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tenjuu99(天重誠二)

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読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など いろいろ雑につぶやいています SPACE NOBI というアートスペースやっています

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はしもと

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アートが過去を塗りつぶすためのペンキとして体よく使われていないかとか、計画は妥当だったのか改めて検証をすべきでは、という問題意識がある場合はわかります。
ただし00年初頭まで警察もうかうか立ち入れず、密売物や違法風俗店の売上を犯罪組織が吸い上げていたわけだし、公的に介入しないわけにもいかなくないですか?

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はしもと

@biotit@fedibird.com

BT 横浜の黄金町や日ノ出町は主に東南アジアから連れてこられた女性たちが違法な風俗店で働く場所で、単なる風俗街の“浄化”やジェントリフィケーションではない(と私は理解しています) 人身売買や人権侵害が野放しだったわけで。
神奈川新聞が2015年にルポシリーズを出しています(有料記事ですが)
kanaloco.jp/limited/node/86349

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サトマキ

@satomuch@fedibird.com

それでこの前、黄金町エリアマネージメントセンターで『難民ウィーク』なんてやっていたから、「はぁっ!?」と、なったわけですよ。

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これ、国際的な人身売買の「買い手」が日本だったはず。「バイバイ作戦」は「人権後進国日本」の汚名返上のためでもあった。

"黄金町のちょんの間は、大阪の飛田新地、沖縄の真栄原社交街と並んで「日本3大ちょんの間」と呼ばれていたそうで、昭和50年代以降タイやフィリピンなどアジアから出稼ぎにきた女性たちが集まり、最盛期は250店舗、約1000人以上の外国人売春婦がいたとされています。(...)しかし2005年に神奈川県警による「バイバイ作戦」がスタート。街の出入り口を機動隊の装甲車で包囲し、24時間パトロールを行ったそうです。そうして、違法行為を行なっていた店舗は次々と閉店し、黄金町から売春が一掃されました。" https://note.com/chinspotmaster/n/n2012573868d1

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追いだされた「住民」はどうなったのか

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温泉マーク(オートチューンがかかるゆるキャラです)

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"危機感を抱いた初音町、黄金町、日ノ出町の周辺3町は2003年に「初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会」を立ち上げ、行政や警察に対して浄化の働きかけを行なった。その結果、神奈川県警察本部が陣頭指揮を執った2005年の「バイバイ作戦」によって違法風俗店が一斉摘発され、ようやく負の歴史に終止符が打たれることになった。

 もちろん住民にとっては喜ばしい出来事だったものの、今度はまちの空洞化が浮上した。日ノ出町から黄金町までの距離は約800mもある。横浜市の中心部で、これだけの土地が寂れてしまうのは異様な光景だ。そのような事態を回避すべく、まちの再生手段として選んだのがアートによるまちづくりだった。"

20年かけてまちをアートで再生、横浜・黄金町の現在|新・公民連携最前線|PPPまちづくり
project.nikkeibp.co.jp/atclppp

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美術手帖、読む価値はないなとおもいつつ定期購読してしまっているからなんとなくパラパラはめくっているけど、海外のトレンドの誌面はまだけっこうあって、ほとんどポスコロ系の展示の紹介である。海外のトレンドがそうなもんで(バックラッシュとかなんのその)、国内でもその傾向の書き手を想定してみれば、思い浮かぶ書き手のなかで山本浩貴の名前は筆頭になる。日本の戦前・戦後美術もやっていて、キュレーションもてがけているから、ここからしばらく追随できる人がでてきそうにもない。

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まあ、椹木野衣のレビューはもうポンコツすぎて...。 2020年代は山本浩貴さんの独壇場とまではいわないが、ポスコロとフェミニズムに照準あわせて作業ができる書き手がすくないので、今後も山本さんは引く手あまたなのは間違いない。日本の戦後美術との繋がりのなかで作業できて目立っているのも重要。

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サトマキ

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だから椹木野衣がずーっとあのポジションにいるのだな…

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美術方面ではもうみんな諦めてるんじゃないかという気がする。足使う批評家って少ないし、場所がかたまってないから交通費と時間がすごくかかる。どこにでも顔出す学芸員の人いるけど文章書いてないのだよな。

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これ、美術の批評とかもいっしょだな。1930年代からあるとはおもわないけど、60〜70年代はかなり展覧会が増えて批評のニーズがあり、なんとなくの「流れ」みたいなものが把握できる装置として美術手帖とかがあったとおもう。いまも展覧会大量にあるんだから批評のニーズというか「"今"をわかった気にさせてくれるような論考」へのニーズはあるとおもうんだけど、それができなくなっている。なぜなのかはよくわからない。 https://x.com/muselmann1942/status/1964629764658041062

