小峰さんは令和人文主義による階級の隠蔽を問題視しているのに、「私の著作は主に市民、群れ、そして学生に向けられています」としている。これ、非正規労働者に届く言葉だと思ってるの?非正規労働者は自己を「市民、群れ、そして学生」としてアイデンティファイする?

tenjuu99(天重誠二)
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読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など いろいろ雑につぶやいています SPACE NOBI というアートスペースやっています
- SPACE NOBI
つかそんなこと言うんだったら、記事にも名前が上がっている三木清だって昭和研究会に参加しとるだろうが
ようやく読んだけど、後半が意味わからない。令和人文主義みたいなマイナーな流行が「階級」を覆い隠すと批判するよりも、階級の問題をまず明確に出してほしい。階級意識のアイマイ化はそもそも令和人文主義とかなんかよりはるかに前からだし、最近の傾向が階級意識の隠蔽に一役買っているというわけでもない。 https://note.com/bungakuplus/n/n7f809eebf081

note.com
「令和人文主義」に異議あり! その歴史的意義と問題点|文学+WEB版
【評論】小峰ひずみ 〇「令和人文主義」とは? 「令和人文主義」という言葉が最近、注目を浴びています。哲学者の谷川嘉浩さんが提唱された言葉だそうです。谷川さんは朝日新聞に「深井龍之介、三宅香帆…新世代が再定義する教養「令和人文主義」とは」という関連記事を寄稿されてもいます。この「令和人文主義」は「読書・出版界とビジネス界をまたいだ文化的潮流」であるとされており、その担い手としては、株式会社COTENの深井龍之介さん、株式会社baton(QuizKnock)の田村正資さん、文芸評論家の三宅香帆さん、広告会社勤務で大阪大学招へい准教授の朱喜哲さん、哲学者の戸谷洋志さん、元スクウェア・
このあたりとかおもしろい。
"グレゴワール・シャマユーという哲学者が『統治不能社会:権威主義的ネオリベラル主義の系譜学』という本で分析したことですが、70年代当時の経営者たちは、単なる不況だけでなく、工場でのサボタージュやストライキ、街頭での抗議運動といった「権威に対する反乱」に直面したことに深刻な危機感を抱いていたとされています。シャマユーによれば「民主主義の過剰」によって企業が文字通り「統治不能(Ingovernability)」に陥ったというわけです。"
...
"シャマユーはこれを、上からの命令で縛る「規律権力」から、労働者の主体性を巻き込んで自発的に競争させる「新自由主義的マネジメント」への転換だと指摘しています。つまり、ワーカーの「反乱」を鎮圧し再び統治可能な状態をつくり出すための、エリート層による意図的な「反革命」の技術として、新しい経営思想が導入されたわけです。"
ツッコみたいことは端々にあるけど、企業が哲学者や人類学者を雇ったり、アート思考が流行ったりとかの流れは関心をもっていて、全体的に興味深い話であった https://worksight.substack.com/p/178-1

worksight.substack.com
企業はなぜ「人文知」を求めるのか?【前編】対談 山下正太郎・若林恵
2025年末から「人文」「人文知」の語が世間を賑わせている。そしてその消費・受容主体として、企業や会社員の存在もクローズアップされる。そもそも企業やビジネスパーソンと「人文知」との関係とはいかなるものだったのか。企業と人文知をつなぐ回路を、WORKSIGHT編集長の山下正太郎とコンテンツディレクターの若林恵がゆるゆると語ってみた、長文対談の前編。
このへん、日本語の美術批評界隈で書いている人いるんだっけ...。大岩さんがハーマンの読書会かなんかやってた気はするが。
ジェルからハーマンへという流れがあるんだけど、ハーマンのArt and Objects読みたさはある(いつになることやら)
オブジェクト指向存在論(OOO)とハイパーオブジェクト:美術批評への新たな視点 https://scrapbox.io/shounoyusuke-35958245/オブジェクト指向存在論(OOO)とハイパーオブジェクト:美術批評への新たな視点
scrapbox.io
オブジェクト指向存在論(OOO)とハイパーオブジェクト:美術批評への新たな視点 - Yusuke Shono & AI Research
グレアム・ハーマンのOOOからイアン・ボゴストのエイリアンの現象学、ティモシー・モートンのハイパーオブジェクト論など、人間中心主義を超えた哲学の美術批評への影響を検証する。非人間的視点から作品を再解釈し、21世紀美術の新たな批評的地平を論じる。 21世紀の哲学において、オブジェクト指向存在論(Object-Oriented Ontology, 以下OOO)やハイパーオブジェクト論といった思想が登場
「上伝記的」「下伝記的」って造語使うなら注釈くらい入れてくれ〜
アルフレッド・ジェル「アートとエージェンシー」読みはじめているけど、人類学を「伝記的」として、社会学は「上伝記的」、認知心理学は「下伝記的」という記述があり、かなり謎の日本語だ。たぶん「伝記以上」「伝記未満」みたいなことなんだと思うけど、これ編集は赤入れないのか。
ちょっと思ったけど、ライブラリならAIは作れそうだな。コーディングエージェントも、コードの海のなかに住む世界内存在ではありそう。
ライブラリの詳細な挙動を理解しなくても使えるのは情報隠蔽(パーナス)とかで理解すべきことと理解しなくてもいいことを切り分けて隠すべきものは積極的に隠すよう説いているのと同じだけど、vibe codingで理解していないっていうのはただのサボりで、認知のコストを機械が代替してくれるという幻想のうえに成り立っている。もちろん認知にかかるコストが代替できないからこそ情報隠蔽に意味があるのだ。
ライブラリもvibe codingと同じように理解してなかっただろという、典型的な誤解。ライブラリは明確なインターフェースを持ち利用法が明記される。また、集団による資産になっているからインターフェースも安定するし、言語的に安定している。vibe codingは集団でやらないしライブラリのように安定していない。 https://x.com/AcornDe/status/2005847818234139047
AI研究の流れで現象学が参照されるのもこのあたりで、いまのAIは世界内存在ではないから、現実と抽象を自律的に突き合わせることができない。それをやるには人間の認知を利用する必要があって、だから対話的インターフェースにならざるを得ない。
AIがほんとうに人間より知能が高くなって、人間がソフトウェア生産労働から解放されるっていうのなら話は別だけど、どう見てもそんなものではない。というか、結局生産されたコードが現実に適合するかという評価をAIができない(やる手段あるの?)のは、記号接地問題そのまんまだから、人間の認知機能を代替できない。
生成AI、言語を喋ってくれるツールだけど、参考それを使う側が言語も認知も甘く見すぎていて、コンパイラみたいに中身を理解していなくても使っていいものと誤解している人が多いような印象がある。「AIがマシン語わ吐き出してもいいのでは」みたいなのはこの誤解を象徴している。なんで言語をしゃべるツールに非言語を喋らせる必要があるのか。
「理解負債」が新しいと言っているけど、もともとソフトウェア開発の多くの問題は人間の認知に関わるものとして語られてきている。XPも技術的負債もDDDも、人間による対象世界の理解の欠如を埋めるためのプロセスで、対象世界とのズレを調整しつつ、理解した内容をコードに反映しろという。コードに反映する必要があるのは、チームの共通の言語的な資産になるから。コーディングにはドキュメントとしての意味ももつように発達してきたのが、コードが機能のための道具とみなされるのはもう構造化プログラミング以前の世界なんじゃないか。 https://zenn.dev/coconala/articles/f8e4b637f64f9a

