tenjuu99(天重誠二)
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沖縄が避暑地らしい。

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読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など いろいろ雑につぶやいています SPACE NOBI というアートスペースやっています
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沖縄が避暑地らしい。
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あとでよむ いま改めて問う、美術は戦争をどう描いてきたか──「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」(東京国立近代美術館) |美術手帖 https://share.google/DgBPNxbZLtCLWn2nJ
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flexboxのレイアウトしたいときにtailwindのクラスを調べなくてはならないとか不毛すぎるんだけど。
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tailwindキライ
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なぜ『左翼』は衰退したのか? https://youtu.be/VYmg45vQ8vs?feature=shared
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ずっと積んでた『戦争と美術 1937-1945』の論考をようやく読みはじめたけど、針生一郎の文章がおもしろい。藤田の『アッツ島玉砕』を観たとき、針生は右翼学生だったらしいが、この絵を「わるい、わるーい」絵だと直感したらしい。
"荒涼とした北海を背景に、どす黒い肉体と死骸がはげしくもつれあい、銃剣をふりかざして米兵におそいかかる日本の将兵の中央で、山﨑部隊長が八面六臂ともいうべき激闘を続ける。凄惨苛烈な殺しあいの光景をこれでもか、これでもかとばかり描きこみながら、作者の魂はまったくここに関与していない。彼は野次馬の嗜虐的な興味に駆られてこのむごたらしい場面を描きながら、その効果をニヒルに、偏執狂的にたのしんでいるだけだ。しかも、それによってこの絵は、戦争末期のデスパレートな心情に通ずるものがあったのだ。"
@do_dling@fedibird.com
国書刊行会が《図録代わりにどうぞ》とうそぶく、これが『改訂版 戦争と美術 1937-1945』か…
https://www.kokusho.co.jp/np/isbn/9784336061164/
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東かがわ国際芸術祭とかいう怪異すごすぎる
@gon_gitsune@mastodon.online
「観光」を通して見えてくる帝国日本の「満洲国」支配の様相と「まなざしの交錯」~高媛『帝国と観光:「満洲」ツーリズムの近代』(岩波書店)
https://note.com/meuniere2008/n/n89a9435d6f91?sub_rt=share_pw
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高階の弟子に田中正之さんとか林道郎がいて、このへんが90年代から2000年代にアメリカフォーマリズムの伝導者をやっていたわけで、批評空間派よりこっちの系譜が問題化されるべきだとおもう。
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知らんかった
@on1000mark@fedibird.com
東京国立近代美術館の「記録をひらく 記憶をつむぐ」展のキャプションはPDF公開されてておおよその展示の意図を掴むことができる
https://www.momat.go.jp/wp-content/uploads/2025/08/caption-Opening-Documents-Weaving-Memories.pdf
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『日本近代美術史論』で最初に高橋由一に驚いてみせるわけだが、それにしてもヴァルールの欠如と空気の欠如を由一の絵に見いだして、西洋美術にはこんな感性はないという。褒めているようにみえても、高階は西洋に対する欠如として日本を扱う。近代のなり損ねみたいな、まさに戦後日本という感じの論点なんだ。
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高階秀爾批判、誰かまじめにやったほうがいいと思うけど、たぶんいままで行われていないんだよな。
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日本におけるフォーマリズムの「輸入」は藤枝とか批評空間のグリーンバーグとかだけじゃなくて、それより前に高階秀爾があるわけよね。この人が美術史を固定的に展開するものとして、近代美術とは造形そのものを目的化したものだとした。日本における「非政治的なフォーマリズム」と言われるものの元凶は高階秀爾だと思う。高品による岡倉覚三についての記述とかも、脱政治的な記述をいくつも指摘できる。
@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)'s post
鉄斎とセザンヌの比較はおもしろいんだけど(これは高階がやっていることではない)、それを高階は既成の美術史の枠組み(というか一般的な西洋美術史の枠組みそのもの)と比較して、ヨーロッパ美術にたいする欠損として処理する。そういうのがどうしようもなさすぎる。
@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)'s post
富岡鉄斎の研究者が、鉄斎をセザンヌに比しつつ、鉄斎は後継者を持たなかったが故に日本の近代美術は細くなったとする説を紹介しつつ、高階は鉄斎は画家であることと儒学者であることが一体であったがセザンヌは純粋な画家だったとする。
"そして、その点にこそ、鉄斎が後継者を持たなかった最大の理由がある。なぜなら、近代美術は、就中近代絵画は、西欧のルネッサンスが作り上げた総合的な人文主義的世界から造形性のみを独立させたところにはじめて成立するものだからである。"
自律的造形性こそが近代美術だという、こういう「教科書」っぽい説を流布させたのは高階秀爾なんだろうけど、いやーどっからどう考えても近代美術の出発点にあるのは近代社会の表現ですよ。クールベ、マネ、印象派から後期印象派まで、近代化した社会、その近代化のなかの「私」みたいなものが主題であって、それはセザンヌにしたって例外ではない。自律的な造形性こそが美術のコアだとしはじめたのは、20世紀にはいってからで、マティスやキュビスムの登場がそれでしょ。セザンヌが20世紀芸術へのちょうど橋渡し役になっているのは認めるが。
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つづけて高階秀爾の『日本近代美術史論』も読んでいて、ちょっと見直したところはあるけど、やはりこの人の本はおもしろくない。なんだろうな、このおもしろくなさは。
@tenjuu99@hollo.tenjuu.net
近代画説、1冊をのぞいて全巻揃いで売ってるのめちゃくちゃ心惹かれる...
