tenjuu99(天重誠二)'s avatar

tenjuu99(天重誠二)

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読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など いろいろ雑につぶやいています SPACE NOBI というアートスペースやっています

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清太の父、海軍大尉とかで清太じしんも旧制中学に通っていたとか、社会のエリートで、いじわるだったおばさんとかにはたぶん庶民的なルサンチマンがある。清太がそこに適応できないのは、戦争とか庶民のルサンチマンがわるいとかというより、階級意識的な問題なんじゃないかとおもうけど、戦争やっていなくてもこういうギスギスした関係はある。清太の自己責任に見えるようなフレームは作品がそもそも用意している気はする。

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)

火垂るの墓、さいごに見たのもずっと昔なのでいまみたらぜんぜん違う感想がありそうな気はする。 清太の自己責任論、清太が「自己責任でない」場合は、

  • 戦争がわるい(政府がわるい)
  • おばさんがわるい

みたいなことになりそうなんだけど、どちらも作品からすれば微妙な議論な気はする。「誰も悪くない」は日本っぽすぎる。

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@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)

vivaldi を使っていて、広告ブロックもしていないんだけど、広告を見たいわけじゃないんだよ。

広告用モーダルから「こちらをクリック」を押下した結果。画面がぼやけているだけで広告は表示されない。vivaldiにて表示。
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広告用モーダルから「こちらをクリック」を押下した結果。画面がぼやけているだけで広告は表示されない。vivaldiにて表示。

jiji.com の記事を開くと「サービス継続のため広告の閲覧にご協力をお願いいたします この広告は一度ご覧いただくとその後しばらく表示されなくなります。」というモーダルが表示される。「こちらをクリック」を押下すると、もう一枚のスクリーンショット(画面がぼやけているだけ)になる。vivaldiにて表示。
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jiji.com の記事を開くと「サービス継続のため広告の閲覧にご協力をお願いいたします この広告は一度ご覧いただくとその後しばらく表示されなくなります。」というモーダルが表示される。「こちらをクリック」を押下すると、もう一枚のスクリーンショット(画面がぼやけているだけ)になる。vivaldiにて表示。

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net

web記事を呼んでいると広告閲覧に協力お願いする旨のモーダルが表示されるので、「こちらをクリック」でクリックすると、webページがボヤけるだけで広告が表示されない。それで記事も読めない。たぶんブラウザを変えたら広告を見ることができるんだろうけど、わざわざ広告を見るためにブラウザを変えようというのは、さすがに倒錯しすぎていると感じる。

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net
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@tsysoba@toot.blue

今朝放送の日曜美術館「戦後80年 戦争画と向きあう」 nhk.jp/p/nichibi/ts/3PGYQN55NP を録画してあったのをやっと見た。
東京国立近代美術館の「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」 momat.go.jp/exhibitions/563 を中心に、従軍画家として、戦争画を多数描いた宮本三郎について、孫の宮本陽一郎氏(放送大学特認教授)をゲストにしつつ取上げるという趣向。

宮本陽一郎氏といえば、放送大学の「アメリカの芸術と文化」 bangumi.ouj.ac.jp/v4/bslife/de がべらぼうに面白かったこともあって、期待していたのだけど、大正解。正直、もっと宮本先生の出番を増やしてくれ、という気持ちに。
特に終盤、祖父宮本三郎に答えを求めることができない、ということ自体が大事なのであって、戦争での死者の思いも含めて、問うても答えが帰ってこないことを問いかけ続けることの重要性を語っていたのが印象的だった。

9月28日(日)20時から再放送予定。

bangumi.ouj.ac.jp

アメリカの芸術と文化(’19)|放送大学

大衆を巻き込んでポピュラーな展開を見せた20世紀アメリカの文芸、美術、音楽、映像の諸例に幅広くふれながら、現代という時代がいかにして立ち上がり、どのような方向性をもって進展してきたのかを考察する。

@seki_takanao@fedibird.com

そして、これは店内を歩くアヒルの写真です。

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)

