ギャラリーに入室する前におわってしまう展示感想vlog見てみたくはある

tenjuu99(天重誠二)
@tenjuu99@hollo.tenjuu.net
200 following131 followers
読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など いろいろ雑につぶやいています SPACE NOBI というアートスペースやっています
- SPACE NOBI
しっかり感想動画にすると、Xに載せられる分数ではギャラリーに入室すらできないことがわかってきた
政治的なvlog
更新しました
嶋田美子・山本れいら・みょうじなまえの3人のアーティストの作品を通じて家父長制的ナラティブに挑む展覧会です
「元始女性は太陽だったのか?」展に行くvlog #政治的なvlog
https://youtu.be/crJRVdGIwXQ?si=V18c-_ppLEd3UEqh @YouTubeより

youtube.com
「元始女性は太陽だったのか?」展に行くvlog #政治的なvlog
#vlog #政治的なvlog #呉樹直己 #現代アート #アートギャラリー #天王洲アイル ◆◆◆クィアなADHDがよりよい生活を試みる日々を記録していきます。2020年8月から、双極性障害の「先生」と共同生活中。保護猫もいます。チャンネル登録・高評価・コメントよろしくお願いします。X(Twitter):htt...
投票してきた
マイナンバーカードを発行して10年経ったので再交付になりました。けれど、マイナンバーカードをもらうためには身分証明書が必要になります。そこで問題です
マイナ保険証にしてマイナ運転免許証にした人は、マイナンバーカード再交付でカードを受け取るための本人確認証明書は、何を使ったらいいのでしょうか?
いや、全部マイナンバーカードにしたら、再交付で自分自身の証明ができなくなるって本末転倒すぎだろ。なんでもマイナンバーカードに一体化させようとしているヤツは、ホントにバカじゃねーの
こんな茶番で人死ぬの本当に許せない。
思考と判断はやっぱりいまのAIにはできないけど解釈はできる、とか思ったけど、そもそも対話型のUIではなくて自律的なエージェントにしてしまえば、判断はなにかしらの形で行うのだから判断能力がないわけではない。
プログラマーは代用可能だと見做されているから生成AIが入ってくるわけだけど、アートは代用不可能性が商品価値の根拠ともなっている。
AIアートって、範囲のとりかたがむずかしい
イラストレーターにとって生成AIが脅威なのはまちがいないとおもうけど、そこで生じるようなイラストの代替物をアートだと考えるのは一部過激派をのぞいて存在しない。代用品は代用品で構わないから、その代用品をつくるのが人間であろうと機械であろうと構わない。アーティストがこの意味での代用品を作ることはないから、生成イラストがアートと見做されることはその危険性から存在していない。アートが自己を代用品にならないものとして自己定義する点において、生成AIはなんの影響も与えていない。
しいていえば、AIを写真やチューブ入り絵の具と同じような技術というか道具とみなそう、というのは、芸術の分野だから言えそうなプラグマティックな感覚が実はある気もする
この雑言及をした人は、こんな話題にも雑言及しています
たとえばストリートアートがうまれるのに必要な「技術」として、ビルの壁を建てたり、電車のボディをつくったりするインフラ的な技術は想定されないし、素早く走るためのスニーカーをつくる技術も想定されないだろう、などと……
https://www.freethink.com/robots-ai/is-the-disruption-caused-by-ai-art-actually-new-or-does-it-just-feel-new 読んだ。元ネタを読まずにとりあえずSNSで好きなこと喋る自分が生成AIみたいだと思ったかとかはともかく、記事における「技術」と「芸術」の範疇がやっぱりたんに恣意的なのではみたいな感想だった。あとは一種の進歩主義史観だよなぁとか。

