アンフォルメル、アクション・ペインティングの流行とサルトルの流行について誰か論じてほしい

tenjuu99(天重誠二)
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読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など いろいろ雑につぶやいています SPACE NOBI というアートスペースやっています
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もとの「アンチ・アクション」論考でも、前半パートの日本人男性批評家への読解は秀逸で、後半の作家論も詳しく良くできているのだが、前後半であきらかな乖離がある。今回のアンチ・アクション展は本の後半部分を拡張しているわけだけど、これはただの美術史であって、フェミニズム美術史ではないし、企画者たちもそのように見られたがっている。
"また、女性のアーティストの作品だけに注目することによって、皮肉なことに「女性の美術」を別のやり方で固定してしまう危険性があることも理解している。たしかに、女性の作り手のうちに特定のアンフォルメル絵画やアクション・ペインティングに同調しない人物や、それとは異なるものへの追求を表明した人物は何人もみつけられる(男性美術家にもみられる)。そこで、目指したいのは、女性美術家の新しいカテゴリーや共通点を探すことではなく、彼女たちの作品がたがいに違うさま、差違を見ることであり、当時、そして現在も周縁化されている絵画作品から、戦後の日本の絵画を新しく見る可能性を提示することである。" (アンチ・アクション展の中嶋泉論考から)
いや、こうなるともうただの美術史であって、フェミニズム美術史ではない。それぞれの作家が傾向でくくることのできない異なることをやっているよね、だと、構造をまったく捉えていない。本来問題なのは「差違」の実態であって、たとえば中央画壇に近かった福島秀子と、松本から始めた草間彌生の「差違」とかは、画壇の権威にまったく捉われることのなかった草間の行為をよく説明するだろうし、福島がある意味では画壇とともに沈んでいった理由の説明にもなっている。もっといえば、人種や経済格差などの「差違」について、中嶋が論じるつもりがまったくないという態度があきらかなことは、個人的には残念に感じることだけど、自らの理論について考えつくしているように思えない。 福島と草間の差違は、「中央・地方」という構造的問題でもあるし、草間が日本の中央画壇を飛び越えて単身アメリカに乗り込んで、人種やジェンダーをある意味で抑圧するような表現をすることは、無関係とは思えないのだが、こうしたことについて中嶋論考ではあまり論じられない。
草間のインフィニティ・ネットはドナルド・ジャッドによって高く評価されたが、これもフランク・ステラのブラックペインティングが抽象表現主義の「表現」性というか、絵画のパフォーマンス性の批判として登場しているし、ラウシェンバーグの「消されたデ・クーニング」とかジャスパー・ジョーンズによる抽象表現主義のタッチのパロディがあり、ジャッドが草間を評価した文脈は文字通り「アンチ・アクション」的な文脈だとおもう。「アンチ・アクション」は、概念の内実としては中嶋泉の独創とも言えないとおもうし、作品を作家という主体と紐付けたがる傾向への批判として登場しているから、ジェンダーにたいしてニュートラルな概念として現れている。それは中嶋論考にとってもそうなのだが、女性作家に注目しすぎてしまって、理論的なフレームとしてはあまり機能していない。
アンチ・アクションの図録の中嶋泉さんの論考読んだけど、うーん...。なんというか、本人が「アンチ・アクション」という理論的なフレーミングを提案したのが、「アクション・ペインティング」の理論的なフレームの抱えるジェンダー性を解体する目的だったのが、個別具体的な作品分析に入りこんでいけばほとんど役に立っていない。本人によってこの理論がほとんど無効化されているようで、残念である。
nai_inhexのことは既刊のZINEに書いてきたし、ユリイカ寄稿原稿にも書いたし、新刊にも書いたし、これからも書き続けると思う
「ネタ」にし続けることがわたしの役割です
https://x.com/i/status/2006612320471101896
温泉マークあけおめ動画、ホラーじゃんってツッコミ待ちの動画じゃなかったの?
カウントダウンが!!!カウントダウンがはじまりましたみなさん!!!!!!
あけおめのうた2026 - 温泉マーク https://www.youtube.com/watch?si=sl9mgMT1YLVMmuqx&v=26vBkthMxbs&feature=youtu.be @YouTubeより

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あけおめのうた2026 - 温泉マーク
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いしまチュン💕
あけおめ
成相さん、この懸念を最初から持っててあの展示になったのちょっとわからないな。
"本展で展示される女性作家の共通点を探すことで、ふたたび「女性らしさ」という檻にその作家性を閉じ込めてしまうことを懸念しているとも語る。本展はそういった「らしさ」からの解放を考えている、ということも重ねて強調した。" https://www.cinra.net/article/202512-antiaction_ienkmkt

cinra.net
美術史から「見落とされた」女性作家14人を再発見。時代に挑む『アンチ・アクション展』レポ | CINRA
ふすまを焼く、ガラスを貼る、金属を叩く……。「アンチ・アクション」で時代に挑んだ女性作家たちを見つめ直す
あと、選ばれている作家が14人で、全員日本人女性なのも、階級の諸問題を無視するリベフェミっぽさがつきまとう。というか実際にリベフェミ的だとおもっており、ええっ、いまこれなの?という感想になる。
アンチアクション展の感想見てるけど、中嶋泉の論点はほぼ誤解されている。展覧会として、まずく構成されているからまあこうなるよなぁ。 https://note.com/65oyazi/n/n57e6dc7075fc
アンフォルメルやアクションペインティングなど男性中心主義のって言うけど、中嶋論考のなかではアンフォルメルがあったから女性作家が出てきたのであって、それからアクションペインティングに移行することでジェンダーの差異が強調されるようになり、女性が忘れられたというもの。こういう誤解が生じる展示だと思う。

