
tenjuu99(天重誠二)
@tenjuu99@hollo.tenjuu.net
200 following132 followers
読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など いろいろ雑につぶやいています SPACE NOBI というアートスペースやっています
- SPACE NOBI
ただ誰のものでもなくなるはずの「廃棄物」も管理の厳格化によってそのような契機が生じにくくなる、という流れはあるように思います。粗大ごみなんかも、地域によって異なるとは思いますが、ただ回収日に出せばよかったのが名前書いたラベルを貼らないといけなくなったり(リサイクルの文脈がありますが)。食品の廃棄物も、コンビニが結局値引き販売を行うようになったり(これは効率化の文脈かなあ)。
贈与を相互作用の一種として捉えると、「廃棄物」はいったん誰のものでもなくなったものを何者かがふたたび所有する行為なので、贈与とは呼べなさそう、と直感的に思いましたが、たぶんどこかで誰かが詳しく論じてそう。
贈与かどうかはおいておいて、こうした「廃棄物」の処理も厳格になって抜け道が起こりにくくなっている……みたいな描写は吾妻ひでお『失踪日記』ですでにあったな
出版社は資本主義に向いてない(第一回) 寄稿・日本文芸社 竹村 響 https://mediado.jp/medicome/industry/8207/
某
上では竹書房の名物編集者──あるいは錦ソクラ氏が近代麻雀誌で連載してた『3年B組一八先生』で古今のマンガ家の絵柄を完コピしてコピー元のビッグネームたちが激怒したときに担当編集として謝罪させられてた(?)人
──として知られてた竹村氏、数年前に竹書房を退社したとは仄聞してましたが、今は日本文芸社の代表取締役になってるんですね(驚)。連載とのことですので、折に触れてまた読んでいく。
日本文芸社というと、個人的にはもちろん漫画ゴラク誌の版元という以上の認識はないのですが
イメージ的にまぁミナミの帝王と白竜シリーズが健在なうちに次のヒット作が出れば安泰なんじゃないの? という程度にしか思ってないもので。あと鬼ノ仁『一級建築士矩子の設計思考』はなるべく打ち切らないでほしい……

mediado.jp
出版社は資本主義に向いてない(第一回) 寄稿・日本文芸社 竹村 響 | 株式会社メディアドゥ
こんにちは。メディカム編集部 経営企画チームです。 メディアドゥグループは小説やマンガなどの有力な原作創出に加え、各社との相互連携による映画化・ドラマ化などのマルチコンテンツ展開を推進しています。作品輩出において中心的な […]
別に贈与だと考えているわけじゃないんだけど、こういう余剰はいろんなところにあって、余ったリソースを再利用することはけっこう重要な視点なんだとは思う
コンビニで弁当とかがゴミとして捨てられ、それによってホームレスとかネコとかが養われるということとかは、贈与といっていいだろうか。すくなくとも貨幣経済ではない。
安全であることを保証する薄い膜みたいなものを考えている
というのも、これらの民族誌的なマッピングは、しばしば委託制作されたものだからである。(...)すなわちそこでは制度が、忍耐を要する見せ物として、あるいは(制度による、制度の中で試みられた批判に対する)ワクチン接種を目的として、批判を輸入するのだ。
まえもこの手のハル・フォスターの意見を読んだときに、去年の西洋美術館の「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」が典型的にこれだと思ったし、荒川ナッシュ医の展示にもこういう性格はあった。
ハル・フォスターの「民族誌家としてのアーティスト」をいまさら読んでるけど、めちゃくちゃおもしろいな
クレーリー『知覚の宙吊り』平凡社ライブラリー入り、めでたい。
(4月刊行予定)
https://x.com/bunkoinfo/status/1894586350353142008?s=61&t=GC7VSa4PcXnbn5H8qsel2w
これかな。まじで意味わかんないけど、ふつうに有形無形の無償労働が大量に発生してるんだから感謝くらいしろよ。 https://x.com/tk_sskmt/status/1892809936759116166
あとがきで感謝されたことあるけど、嬉しかった
8年続く人気店である千葉ラーメンを見に行きました。閉店間際だったし、私は豚骨ラーメンを食べないので様子を見るだけ。
団地の中庭のようなところにあります。安くて旨いと日本人や華人に人気だそうです。
2023年の日本語レポ記事によれば、店名の由来は千葉県。
>店名の由来となった日本・千葉での和食店歴をはじめ世界各地での経験から、独自に豚骨ラーメンを開発。
https://www.mtown.my/eat/chiba-ramen/
ラーメン屋するという話は
維新の高校無償化の話、国籍関係なく無償化で排外主義者が沸いている。維新がやたら支持率下げているなとおもったら、こういう排外主義的ネトウヨが離れたのか。彼らがどこ行ったかといえば、おおよそ財務省陰謀論に行っていそうだけど。
これ、行動力と倫理観ある人がやめていってマジカスか流されやすい人がDOGEに残るんじゃないのか... https://jp.reuters.com/world/us/NNYUNO3BOVJO3HJX5ISRAWINXQ-2025-02-26/

