やっぱり侵略者やっつけてスカっとしたいじゃん。それは自分の誇りを取り戻すってことだから。たとえフィクションであっても、悟空に勇気をもらったという人がいるのは、そういうことなんだろうとおもう。そんなのは現実じゃないなんて誰でも言えるんだけど、そういうのは冷笑ってことなんだなと。

tenjuu99(天重誠二)
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読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など いろいろ雑につぶやいています SPACE NOBI というアートスペースやっています
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ドラゴンボールがなぜ海外で売れたかについての日本語で説明している記事、納得できるものはあまりなかった。というか、日本で売れた理由をそのまま普遍的だとしているだけのものが多い。素直に考えると、侵略者がやっつけられてスカっとするから、でいい気がする。もちろんちゃんと調査したほうがいいんだろうけど、とくに南米で人気なのはそれで説明がつくとはおもう。
この記事も思いだしてたんだけど、DBではもともと侵略者だった人たちがネイティブとうまくやっていく、みたいなのがけっこう描かれているのもある。ピッコロ大魔王は悟飯、ベジータはブルマとか、原住民との付き合いを経てネイティブとしてやっていく、みたいな過程がある。悟空ももともと侵略者として地球にやってきている。 https://butaco3.hatenablog.com/entry/2021/08/21/190111

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映画『モータルコンバット(2021)』の主人公に文句言うヤツをドラゴンボールZしか400年間観られない地獄に堕としたい。 - ぶた子の長文書き捨て場。
なぜ映画モータルコンバットの主人公はオリジナルキャラクター、コール・ヤングでなければならないのか。
DB2巻の扉絵、トリウマに乗る悟空のイラストがあるんだけど、あからさまに「風の谷のナウシカ」を想起させるもので、侵略者のイメージにはナウシカもあったのかもしれない(DB2巻が1985でナウシカの劇場版が1984なので時間的には整合しそう)。
鳥山明がポストコロニアル作品を描こうとしたわけじゃないのは確かだけど、それでもドラゴンボールが受け入れられるのは、侵略者が悪の象徴として描かれ、その侵略者がつねに倒されるから、侵略された側の人たちほど共感しやすい作品になっているということなんだろうな〜とおもった。
昨日なんとなくドラゴンボールを1巻からフリーザ編の途中くらいまで読んでたんだけど、悪として描かれているのが常に侵略者で、侵略者がネイティブを無慈悲に殺しまくる、その侵略者たちを悟空が倒しまくるという話が繰り返されていて、南米でめちゃくちゃウケてたのはそういうことなのかと勝手に納得した。侵略者たちは原住民を同じ人間だとおもっていないから殺すことに平気で、それが冷酷さをあらわしている。
ギャラリーに入室する前におわってしまう展示感想vlog見てみたくはある
しっかり感想動画にすると、Xに載せられる分数ではギャラリーに入室すらできないことがわかってきた
政治的なvlog
更新しました
嶋田美子・山本れいら・みょうじなまえの3人のアーティストの作品を通じて家父長制的ナラティブに挑む展覧会です
「元始女性は太陽だったのか?」展に行くvlog #政治的なvlog
https://youtu.be/crJRVdGIwXQ?si=V18c-_ppLEd3UEqh @YouTubeより

