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読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など いろいろ雑につぶやいています SPACE NOBI というアートスペースやっています

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[展示のお知らせ] SPACE NOBI では、10月23日(木)から11月24日(月・祝)の期間、櫻井崇史「絵を見る会」を開催します。是非ご覧くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

https://space-nobi.net/exhibition/2025/appreciate_pictures

2025.10.23(木) 〜 11.24(月・祝) 月火金休

開廊時間: 水木 17:00 - 19:00 土日祝 13:00 - 19:00(最終日含む) ※ただし、10月26日はイベントのため17時閉廊

櫻井は、3D空間上にスキャンされた粘土を支持体として絵を描いています。櫻井の画面に現れる抽象的な黒い背景、3Dとしてスキャンされた粘土、描画されたイメージという関係は、通常の絵画における描画行為が、支持体を被覆するようにイメージを形成するものであるという関係性を、メタ的に言及しつつ脱臼させています。また、3D空間内での描画行為の明示によって、コンピュータグラフィクスであると同時にアナログな絵画であるという、奇妙なユーモアを生みだしています。

櫻井は、従来から自宅やオンラインなど多様な発表形態を模索しており、本展覧会においても、「絵」をめぐる制度的な問題を批判的に検討し、デジタル時代の発表形態を展開しています。

本展会期中の10月26日(日)にはトークイベント「制度、絵、デジタル」(ゲスト: gnck 有料・予約制)、11月15日(土)には、明源と櫻井崇史による図像観察ワーク「絵をさわる人をさわる--絵の内在的観察」(無料)を行ないます。

どうぞご期待ください。

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これ、美術の批評とかもいっしょだな。1930年代からあるとはおもわないけど、60〜70年代はかなり展覧会が増えて批評のニーズがあり、なんとなくの「流れ」みたいなものが把握できる装置として美術手帖とかがあったとおもう。いまも展覧会大量にあるんだから批評のニーズというか「"今"をわかった気にさせてくれるような論考」へのニーズはあるとおもうんだけど、それができなくなっている。なぜなのかはよくわからない。 https://x.com/muselmann1942/status/1964629764658041062

Twitterのスクリーンショット。石橋直樹氏による「読み手より書き手が多く、書き手も読み手も追い切れない」という問題提起に対して、日居月諸氏が大澤聡『批評メディア論』を援用して1930年代に時評が流行ったのは、膨大な本を読者に代わって読んでくれる人が求められたためだと論じている。
ALT text detailsTwitterのスクリーンショット。石橋直樹氏による「読み手より書き手が多く、書き手も読み手も追い切れない」という問題提起に対して、日居月諸氏が大澤聡『批評メディア論』を援用して1930年代に時評が流行ったのは、膨大な本を読者に代わって読んでくれる人が求められたためだと論じている。
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結局、戦後史を学ぼうがなんだろうが、植民地主義の反省がなければ、感情を害する話と矮小化されるだけ。明治維新後からの日本帝国主義の問題と、現在を照らしてその類似、いまだに保持される差別を学ぶ必要があるのではと思う。

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実際に沖縄への修学旅行にて、祖父が沖縄戦で亡くなったことを理由に、平和学習にて語り部を聞くことを拒否した学生がいたとのこと。↓の動画は大変不快なものなので視聴注意です。
youtube.com/shorts/Zbq1b4D9kjg

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仮に沖縄戦後史の学習体系が整備されたとして、次の歴史修正主義的なアプローチとして、特攻隊や、日本兵の親族の「語り」が利用されるだろう。「自分の曽祖父は、戦争の犠牲になった」「おじいちゃんも苦しんでいた。」それが「違う視点」として持ち出される。

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🟦サユリ🌴T.H.🟦

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米での韓国系工場建設で拘束された人達の記事、長いのでたたむ。

ジョージアのヒュンダイとLG合弁のバッテリー工場で拘束された人達は475人。(日本人3人を含む)
拘束中の様子の韓国メディアの記事を翻訳にかけてみた。

(以下引用)

腰と手を一緒に縛られた状態では、水を飲むにも頭を下げてなめるようにするしかなかった。仕切りのないトイレには下半身を隠す布が一枚あるだけだった。拳ほどの穴からほとんど日差しは入らず、わずか2時間だけ小さな中庭に出ることが許された。8日間、米国移民当局に拘束された労働者とその家族は、2025年、平凡な韓国人として暮らしてきて想像したことのない人権侵害と不条理を伝え、衝撃を訴えた。

