史的経緯を立ち切ることができるから、民族的アイデンティティを問う必要がない。
観てきた。
いい時間に行ったみたいで解説もゆっくりしてもらえてよかった。美術鑑賞の習慣がないと、やっぱ一人で観るのは限界……というか不安があるのよな。理屈では自分の感じ方でいいとは思っていても。
これで、トークイベントのアーカイブ動画が観られるぞ。
櫻井崇史「絵を見る会」 | SPACE NOBI
https://space-nobi.net/exhibition/2025/appreciate_pictures

space-nobi.net
櫻井崇史「絵を見る会」
櫻井崇史個展「絵を見る会」2025.10.23(木) - 11.24(月) 開廊時間: 水木 17:00 - 19:00 土日祝 13:00 - 19:00 SPACE NOBI
この等高線、いまnobiで展示している3Dプリント作品にもあるな、分かりづらいけど
以下、日本語意訳。
皆さんのコメントを拝見しています。
その中で最も大きな質問がひとつあります。
「Affinity が無料になった。一体どうしたらそんなことが可能なのか」
当然のご質問だと思います。なぜならもう何十年もの間プロ向けのクリエイティブソフトウェアは高額なものでしたし、いまやサブスクリプション、ロックイン、ペイウォールも当たり前です。
Affinity を無料にした時「そこには何か落とし穴があるはずだ」と何人かの方がおっしゃいました。
ここで、はっきりさせておきたいと思います。
そこに、何の落とし穴もありません。
私たちは皆さんの情報を売ったり、皆さんのファイルを AI のトレーニングに利用したりすることはありませんし、あなた方の創造性を裏でマネタイズすることはありません。
あなたの作品は常にあなたのものです。
ではなぜ無料にしたのか。
それは私たちが、すべてのデザイナーがご自身の技術や創造性を尊重するツールにアクセスする権利があると考えているからです。
そして、デザイン業界そのものが「門番制(Gatekeeping)」から「寛容さ(Generosity)」への変化を求めているからです。
私たちは Canva で持続性のあるビジネスモデルを作ってきたことにより、(Affinity の)プロダクトの質や信用を損なうことなく皆さんに提供するサポートが可能になりました。
これはマーケティング戦略ではありません。
長い時間を見据えた創造の自由に対する賭けなのです。
Affinity は常に公平さ、選択、独立性、そしてプロレベルの機能を主張してきました。
Affinity と Canva は、世界にデザインの力の届けるというミッションを共に共有しています。
Affinity を無料にすることでそれをさらに推し進め、これまで以上により多くの場所でより多くの人々に創造性を届けられるようになるのです。
(たしかに)Canva プレミアムに登録いただいている方は Affinity の中で Canva AI やその他の Canva の機能にアクセスいただくことができますが、皆さんに馴染みがあり愛してきてくださった Affinity のプロ向けの機能とその今後のアップデートは永久に無料です。
そしてこれらのことすべては Canva にも意味のあることなのです。
Affinity を使用するプロの方が増えれば、Canva を使用するチームも増えることになります。
ビジュアルワークフローを牽引するのはプロのデザイナーです。
その皆さんに Affinity を使っていただくことで Canva もスケールし、そのマーケティングのツールはいずれ販売やその他のビジネスに広がっていきます。
これが私たちが思う成長の形です
わたしたちは信頼というものが自動的に得られるものではなく、行動や実績を通して徐々に築かれるものだと知っています。
ですからぜひ質問してください。たくさん試してください。
私たちをより高い基準に押し上げてください。
それが私たちの望みです。
クリエイターによる、クリエイターのための Affinity
近美の「記録をひらく 記憶をつむぐ」展も、外国人観光客とか在日外国人を意識した展示構成で、円安のインバウンド需要も関係しているとおもうんだけど、これまでの日本語りが日本の独自性・純粋性の強調にかたむきがちだったのに対して、日本という場が統合された一枚岩のようなイメージではなく、もっと穴だらけの多孔質なモノとしてプレゼンテーションされていくのは良いことだとおもう。
いちばんおもしろかったのは、島袋道浩の「ヘペンチスタのペネイラ・エ・ソンニャドールにタコの作品のリミックスをお願いした」という作品で、これだけでももういちど見にいきたいくらいだ。作品にポルトガル語の字幕つけても現地の人に字が読めない人もけっこういるからという理由で、現地のラップみたいなことやってるオッサン二人に映像の解説をしてもらうという。「シマブクは日本で生まれた漁師、釣りのことをよくわかってる。おれの妹をやってもいい」みたいな調子でずっと歌ってて、まじで笑う。
この展示は、1990年代以降のグローバリズムをよく反映していると言えるし、逆に椹木はグローバリズムへの反発から出発して、ありがちな保守回帰に陥っている。
@seki_takanao おつかれ
「時代のプリズム」は、比較対象に椹木野衣企画の「平成美術」を据えるとわりとの視点が際立つ。対象とする期間もかなりかぶるし、コレクティヴィズムの動向を追うという意味でも類似するのだけど、椹木が一国内の自閉的な歴史を描こうとしてしまうのに対して、「時代のプリズム」は平成年間の日本の国際的な交流のなかで生じたものを扱っている。 柳幸典の The World Flag Ant Farm はこの展示のコンセプトを象徴する作品だと言えるろう。砂で作られた各国の国旗を、蟻が這いまわって壊していく。この作品は国家間での交流による相互浸透の過程のようにも見える。「時代のプリズム」が扱うのは、まさにこうした事象で、オルタナティブスペースによる海外アーティストの招聘の紹介をプロローグに置くのは、それ以降の美術が国際交流のなかでの相互浸透的なプロセスであることを示そうとする意図があるとおもう。椹木にはまさにこうした視点がなく、確固たる日本のイメージを構築しようとしてしまう。柳が蟻の通路を作ることで、国旗のイメージが溶解させたような、そうした外と通じる通路が椹木には存在していない。
「時代のプリズム」はけっこうおもしろかった。富井玲子が元ネタだろうとおもってたら完全にそうだった。
高市、軍事費を増やすってまじでどこから持ってくるつもりなんだ。減税とかやりようがないと思うんだけど。
@novik_st 反射的な嫌悪感を覚える人がいるのはそのとおりで、その嫌悪感の原因を高市の振る舞いに見出す言説が一定存在していることが、厄介だなと感じますね。




