@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)

こんなことを思ったのも、永井均と清水俊史のどうでもよいやりとりを見たからなんだけど。清水は明確に歴史的な思考をするが、永井および一派は致命的なほど非歴史的で、非歴史性こそが哲学だと述べてはばかることがない。

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@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)

「仏典の翻訳の誤訳」を「誤訳」としらずに時間論として解釈し、それを哲学的営みとする。それ自体はまあいいとして、これが「誤訳である」と判明したとき、当の「時間論」はどこの時空間に位置付けられるのか。パーリ語が原典であるなら翻訳前のその文献が書かれた時代の「時間論」であるが、誤訳であるのなら訳者の時代の「時間論」解釈が持ち込まれている。この時間論が、無前提・無時間にあるわけがないのだが、永井に影響を受けた一部の人間たちが「時間論は独立にある」と主張してしまって、そうした読みを可能にすることに「哲学的センス」の存在を仮定してしまう。 こうした態度は、通常は馬鹿にしておけばいいだけだとおもうけど、この態度はしばしばみかけるものでもあり、また、永井均のよくわからない影響圏というものがあって、それは考えておくべきことだとは思っている。