
tenjuu99(天重誠二)
@tenjuu99@hollo.tenjuu.net
永山則夫も生産関係から切り離されているのだし(インテリでもアーティストでもなかった)、風景とは生産関係から切り離された主体のまえに立ち現れるイメージであると言ってみたい気もする。
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永山則夫も生産関係から切り離されているのだし(インテリでもアーティストでもなかった)、風景とは生産関係から切り離された主体のまえに立ち現れるイメージであると言ってみたい気もする。
@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)'s post
永山則夫は、労働者というより非正規労働者だけど、いろいろ引っ越しを繰り返す。「略称連続射殺魔」が、永山の「風景」を追い掛けるのは、疎外を追体験するというか再構築する行為としてあった。永山は労働そのものから疎外されることで転々とし、どんな場所も棲みつくための土地ではなくなる。風景とは自分を受け入れない場所でもあり、永山は生産関係から切り離されているからこそ、あらゆる場所が風景でしかなかった。