freethink.com
Is the disruption caused by AI art actually new, or does it just feel new?
From paint in tubes to typewriters to photography to digital art, the history of creativity is a history of disruptive technologies.
あと、ベンヤミンは歴史を逆撫でにするような議論をしようとしたのだから、その点ではいまベンヤミン的な議論を反復してもたぶん逆撫でされるものがない。
この恣意性が偶然的かどうかは考えるに値する気はする。技術とアートのカテゴリーの幅のとりかたって、その論者の世界観の主張になっているわけだから、その世界観までとりだして議論したほうが有益ではある。
「技術」も「アート」もそれぞれの範疇が恣意的になってしまうが
技術とアートの関係、ある時期においては、アートとは技術に先行するものだという考えが採用されたり(たぶんヴァレリーとかがレオナルド・ダ・ヴィンチについてそのように論じているし、デッサンが発明されることでアイデアに飛躍がありつつ実現可能性が担保される、みたいな議論がある)、他の時期においては、技術が古びることこそアートとして考察される条件だと議論されたりする(ベンヤミンが写真を論じた理由がそれで、それをうけてクラウスもポストメディウム論を出している)。
こうした「芸術の歴史」に組み入れられなかった数多の技術があること、技術だけあっても芸術は生まれないこと、なんらかの表現とあたかも必然的に結びついているかのように見える技術(≒プロダクト)もあれば、たまにアーティストの気まぐれによってアートの世界に顔をだすにすぎない技術(≒プロダクト)もあること、など、さまざまなもやもやが脳裏をよぎった
これ、16bitセンセーションを見たときにも思った。
---
> 芸術の歴史はテクノロジーの歴史であり、人間が新しいアイデアを伝えるために、進化する道具によって能力を増強してきた歴史なのだ。
> 19世紀にチューブ入りの絵の具が絵画を民主化し印象派を生み出したのに対し、缶入りの絵の具は1970年代にストリート・アートの台頭をもたらし、(...)新しい世代のアーティストを生み出した。1985年、アンディ・ウォーホルは、デジタル・アートがクリエイティブ・ツールの次の進化を遂げ、「グラフィティ・キッズの後を継ぐだろう」と予言した。彼は正しかった。絵の具を使わずに描くデジタルアートは、間違いなく絵筆以来のアートの飛躍であり、(...)それを冒涜ではなく、創造的な大いなる力と見なした。(...)技術革命の後に創造的な進化が続き、機械や道具が想像力と競合したり取って代わったりするのではなく、想像力を増大させる(...)芸術の歴史はテクノロジーの歴史であり、人間が新しいアイデアを伝えるために、進化する道具によって能力を増強してきた歴史なのだ。
> アーティストたちは、作家、画家、プログラマーなど、好みのメディアによって自分自身を定義することが多いが、これらのツールは、人間の知性とその最も価値あるアウトプットである創造性を包むラッパーにすぎないことを忘れてはならない。これらのツールが進化すれば、多くの場合、自己表現が容易になる。その手軽さを怠慢と混同したり、新しい創造的な媒体が古いものよりも価値がないという証拠とするのは間違いである。ある新聞読者が1897年、タイプライターのラブレターを擁護するために編集者に宛てた手紙の中で書いているように、古い技術には往々にして経年変化による「感傷的な魅力」がある。
---
Is the disruption caused by AI art actually new, or does it just feel new?

freethink.com
Is the disruption caused by AI art actually new, or does it just feel new?
From paint in tubes to typewriters to photography to digital art, the history of creativity is a history of disruptive technologies.
SNSが自警的世界観になってしまっているのがそもそもおかしくて、批判すべきなのはプラットフォームと、それと結託するデマ屋・扇動家みたいな存在だとおもう。
もとの林原めぐみをSNSで断罪することに意味がないって話はSNS疲れたってだけの話でしかないとおもうけど、そこからリベラリズムとか排外主義とか政治の話に飛躍しているから理屈の立て方がそもそもおかしくなる
排外主義と排他的行動の混同とか誤用でしかないけど、仮にも批評やっている人(でいいんだよね?)がそういうのでいいの?
先のツイートが理解できなくはないというのはSNSで林原を過剰に責めたてることにあまり意味が見出せないという点。
表現の自由を認めるなら差別表現も認めるべき、という粗雑な論理のパラフレーズを雑に行っているようにしか思えませんが……
https://x.com/shunnnn002/status/1933700291935023327