現代自動車‐LGエナジーソリューション合弁バッテリー工場で行われた不法移民の取り締まりで拘束されていた労働者330人が今月12日に帰国し、拘禁当時に経験した人権侵害の状況が次々と伝えられている。

14日に明らかになった彼らの証言に映し出された収容施設の様子は、衛生、外部との連絡、異議申し立て、状況説明など、国際社会が定めた被収容者処遇の最低基準(ネルソン・マンデラ規則)がすべて崩壊した状態だった。

逮捕の過程からして呆れるものだった。いわゆる「ミランダ原則」の告知など基本的な説明すらなく、誰も状況を正しく把握できなかった。40代のLGエナジーソリューション協力会社の社員、ソ某氏は「自分が逮捕されている状態だとは思いもしなかった。身分確認の手続きだと思っていたら、ある書類にサインするよう求められた」と語った。

また、別の協力会社の社員K(48)氏の家族は「書類に『アレスト』(arrest・逮捕)という文字が目についたので、『これ、やってはいけないんじゃないか』とひそひそ話したが、捜査官たちが銃を持っていたので、とりあえず署名してしまったそうだ」と伝えた。

↓続

”화장실엔 천 조각 하나, 항의도 못 해…우리가 뭘 잘못했나”
hani.co.kr/arti/society/societ

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サトマキ

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これもいきたいとおもっていたのだった。
tokyoartbeat.com/articles/-/pa

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こういう主題で展示をしておきながら、どういう論争をもくろんでいたか作家側の見解・仕掛けがまったく見えないのが、ぬるすぎると感じる

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もう10年も前の展示だけど、キセイノセイキのことはこうして外部でトークイベントやってそれがSNSに一部あるだけで、結局雑誌や本などで文字化されて検証もされなかった。BTに沢山遼による批判があったのだが、そのときはまだ情報がでそろってなくて事実誤認もおおい記事で、それもトークイベントのなかで消化されてしまっている。いや、紙資料におとしこまなくても、作家有志でWebに資料公開できたはずだが、それもやっていない。継続的で相互的な批判が、なんにもなくなっているのが、きびしい。 https://posfie.com/@misonikomioden/p/MeWoIFF

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1952〜美術出版社がだしていた「美術批評」の復刊に際して北澤憲昭が「批評の初心」なる文章を書いているけど、美術出版社が当初はかなり論争性を意識していたこと。こういう論争性は70年代くらいまでは続いているとおもうけど、近年はもう美術館の広報なんじゃないかくらい、論争的テキストが掲載されることがない。こういう論争的性格がいつころ失われたのかはまだ把握できていないが。 https://www.yumani.co.jp/np/isbn/9784843342817

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批評というもの、論争的テキストによる論争的行為のことだと思っていて、論者の立場など論のなかに込められているから「批評家の立ち位置」など問う理由はないのだけど、論争を成立させるメディアが失われてしまうと、批評というものはアカデミズムなんだかわからない抽象的な立場を取るようになってしまう、と思う。去年出た「批評の歩き方」とかで小林秀雄とかが参照されてしまうのって、批評が論争的な相互テキストではなくて文学的行為だと見做されているためだとおもうのだが、立論内容ではなくて批評的態度こそが批評だみたいなことになる。これは批評だがあれは批評でない、みたいなどうでもいいごにょごにょになるのも、論議の内容ではなく態度が問われているという理解で、論争そのものは発展することがない。 いやすごいどうでもいいことなんだけど...。

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富井玲子「オペレーションの思想 戦後日本美術史における見えない手」読了、おもしろかった。「批評」みたいなやたら観念的な立ち位置が出発点ではなく、作家たちの手札を引っ張りだして具体的に記述しているので、やる気あるアーティストにとっては、レシピとしても使っていけそうな本だなとおもう。

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1970年前後ってかなりポストモダンだな。なんとなくニューアカとかのせいでポモは80年代という謎イメージができていたけど。

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70年代の美術批評言説を洗ってみると、藤枝晃雄が美術批評のゲームチェンジャーになっている。いわゆる御三家(中原、針生、東野)は反芸術の影響がやはりおおきく、宮川淳もふくめて、言説としては制度論といっていいとおもうけど、70年頃に限界を迎えているように見える。彼らが、作品・作家の傾向を洗いだしてその状況を名付け・問題として明確化していったのに対して、藤枝は個別の作品分析をして、「芸術論」的なものはあとづけででてくるという態度を出している。藤枝と別な傾向としてでてきているのが、李禹煥や美共闘ら若手の実作者が批評言説を繰り出すという状況で、これも御三家にたいする反発がわりとある。