Twitterのスクリーンショット。石橋直樹氏による「読み手より書き手が多く、書き手も読み手も追い切れない」という問題提起に対して、日居月諸氏が大澤聡『批評メディア論』を援用して1930年代に時評が流行ったのは、膨大な本を読者に代わって読んでくれる人が求められたためだと論じている。
ALT text detailsTwitterのスクリーンショット。石橋直樹氏による「読み手より書き手が多く、書き手も読み手も追い切れない」という問題提起に対して、日居月諸氏が大澤聡『批評メディア論』を援用して1930年代に時評が流行ったのは、膨大な本を読者に代わって読んでくれる人が求められたためだと論じている。
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偽オム/hhvm

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結局、戦後史を学ぼうがなんだろうが、植民地主義の反省がなければ、感情を害する話と矮小化されるだけ。明治維新後からの日本帝国主義の問題と、現在を照らしてその類似、いまだに保持される差別を学ぶ必要があるのではと思う。

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実際に沖縄への修学旅行にて、祖父が沖縄戦で亡くなったことを理由に、平和学習にて語り部を聞くことを拒否した学生がいたとのこと。↓の動画は大変不快なものなので視聴注意です。
youtube.com/shorts/Zbq1b4D9kjg

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偽オム/hhvm

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仮に沖縄戦後史の学習体系が整備されたとして、次の歴史修正主義的なアプローチとして、特攻隊や、日本兵の親族の「語り」が利用されるだろう。「自分の曽祖父は、戦争の犠牲になった」「おじいちゃんも苦しんでいた。」それが「違う視点」として持ち出される。

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🟦サユリ🌴🟦

@sayuri_t_h@songbird.cloud

米での韓国系工場建設で拘束された人達の記事、長いのでたたむ。

ジョージアのヒュンダイとLG合弁のバッテリー工場で拘束された人達は475人。(日本人3人を含む)
拘束中の様子の韓国メディアの記事を翻訳にかけてみた。

(以下引用)

腰と手を一緒に縛られた状態では、水を飲むにも頭を下げてなめるようにするしかなかった。仕切りのないトイレには下半身を隠す布が一枚あるだけだった。拳ほどの穴からほとんど日差しは入らず、わずか2時間だけ小さな中庭に出ることが許された。8日間、米国移民当局に拘束された労働者とその家族は、2025年、平凡な韓国人として暮らしてきて想像したことのない人権侵害と不条理を伝え、衝撃を訴えた。

現代自動車‐LGエナジーソリューション合弁バッテリー工場で行われた不法移民の取り締まりで拘束されていた労働者330人が今月12日に帰国し、拘禁当時に経験した人権侵害の状況が次々と伝えられている。

14日に明らかになった彼らの証言に映し出された収容施設の様子は、衛生、外部との連絡、異議申し立て、状況説明など、国際社会が定めた被収容者処遇の最低基準(ネルソン・マンデラ規則)がすべて崩壊した状態だった。

逮捕の過程からして呆れるものだった。いわゆる「ミランダ原則」の告知など基本的な説明すらなく、誰も状況を正しく把握できなかった。40代のLGエナジーソリューション協力会社の社員、ソ某氏は「自分が逮捕されている状態だとは思いもしなかった。身分確認の手続きだと思っていたら、ある書類にサインするよう求められた」と語った。

また、別の協力会社の社員K(48)氏の家族は「書類に『アレスト』(arrest・逮捕)という文字が目についたので、『これ、やってはいけないんじゃないか』とひそひそ話したが、捜査官たちが銃を持っていたので、とりあえず署名してしまったそうだ」と伝えた。

↓続

”화장실엔 천 조각 하나, 항의도 못 해…우리가 뭘 잘못했나”
hani.co.kr/arti/society/societ

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サトマキ

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これもいきたいとおもっていたのだった。
tokyoartbeat.com/articles/-/pa

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こういう主題で展示をしておきながら、どういう論争をもくろんでいたか作家側の見解・仕掛けがまったく見えないのが、ぬるすぎると感じる

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もう10年も前の展示だけど、キセイノセイキのことはこうして外部でトークイベントやってそれがSNSに一部あるだけで、結局雑誌や本などで文字化されて検証もされなかった。BTに沢山遼による批判があったのだが、そのときはまだ情報がでそろってなくて事実誤認もおおい記事で、それもトークイベントのなかで消化されてしまっている。いや、紙資料におとしこまなくても、作家有志でWebに資料公開できたはずだが、それもやっていない。継続的で相互的な批判が、なんにもなくなっているのが、きびしい。 https://posfie.com/@misonikomioden/p/MeWoIFF

