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戦前の植民地主義の隠蔽語りは、日本に特有のことではないように思われる。

以下の記述は、2023年マティス展のカタログからの引用だが、これを書いたのはフランスの学芸員(美術史家?)である。

"マティスの「オダリスク」は––アングルやドラクロワのオリエンタリスム(東方趣味)絵画とは違って––単なるモティーフでも画題のカテゴリーでもない。それは絵画の構成要素そのもののあいだに生まれる緊張の調整という観点から絵画表面を考える、新たな発想を指しているのである。"

https://blog.tenjuu.net/2023/04/henri_matisse

マティスの行動と制作を見れば、伝統的なオリエンタリズムとつながっていることは自明であるのだが、伝統的なオリエンタリズムからの切り離しと、マティスの旅行先が植民地であったことへの記述がないこととは、一連の語りである。マティスは、ただ旅行し、ただ絵画を描いたことになる。

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梅原龍三郎「北京秋天」は、いま近代美術館での戦争画の展示にも出ているが、梅原は主観的には北京には旅行しただけだった。1937年から日本と中国は交戦中であるが、北京には日本の傀儡政権がある時期だろう。このURLの説明をだれが書いたかはわからないが、梅原はまるでただの旅行に行っただけのようだ。

"1939年に満州国美術展の審査に招かれて渡満した梅原は、その帰途はじめて北京を訪れて以来、すっかりこの大陸の古都の美しさに魅せられてしまい、43年まで毎年同地を訪れては制作に励んでいる。" https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/53491

ちょっと気になるのだが、梅原は戦後にも中国の風景を描いているのだろうか。近美の所蔵作品リストを見るとヴェニスとかカンヌとかはあるが中国はないように思う。 https://search.artmuseums.go.jp/sakuhin_list.php?sakka=1572&page_from=detail#;