zenn.dev
なぜ、コードは速く書けるのに開発は遅くなったのか ―AI時代の「理解負債」との向き合い方
ビル・アトキンソン氏が死去 AppleのUIを確立した伝説的エンジニア - ITmedia NEWS https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2506/08/news022.html
MacPaintで現代のAppStoreのアイコン描いてるスクショが突然登場して、フイルムエストTV見てる気分になった

itmedia.co.jp
ビル・アトキンソン氏が死去 AppleのUIを確立した伝説的エンジニア
AppleでMacintoshのGUIの根幹を築いたビル・アトキンソン氏が亡くなった。74歳だった。「QuickDraw」「MacPaint」「HyperCard」などの開発で知られ、晩年は写真家として活動していた。
大人のキスよ。帰ってきたら天ぷらにしましょう。
現状のコーディングエージェント、閉じた環境内を動き回るだけではあるから、めちゃくちゃ馬力のあるジュニアプログラマーがプロジェクトに参加しているということではある。そこに最適化するとジュニア向けの記事とかが一番参照項になり、アンクルボブ的なものが増加する。 ただ、コードレビューはわりと参考になることが多いけど(ヒューマンエラーの防止には役立つ)。
あと、コーディングするエージェントの特徴は、抽象を理解し操作することはできるが、抽象を自ら作り出すことはできない、というのはいくつか観察して理解した。ようするに、問題解決の構造を作り出すことができない。だから設計は人間がする必要があるけど、この設計が現実に適用してうまくいくかを検証する効率的な手段は存在していない。問題解決の全体の過程で、コーディングエージェントが機能するのはごく一部の領域でしかない。
結局複雑性の所在は変わっていないから、コーディングするエージェントの登場がソフトウェアエンジニアリングのパラダイムを一切変えないことは、もう自分の確信になっている
ソフトウェアを作ることの本来的な難しさはコーディングという次元にあるわけじゃないのはずっと言われてきているのに、コーディング速度が早くなったからというだけで、そうしたことが忘れられる速度の早さにもびっくりする。
FizzBuzz Enterprise みたいなのを高速につくって楽しいんだろうか
プログラマーの「生産性」と言われるものが、やらないでよいことははっきりやらず、やるべき最小限のことをみつけだしてそれを実施してくことで成立していたはずが、AIコーディングの登場でおどろくようなオーバーエンジニアリングに疑問を抱かない人が増えたなと感じており、残念な気持ちで見ている。
これから読む本についてChatGPTにあれこれ質問して、最後に「今日は本当に良い思考の往復でした」って結んできて、「えっ"思考"してたの??」ってちょっとびっくりした、いや"思考"しているのかもしれない。思考とはなんなのかは知らないが...。
ChatGPT、「ちょっと離れているけど関連してそうだな」みたいな論点を整理させるとめちゃくちゃ上手いな
@polidog アンクルボブのせいです
SOLIDとかまあいいし自分も一時期はまったけど、話の中身が無さすぎて、そういう中身のないものからたくさん学んでいるっぽい。
いまになってみると、ボブおじさんが公害だなとすら思いはじめた。