jp.reuters.com
米DOGE職員21人が退職、「公共サービス解体にスキル使わず」
米実業家イーロン・マスク氏率いるトランプ政権の「政府効率化省(DOGE)」の職員21人は25日、同氏が進める連邦政府職員削減に抗議して退職した。
"職員らはネット上に投稿した辞表に「われわれは技術者として、政府の基幹システムを危険にさらし、米国人の機密データを脅かし、重要な公共サービスを解体するために自らのスキルを使うつもりはない」と記した。"
米DOGE職員21人が退職、「公共サービス解体にスキル使わず」 | ロイター https://jp.reuters.com/world/us/NNYUNO3BOVJO3HJX5ISRAWINXQ-2025-02-26/

jp.reuters.com
米DOGE職員21人が退職、「公共サービス解体にスキル使わず」
米実業家イーロン・マスク氏率いるトランプ政権の「政府効率化省(DOGE)」の職員21人は25日、同氏が進める連邦政府職員削減に抗議して退職した。
研究者の手付きによって周縁化されているものは、たとえばイラストである。商業イラストの領域は、洋画壇のエリートもいれば女性絵師もいる。鏑木清方が「口絵華やかなりし頃」とよんだのはたぶん明治30年頃のことだと思うが、これが制度的な芸術の登場で格下扱いにだんだんなっていった。とはいえ、当時そのような言説が登場し、芸術業界の制度化が進められたとしても、現在の研究者が当時のヒエラルキーを真に受ける理由はあまりないはずである。 当時は横山大観や菱田春草は売れなかったのに池田蕉園は売れていた。にもかかわらず、あとの目線からみて大観や春草らばかり調査、研究されるのは、現在の研究パースペクティブが男性中心主義に染まっているからではないのか。大観や春草も一時期イラスト仕事をやっていて、下手なのだけど研究者たちはたいてい見過ごしている。研究者がイラストを格下のものと見ているから見過ごすのだと思う。芸術というものをパースペクティブの中心に据えるからそうなるわけだけど、研究の制度そのものが明治に生み出された男性中心主義を内面化しているのではないのか。
制度的には女性が周縁化されていることはそのとおりで、とはいえ市場にはそれなりに活躍の場があり、制度含めたトータルな仕組みとして、女性画家が目立ってなかったわけではない。国家に組み込まれる芸術の枠にはほぼ女性は排除されていたと思うけど(それでもないわけではない)。制度史的なパースペクティブそのものが、研究中に「周縁化されたものとしての女性」というカテゴリーを生み出しているように見える。
明治に教育システムの編成が決まるから、それを調べていくのは順当なことではあるものの、なんというか結論ありきで裏付けを探す作業にも見えなくないというのは以前から感じている。
今月のアートコレクターズに小勝禮子さんの「知られざる近代の女性画家 社会制度、美術教育、美術団体、評価」というのが掲載されていて、気になって読んでる。 https://www.tomosha.com/smp/collectors/ やっぱり基本的には美術の制度化を中心に男性中心主義があるというパースペクティブで、この見解はほぼ定説化しているように見える。私塾による教育について触れているけど、中心的な制度に対して周縁的という把握をしているようには見える。
tomosha.com
アートコレクターズ - 生活の友社
月刊誌「美術の窓」「ART collectors’」を発行する美術専門の出版社です。
この本面白くて、半分ぐらいまで来たところで著者にも興味もでてきて、巻末の著者紹介見たら思い出したけどポッドキャストの「デザインのよみかた」の人だったわ、既に触れてた。
はじまりのデザイン学 | 株式会社ビー・エヌ・エヌ
https://bnn.co.jp/products/9784802513135

bnn.co.jp
はじまりのデザイン学
株式会社ビー・エヌ・エヌは2002年に設立した出版社です。デザインする人を増やすこと、作る人を支援することを目指して出版活動を展開しています。
長谷川新の記事けっこう迫力がある https://note.com/rob_art/n/n6ce9fc891502

note.com
左手|長谷川新
安重根「書」 試験的に写真付きで書いてみる。ソウルの大韓民国歴史博物館に行った際、ベトナム戦争帰還兵が輸送していた木製の箱が展示されていて、これがそうなんだと思った。この箱に関連したことをちょうど書いたあとだったからだ。そのまま広い常設展示を出ると、書の展示をやっていた。無料である。展示壁は濃い青で統一されていて、会場入口の壁にいたってはラメのようなものが吹き付けられ星屑のように光っている。豪奢な演出だなと思い興醒めしながらも、せっかくなので入ることにした。でかでかと書かれた「書」という展示タイトルにも安直さを感じ、いったいどんな「巨匠」なのだろうと作家名を見ると、息が詰まった。安重
賃労働の使役性をなんとかして「制作」的なものにしたいというのは、まあ理解できるんだけど、それは使役的な労働を非正規とか海外とかに転嫁してきたからでしょというのは正当な批判だとおもうけど、その批判に回答できる枠組みがあるようには思えない。