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概念芸術というものがでてきて、「オブジェの消滅」みたいなことが言われることで、芸術の本体は知覚にないみたいな論調がでてきたことは、そうした傾向への反発を生みだし、メルロー=ポンティというか現象学が読まれた背景の一つになっている。

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1971年の美術手帖を読んでいると、「前号の...でこういうふうに書かれていて」とか「本誌何月号で云々」とかがけっこうあって、こんなふうに相互に参照しあいながら議論が進むような事態が、いまはもう見ないような。

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現在の美術っておおかれ少なかれ物語性に依拠するとおもうけど、アクティビズムがやっているのはその物語性を打ち破ることだという気はする。

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地方には美術の美の字もないが均質に広がる「風景」があり、それゆえに一発の弾丸が「風景」を切り裂く必要があったのである。

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刀根康尚が1971に60年代を振り返って書いているこの文章、もろにメルロ=ポンティの影響があるな。

"ここにとりあげた運動や集団は、(略)既成の表現概念をカッコに入れ、具体的な生活世界に送りかえすことから出発した。(略)このような表現の状況をもたらしたものは、ハプニングにもっとも典型的であるような、表現行為の「生ける現在」への還元によって、表現と生を一致させようという試みであったのだ。 六〇年代芸術の試みが挫折するのは、われわれが「現在」に執着することによって生それ自体のなかに沈殿する歴史を、制度的な形骸と見誤ったことによるだろう。その時、われわれは、表現を現在の各瞬間に分散することによって、生活世界から決定的に遊離した芸術を再生産する他なくなったのである。" 「百花斉放・六〇年代初期」(1971.10)

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1971年の美術手帖何冊か買ったら、毎号アーティストのインタビュー記事があるのだけどインタビュアーが足立正生で笑う。そんなふつうにライターやってたのかよ。

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「人間と物質」展、もうちょっと調べておきたいが https://note.com/artwritingschool/n/na93e298aa0ad

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学食、カツカレーが370円という異常価格

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さっきの中平の引用箇所、自分はロラン・バルトっぽいこと言っておるなぁという感じだったけど(バルトがMPから輸入しているのかもしれないが)、中平がMPについてどこかで言及していた気がするが気のせいなのかもしれない。「なぜ、植物図鑑か」の論考をぱらぱらめくってもMPのなまえは見つからない。発想としては共通する基盤からでてきているのはあきらかではあるけど。

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みすずの「眼と精神」が1966、「シーニュI」が1969とかなので、サルトルと交替で読まれた、という気がする

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まあでも当時もっとも影響がつよかったのはゴダールじゃないかという気はする

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メルロ=ポンティは60年代〜70年代にかなり読まれてたっぽいすね。それもけっこう政治的な文脈で読まれていた。

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フーコーって五月革命たしかかかわってたとおもうんだけど、フーコーが読まれたかどうかと独立に(宮川はフーコー読んでる)、同時代的な反響としていくつかの現象がピックアップ可能になっている。

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"今、少し冷静にふり返ってみると、《PROVOKE》のめざしたものは、写真家の肉声(パロール)の獲得ということであった。それは既存する美学や価値観による制度的に整序された視覚(ラング)に対する肉声による切り込みであったはずだ。むろんのこと、それがどこまでできたかの判定は第三者にまかす他はない。ただオプティミスティックな観測などを私は今一切持ちあわせていない。むしろ《PROVOKE》の獲得したかもしれない肉声などは一瞬の後に制度的な視覚のうちにのみこまれてしまったに違いないのだ" 中平卓馬「記録という幻想」

こういうものいいが、宮川の「影響」を受けたかどうかはまあどうでもいいけど、5月革命の余韻みたいなものははっきりある。

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ようするに、宮川の制度論は、70年代美術にとって次のような影響を与えた。美術(表現)と政治(行動)と二元的にわかれた別領域のものがある、というわけではなくて、表現こそがまさに政治的な領域であるから、表現行為は政治的行為である。風景論もこの系譜で把握してよいとおもう。

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宮川の「見ることの制度」みたいなもの、美術館とかメディアとかみたいな具体化された制度というより、物の見方そのものが制度的だという話で、そのへん中平が70年頃(だっけ?)に議論しているのは、宮川の議論(たぶん読んでいるだろう)と明確な共振がある。宮川の理論を具体的に展開してみせたのが中平だと言ってもおかしい気はしない。

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彦坂とかが「内なる制度」みたいなことを言って、それが美共闘の理論的な背景だったりするんだけど、その出処は宮川淳でほぼ間違いない

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