
tenjuu99(天重誠二)
@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)'s post
つづけて高階秀爾の『日本近代美術史論』も読んでいて、ちょっと見直したところはあるけど、やはりこの人の本はおもしろくない。なんだろうな、このおもしろくなさは。
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富岡鉄斎の研究者が、鉄斎をセザンヌに比しつつ、鉄斎は後継者を持たなかったが故に日本の近代美術は細くなったとする説を紹介しつつ、高階は鉄斎は画家であることと儒学者であることが一体であったがセザンヌは純粋な画家だったとする。
"そして、その点にこそ、鉄斎が後継者を持たなかった最大の理由がある。なぜなら、近代美術は、就中近代絵画は、西欧のルネッサンスが作り上げた総合的な人文主義的世界から造形性のみを独立させたところにはじめて成立するものだからである。"
自律的造形性こそが近代美術だという、こういう「教科書」っぽい説を流布させたのは高階秀爾なんだろうけど、いやーどっからどう考えても近代美術の出発点にあるのは近代社会の表現ですよ。クールベ、マネ、印象派から後期印象派まで、近代化した社会、その近代化のなかの「私」みたいなものが主題であって、それはセザンヌにしたって例外ではない。自律的な造形性こそが美術のコアだとしはじめたのは、20世紀にはいってからで、マティスやキュビスムの登場がそれでしょ。セザンヌが20世紀芸術へのちょうど橋渡し役になっているのは認めるが。