クラウドインフラ系のムーブメント、ほとんどはAWSを背景にしてきたように思う。dockerとk8sはそうではなかったとおもうけど、その需要を吸収してしまったのはさすがに見事だった。

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net

AWSのボイコットが困難すぎるの、既存インフラの移行が困難というだけではなくて、労働市場が形成されているからで、AWSの認定資格だのなんだのがあったり固有の知識が価値あることになってしまっているんだよな。じっさいにAWSはわかりやすいわけでも使いやすいわけでもない。なのに需要がおとろえないのは専門的な知識を壁にして、その壁のなかでAWSのインフラが再生産されるから需要がなくならない、みたいなサイクルがあるとおもう(ここで「専門的な」は「AWSに詳しい」くらいの意味でしかない)。

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)

実際問題として、amazonを使わないことは可能だが aws を使わないことはかなり困難な状態で、会社で aws 使っていて向こうが営業に来たりする場合、「御社はイ国にAIおよびインフラを提供していますよね、明日から利用を止めさせていただきます」とはほぼならない(そういう企業はあるんだろうか?)。インフラの移行コストがかなり高いのもあるし、独占(に近い状態)の効果でもある。独占的な資本は権力として機能してしまう。

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)

というか、googleもアマゾンもイスラエル支援企業なんだから、「イ支援企業をボイコットするのであればgoogleもAmazonも使うのは矛盾」みたいな物言いはかなり罠で、それこそまさに「資本が商品販売・購入という過程を通じて消費者を支配する」ことにほかならない。アマゾン使っても、アマゾンの悪口を言い、嫌がらせをすることはやめるべきでない。awsやgmailをやめることが難しすぎるという問題はあるんだけど...。それにしたって資本による独占に問題があるのであって消費者に問題があるということではない。

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net

昨日くらいから(?)ボイコットの話でいろいろ考えるけど、やっぱり個人の消費者が「悪に加担する」ことの是非はどうでもよくて、資本が商品販売・購入という過程を通じて消費者を支配しようとすること、およびその過程において資本が自己の善なるものとして提示すること、この二点があるからボイコットという活動に意味が与えられるんだなと。消費者として支配されることへの抵抗としてのボイコットと、対象の善性を打ち砕くネガティブキャンペーンとしてのボイコットとは似たような話であるが別な次元の問題でもあり、後者はより攻撃的であるが、前者もまた重要性あるとおもう。

@hhvm@fedibird.com

個人的にはボイコットは経営陣への怒りと共にあるべきだと思います。共有すべきは個人がいかに倫理に最適化されているかではなく、怒り💢💢💢!!!!俺がマクドナルドのポテトを食えないのは!!!!!マクドナルドの経営陣がクソ野郎共(イスラエル)の残虐に加担しているせいだ!!!!!!

@novik_st@ak2.suzu-ya.info
だって、イスラエル支援企業のボイコットリストとか見てると、お前今すぐインターネットやめろって言いたくなっちゃう。
@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)

倫理的なニュアンスは必要で、それは企業に対する要求事項が「もっと倫理的に行動しろ」という要求だからだと思う。消費者に対する倫理的要求になるとかなり無理がある。

@imdkm@fedibird.com · Reply to imdkm

加担を問題にすると、多かれ少なかれ我々はなにかに加担してしまっているのだから、という程度問題になってしまう。特定の目標がある運動だとすれば、whalaboutism はおいといて、ここに的を絞るのがとりあえずは次善策だという戦略と運用の問題になる。BDSは実際そういうふうに設計されているわけだし。

@imdkm@fedibird.com

ボイコットは明確な目的を設定した能動的なアクティヴィズムなのであって、個々人が「悪」に加担するかどうかという倫理的な選択の話にするとなんかズレてくる気がする。もっとも、「あなたはこれに加担するんですか?」という倫理的な問いが人を動かしやすいのも事実で、自分もそういうモチベーションで動いていないわけではない。だとしても、ボイコットは悪から自分を切断するための保身ではなくて運動なんだという大前提は忘れてはいけないのではないか。