note.com
アンチアクション 女性抽象画家の挑戦|65oyazi
今年最後の美術展レビューとして「アンチアクション彼女たち,それぞれの応答と挑戦」を選びました。 体調を一時期崩していたこともあり、地元東海地方を中心に美術展は出かけてましたが、なかなかレビューする気になれずにいました。 年を締める美術展レビューを考えて印象が強く残ったのが今回の展覧会で現在は東京国立近代美術館で2月8日まで開催中です。 僕は豊田市美術館での巡回で鑑賞しましたが、戦後日本で抽象美術を掲げる女性美術家が生まれました。今では最も注目される美術家、草間彌生も一人です。 草間彌生「マカロニコート」 しかしながら「アンフォルメル」や「アクションペインティング」などの男性中心の
「こんな複雑なことをしないといけないのはおかしい」というソフトウェアエンジニアの勘 - valid,invalid
https://ohbarye.hatenablog.jp/entry/2025/12/30/155950
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時折、「やりたいことに対してこんな複雑なことをしないといけないのはおかしい」という感覚がはたらく。ソフトウェアエンジニアの勘といってもいい。 FizzBuzz Enterprise Editionはプログラマジョークとして解されるが、実際のエンジニアリングではもっと微妙な形で表れる。たとえば設計やコードレビューの最中に「こうしたらどうなるだろうか」と思いつき、提案を実装した結果として管理すべき状態やコード量が減ったりする。(関連: 状態、結合、複雑性、コード量の順に最適化する - valid,invalid) あるいはシステム要件や仕様について話す中で表出することも多い。「新しい画面を作ってこ…
自分の部屋が汚なすぎる
年末にカラヤンのうっとりした表情を嘲笑することでしか得られない謎の栄養がある
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国境なき医師団、ガザで活動停止 イスラエルが許可取り消し #47NEWS
https://www.47news.jp/13667383.html
約30団体が対象で、「日本のNPO法人「パレスチナ子どものキャンペーン」や「日本国際ボランティアセンター」も含まれる」とのこと。

47news.jp
国境なき医師団、ガザで活動停止 イスラエルが許可取り消し
【エルサレム、ロンドン共同】イスラエル政府は30日、国境なき医師団やオックスファムなど約30の国際非政府組織(NGO)について、パレスチナ自治区ガザでの人道支援活動を停止させると発表した。日本のNP ...
ずっと書きたくて書けないでいた、「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展を通して考えた【車椅子で美術を鑑賞するということ】の記事を書き上げたので公開します。車椅子で、マイノリティで、美術を鑑賞する痛み、政治性、ぜひお読みください。
https://kondoginga.substack.com/p/54d

kondoginga.substack.com
車椅子で美術を鑑賞するということ
あるいは「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」の咀嚼。
@seki_takanao あの記述で足りないなら、なになら足りてるのかよくわからない
@seki_takanao 中嶋さんは作品分析ぜんぜんやってるじゃん。けっこうストレートな様式論的な分析。
@seki_takanao でもそれは完全にエクスキューズだよね。それによって強調されるのは、白髪富士子は白髪一雄のパートナーで制作をやめたという事実だけで、白髪富士子の作品の質から注意を逸らすことにしかならない。男女平等に奉仕的な関係はあったからいいよね、みたいなエクスキューズこそ、作家としての白髪富士子を無視する言論になっている。
@seki_takanao でも白髪富士子の絵についての解説書いてなかったよね。しかも、白髪富士子の作品のところに「アーティストとパートナー」みたいな文章置いてて、あれが一番許せなかった。
近美の常設に白髪一雄とかが展示されているコーナー、今回は「アクション!カット!」とかふざけたタイトルだったので、いろいろ議論した中でカットされましたってエクスキューズに見えた。
僕も天重さんの議論に同感だな。準備段階では男性作家の作品も展示するという話もあったみたいだけれども。
思いだして
豊田市美術館行ったときに聞いた講座でまんま同じ批判してる人いたけど、どう受け答えてたか完全に忘れちゃったな
小林徳三郎の絵画について
鑑賞者の位置 https://scrapbox.io/sayurimiyashita-68577845/%E9%91%91%E8%B3%9E%E8%80%85%E3%81%AE%E4%BD%8D%E7%BD%AE
scrapbox.io
鑑賞者の位置 - 草蜉蝣の備忘録
小林徳三郎は子供をたくさん絵に描いた。 <金魚を見る子供>*は、あたたかな黄金色が画面全体を満たしている、うっとりするような絵だ。一心に金魚を見つめる子供は、見られていることを意識していない、絵画を愛でる自由を鑑賞者に与えるいわゆる没入の主題である。また、金魚鉢という空間は、同じ空間に接していながらも人間が生息できない別の場所であり、その世界内異世界へ注ぐ眼差しは、絵画を見ることの比喩とも考えた



