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美術のことを考えるときに歴史と切り離すことはできないとおもうのだけど、それは身のまわりのことをなんらかの思考の対象とする際に任意の方法を選択する必要があり、その方法論を通じて「身のまわりのことを特定のやり方で思考する」ことができるようになる。この方法論を美術の歴史のなかに探っている、ということではないかとおもうのだけど、たとえば自分の認識・認知を映像メディアとの関連で考えるときに、映像メディアを使った作品の先行例を考えるとかは、ふつうやる。自分の思考を形成するに際して歴史を媒介にして思考するのだけど、歴史はその意味で思考のための資源となる。 自分の考えるところでは、批評が必要になるのは、こうした資源としての歴史を現在に用立てるときにどこまで有用でどこから有用でないかを考えるときにではないかとおもう。たとえば、ヴィト・アコンチの作品はインターネットメディアに対しても批判的な射程をもっているだろうか、みたいなことは作品分析から生まれることがなくて、自分の観点を作品分析に折り返す作業で、アコンチの限界を検討することでもある。