美術のことを考えるときに歴史と切り離すことはできないとおもうのだけど、それは身のまわりのことをなんらかの思考の対象とする際に任意の方法を選択する必要があり、その方法論を通じて「身のまわりのことを特定のやり方で思考する」ことができるようになる。この方法論を美術の歴史のなかに探っている、ということではないかとおもうのだけど、たとえば自分の認識・認知を映像メディアとの関連で考えるときに、映像メディアを使った作品の先行例を考えるとかは、ふつうやる。自分の思考を形成するに際して歴史を媒介にして思考するのだけど、歴史はその意味で思考のための資源となる。 自分の考えるところでは、批評が必要になるのは、こうした資源としての歴史を現在に用立てるときにどこまで有用でどこから有用でないかを考えるときにではないかとおもう。たとえば、ヴィト・アコンチの作品はインターネットメディアに対しても批判的な射程をもっているだろうか、みたいなことは作品分析から生まれることがなくて、自分の観点を作品分析に折り返す作業で、アコンチの限界を検討することでもある。
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Design と Code と Chord を操ったり操られたりしています。
#CSS と #WebComponents と #Affinity と #Vivaldi と #LittleMartin #Guitar がお気に入り。
いまだに #RiotJS を陰で応援している人。
伊達メガネの下戸。ですます調以外は独り言です。
絵描きの妻と子供達が好き。
november1952@november1952@mastodon.social
「勝ち負け」から自由になりたい。「悟りなば 坊主になるな魚食へ 地獄へ行つて鬼に負けるな」が座右の銘。図書館と現代音楽と現代美術と駄洒落とVTuberが好き。最近サボりがちだが、市販楽譜の打ち込みもやる。その一部は自分のYouTubeチャンネルで公開中。https://youtube.com/@katalominai
好きなアニメ:
「TARI TARI」「sola」「灰羽連盟」「フィギュア17 つばさ&ヒカル」(生涯ベスト4)好きなゲーム:
「DJMAX RESPECT」「千年戦争アイギス」