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1952〜美術出版社がだしていた「美術批評」の復刊に際して北澤憲昭が「批評の初心」なる文章を書いているけど、美術出版社が当初はかなり論争性を意識していたこと。こういう論争性は70年代くらいまでは続いているとおもうけど、近年はもう美術館の広報なんじゃないかくらい、論争的テキストが掲載されることがない。こういう論争的性格がいつころ失われたのかはまだ把握できていないが。 https://www.yumani.co.jp/np/isbn/9784843342817

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批評というもの、論争的テキストによる論争的行為のことだと思っていて、論者の立場など論のなかに込められているから「批評家の立ち位置」など問う理由はないのだけど、論争を成立させるメディアが失われてしまうと、批評というものはアカデミズムなんだかわからない抽象的な立場を取るようになってしまう、と思う。去年出た「批評の歩き方」とかで小林秀雄とかが参照されてしまうのって、批評が論争的な相互テキストではなくて文学的行為だと見做されているためだとおもうのだが、立論内容ではなくて批評的態度こそが批評だみたいなことになる。これは批評だがあれは批評でない、みたいなどうでもいいごにょごにょになるのも、論議の内容ではなく態度が問われているという理解で、論争そのものは発展することがない。 いやすごいどうでもいいことなんだけど...。

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富井玲子「オペレーションの思想 戦後日本美術史における見えない手」読了、おもしろかった。「批評」みたいなやたら観念的な立ち位置が出発点ではなく、作家たちの手札を引っ張りだして具体的に記述しているので、やる気あるアーティストにとっては、レシピとしても使っていけそうな本だなとおもう。

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1970年前後ってかなりポストモダンだな。なんとなくニューアカとかのせいでポモは80年代という謎イメージができていたけど。

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70年代の美術批評言説を洗ってみると、藤枝晃雄が美術批評のゲームチェンジャーになっている。いわゆる御三家(中原、針生、東野)は反芸術の影響がやはりおおきく、宮川淳もふくめて、言説としては制度論といっていいとおもうけど、70年頃に限界を迎えているように見える。彼らが、作品・作家の傾向を洗いだしてその状況を名付け・問題として明確化していったのに対して、藤枝は個別の作品分析をして、「芸術論」的なものはあとづけででてくるという態度を出している。藤枝と別な傾向としてでてきているのが、李禹煥や美共闘ら若手の実作者が批評言説を繰り出すという状況で、これも御三家にたいする反発がわりとある。

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概念芸術というものがでてきて、「オブジェの消滅」みたいなことが言われることで、芸術の本体は知覚にないみたいな論調がでてきたことは、そうした傾向への反発を生みだし、メルロー=ポンティというか現象学が読まれた背景の一つになっている。

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1971年の美術手帖を読んでいると、「前号の...でこういうふうに書かれていて」とか「本誌何月号で云々」とかがけっこうあって、こんなふうに相互に参照しあいながら議論が進むような事態が、いまはもう見ないような。

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現在の美術っておおかれ少なかれ物語性に依拠するとおもうけど、アクティビズムがやっているのはその物語性を打ち破ることだという気はする。

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地方には美術の美の字もないが均質に広がる「風景」があり、それゆえに一発の弾丸が「風景」を切り裂く必要があったのである。

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刀根康尚が1971に60年代を振り返って書いているこの文章、もろにメルロ=ポンティの影響があるな。

"ここにとりあげた運動や集団は、(略)既成の表現概念をカッコに入れ、具体的な生活世界に送りかえすことから出発した。(略)このような表現の状況をもたらしたものは、ハプニングにもっとも典型的であるような、表現行為の「生ける現在」への還元によって、表現と生を一致させようという試みであったのだ。 六〇年代芸術の試みが挫折するのは、われわれが「現在」に執着することによって生それ自体のなかに沈殿する歴史を、制度的な形骸と見誤ったことによるだろう。その時、われわれは、表現を現在の各瞬間に分散することによって、生活世界から決定的に遊離した芸術を再生産する他なくなったのである。" 「百花斉放・六〇年代初期」(1971.10)

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1971年の美術手帖何冊か買ったら、毎号アーティストのインタビュー記事があるのだけどインタビュアーが足立正生で笑う。そんなふつうにライターやってたのかよ。

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「人間と物質」展、もうちょっと調べておきたいが https://note.com/artwritingschool/n/na93e298aa0ad

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