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土方定一『日本の近代美術』読了。おもしろくて一気に読んでしまった。通史的な語りだけどかなり個人的な印象・批評も含めていて、読ませる文章だった。そのときどきの芸術家たちが置かれていた問題意識を的確に抉りだしつつ、これだけコンパクトな通史を描きだすのはすごい。
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@c_ssk@fedibird.com · Reply to ちきささ🍉's post
本書を読むと、森達也に代表されるような「普通の市民が集団心理によって豹変して虐殺に荷担した」というイメージの問題点もはっきりする。その理屈には、具体的な国家や社会が不在なのだ。
いくら差別意識が蔓延していようと、大災害によって極限の心理状態にあろうと、やはり人を殺すのは並大抵のことではない。それも大量に殺害するためには、国家による人員的、物理的、心理的な"後押し"が不可欠であった。
これはハンナアーレントの需要のされ方にも感じるのだけど、具体的な背景を取り除いて普遍的な人間心理の問題(人間は誰もが虐殺に荷担しうる)に注目する手法が好まれるのは、個々人の心構えで戦争や虐殺を予防できるように感じさせるからではないか。
しかし、現実の虐殺や戦争はどう考えても国家と切り離せないわけで、国家を変えなければ世界は変えられない。いつのまにか巻き込まれないよう"心構え"として重要なのは、動員されないこと、動員が動員であると気づくことだろうが、そのために有効なのは内省よりも政治行動や学習だろう。
「自分も差別する側に回ってしまうかも」と内省することはまあ重要だが、「差別する」ことと「虐殺する」ことには大きな距離がある。そこを混同して語るのは、暴力の物理的な側面を軽く考えすぎだと感じる。
@c_ssk@fedibird.com
藤野裕子『民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本近代』読了
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2020/08/102605.html
あまりにカッコいい書名なので(?)手に取ったのだが、内容はもっとすごかった。
明治初期から関東大震災までの時期に起きた、民衆による大規模な暴力行動を軸として日本の近代史を解説するもの。一見「反権力」的に見える事件と、関東大震災時の朝鮮人虐殺をあえて分けずに「民衆暴力」と呼ぶことによって、反権力的に見える暴力行為にも実際は多様なメンバーが多様な動機で参加していたことを解き明かしているのが特徴。
朝鮮人虐殺については二章に渡って取り上げ、背景となった社会状況と、加害者たちが暴力行為に至る心理的な背景を解説している。
在郷軍人会や青年団が国家に認められた民間暴力組織として地域に根差していた点、三一運動以降、朝鮮人民の反撃に対する潜在的な"恐怖"が統治機構側に広がっていた点、自警団に参加した男たちのマチズモ、義侠心文化、そして暴力行為を行うことによって残虐さが加熱していく点など、目から鱗が500枚は落ちる内容。これは必読書ですね。
@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)'s post
「繰り返さぬ」ではなく「繰り返されぬことを願い」というのは、天皇が憲法の規定上政治的な主体性を持つことが許されぬ以上やむを得ない表現だと思うけど、原爆が自然災害か何かのように語られることの理由はこのへんにありそうではある。
@tenjuu99@hollo.tenjuu.net
すごく戦後日本という感じ
"過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い"
@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)'s post
いや、そういうことなん??
@tenjuu99@hollo.tenjuu.net
1935年の「現代美術」という雑誌に日本画家の荒木十畝が「日本画の独立」という文章を寄せていて、最後笑ってしまった
国家的な立場からも日本は今や国際連盟を脱退し、ワシントン条約を破棄し、完全な孤立状態である。是は絵画の上に於いても確かに何か関係ある筈である。日本画も混淆した現在の空気から速かに颯爽と独立しなければならない。
@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)'s post
日本画については、戦争加担の議論があまりされていないどころか、そもそも議論の枠組みがほとんど用意されていないように感じる。
@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)'s post
個別作家研究とかはあっても、日本画となると基盤となる議論がぱっと思いあたらないんだよな。古田の論は様式変遷史で、必要なのはわかるが平板であまり工夫がない。
@tenjuu99@hollo.tenjuu.net
近代の日本画をトータルに論じる本、古田亮以外ないのかな