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「元始女性は太陽だったのか?」展に行くvlog #政治的なvlog
#vlog #政治的なvlog #呉樹直己 #現代アート #アートギャラリー #天王洲アイル ◆◆◆クィアなADHDがよりよい生活を試みる日々を記録していきます。2020年8月から、双極性障害の「先生」と共同生活中。保護猫もいます。チャンネル登録・高評価・コメントよろしくお願いします。X(Twitter):htt...
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マイナンバーカードを発行して10年経ったので再交付になりました。けれど、マイナンバーカードをもらうためには身分証明書が必要になります。そこで問題です
マイナ保険証にしてマイナ運転免許証にした人は、マイナンバーカード再交付でカードを受け取るための本人確認証明書は、何を使ったらいいのでしょうか?
いや、全部マイナンバーカードにしたら、再交付で自分自身の証明ができなくなるって本末転倒すぎだろ。なんでもマイナンバーカードに一体化させようとしているヤツは、ホントにバカじゃねーの
こんな茶番で人死ぬの本当に許せない。
思考と判断はやっぱりいまのAIにはできないけど解釈はできる、とか思ったけど、そもそも対話型のUIではなくて自律的なエージェントにしてしまえば、判断はなにかしらの形で行うのだから判断能力がないわけではない。
プログラマーは代用可能だと見做されているから生成AIが入ってくるわけだけど、アートは代用不可能性が商品価値の根拠ともなっている。
AIアートって、範囲のとりかたがむずかしい
イラストレーターにとって生成AIが脅威なのはまちがいないとおもうけど、そこで生じるようなイラストの代替物をアートだと考えるのは一部過激派をのぞいて存在しない。代用品は代用品で構わないから、その代用品をつくるのが人間であろうと機械であろうと構わない。アーティストがこの意味での代用品を作ることはないから、生成イラストがアートと見做されることはその危険性から存在していない。アートが自己を代用品にならないものとして自己定義する点において、生成AIはなんの影響も与えていない。
しいていえば、AIを写真やチューブ入り絵の具と同じような技術というか道具とみなそう、というのは、芸術の分野だから言えそうなプラグマティックな感覚が実はある気もする
この雑言及をした人は、こんな話題にも雑言及しています
たとえばストリートアートがうまれるのに必要な「技術」として、ビルの壁を建てたり、電車のボディをつくったりするインフラ的な技術は想定されないし、素早く走るためのスニーカーをつくる技術も想定されないだろう、などと……
https://www.freethink.com/robots-ai/is-the-disruption-caused-by-ai-art-actually-new-or-does-it-just-feel-new 読んだ。元ネタを読まずにとりあえずSNSで好きなこと喋る自分が生成AIみたいだと思ったかとかはともかく、記事における「技術」と「芸術」の範疇がやっぱりたんに恣意的なのではみたいな感想だった。あとは一種の進歩主義史観だよなぁとか。

freethink.com
Is the disruption caused by AI art actually new, or does it just feel new?
From paint in tubes to typewriters to photography to digital art, the history of creativity is a history of disruptive technologies.
あと、ベンヤミンは歴史を逆撫でにするような議論をしようとしたのだから、その点ではいまベンヤミン的な議論を反復してもたぶん逆撫でされるものがない。
この恣意性が偶然的かどうかは考えるに値する気はする。技術とアートのカテゴリーの幅のとりかたって、その論者の世界観の主張になっているわけだから、その世界観までとりだして議論したほうが有益ではある。
「技術」も「アート」もそれぞれの範疇が恣意的になってしまうが
技術とアートの関係、ある時期においては、アートとは技術に先行するものだという考えが採用されたり(たぶんヴァレリーとかがレオナルド・ダ・ヴィンチについてそのように論じているし、デッサンが発明されることでアイデアに飛躍がありつつ実現可能性が担保される、みたいな議論がある)、他の時期においては、技術が古びることこそアートとして考察される条件だと議論されたりする(ベンヤミンが写真を論じた理由がそれで、それをうけてクラウスもポストメディウム論を出している)。
こうした「芸術の歴史」に組み入れられなかった数多の技術があること、技術だけあっても芸術は生まれないこと、なんらかの表現とあたかも必然的に結びついているかのように見える技術(≒プロダクト)もあれば、たまにアーティストの気まぐれによってアートの世界に顔をだすにすぎない技術(≒プロダクト)もあること、など、さまざまなもやもやが脳裏をよぎった
これ、16bitセンセーションを見たときにも思った。
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> 芸術の歴史はテクノロジーの歴史であり、人間が新しいアイデアを伝えるために、進化する道具によって能力を増強してきた歴史なのだ。
> 19世紀にチューブ入りの絵の具が絵画を民主化し印象派を生み出したのに対し、缶入りの絵の具は1970年代にストリート・アートの台頭をもたらし、(...)新しい世代のアーティストを生み出した。1985年、アンディ・ウォーホルは、デジタル・アートがクリエイティブ・ツールの次の進化を遂げ、「グラフィティ・キッズの後を継ぐだろう」と予言した。彼は正しかった。絵の具を使わずに描くデジタルアートは、間違いなく絵筆以来のアートの飛躍であり、(...)それを冒涜ではなく、創造的な大いなる力と見なした。(...)技術革命の後に創造的な進化が続き、機械や道具が想像力と競合したり取って代わったりするのではなく、想像力を増大させる(...)芸術の歴史はテクノロジーの歴史であり、人間が新しいアイデアを伝えるために、進化する道具によって能力を増強してきた歴史なのだ。




