tenjuu99(天重誠二)'s avatar

tenjuu99(天重誠二)

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net

198 following131 followers

読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など いろいろ雑につぶやいています SPACE NOBI というアートスペースやっています

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net

おかけんの作品は小さいものは良いけど大きいものが面白くないと思っていて、小さいものは一発で完結する操作の鋭さと、妙なセンスの良さがある。こういうセンスで成り立つ小作品の系譜を勝手に「ちいかわ」と呼んでいるんだけどたぶん誰にも伝わらない。ちいかわは読んでない。

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net
@Cement_Thing@fedibird.com

これ巡回展で元々あった文らしいけどそれでも松濤美術館がこの展示を引き受けているところに強いメッセージ性があるな

>「彼女が邪魔だった」― これは、2020年に渋谷で起きた路上生活者殺害事件で、加害者が発した言葉です。路上は、所有が曖昧であるがゆえに公序が強調され、時に他者の主観的ルールが衝突する息苦しさを孕んだ空間でもあります。2020年の事件は、公共性の意味を取り違えたときに起こりうる取り返しのつかない暴力を私たちに突きつけました。

路上、お邪魔ですか?
shoto-museum.jp/exhibitions/21

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)
@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)

まあやっぱりクラウスの批判はあんまり意味ないな。オルタナティブスペース運動もブロックバスター展みたいにシミュラークルだっていうのは、単純に間違っている。遊休物件がオルタナティブスペースの特徴なので、それをどう捉えるかだし、そういう物件はたぶんジェントリフィケーションが進行しても無くならないものだと思う。

この話はこのように締まる。
「フレドリック・ジェイムスンはこのような文化の再プログラム化を、モダン・アートそのものが先進的資本と取り結ぶ関係に内在するロジックと特徴づけている。この関係の中で、資本の個別の発現形態ーたとえばテクノロジー、あるいは商品化、あるいは大量生産を行う主体が被る物象化ーに抵抗するまさにそのさなかで、アーティストたちはこの現象に対するオルタナティヴを産み出すが、それはまた同じ現象の一関数、つまり彼らが反発していたまさにその対象の別ヴァージョンと読み解くこともできる。こうしてアーティストは、工業化が引き起こした何らかの悪夢に対するユートピア的オルタナティヴあるいは埋め合わせをつくりだしているのかもしれない一方、まったく同時に、ある想像的空間を描き出してみせているのであって、その空間は、もし同じ悪夢の構造的特徴がその形姿を決定しているのだとすれば、受け手が次の、さらに先進的なレベルの資本の領土にフィクションを通じて住まう可能性を産み出すはたらきをする。グローバル化した美術館、脱現実化し、シミュラークル化したスペクタクルの展示をその内容とするような美術館は、このロジックが導き出した結果の、もうひとつの例なのである。」p.671

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net

ゴードンの父、ロベルト・マッタ、チリのアジェンデ政権の支援をしていて、アジェンデ政権のサイバーシン計画はそれこそ資本主義に対するオルタナティブな実験だったんだよなたぶん。

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net

クラウスの批判、雑に言えばオルタナティブスペース運動も資本主義の一部だっていうものだった気がするんだけど、だからなんなんだよみたいなことはある

まあ、なんか見出しが「ニューヨークで、P.S.1がメトロポリタン美術館における「ツタンカーメン」展と時を同じくして開設される。制度=機関的構造の面でアートワールドに生じていた重大なシフトが、オルタナティブ・スペースとブロックバスター展覧会の両方によって記名される。」で、なんかすげー金の話してます

@Cement_Thing@fedibird.com · Reply to セメントTHING

「本展は2019年に国立台湾美術館で行われた『共時的星叢 : 〈風車詩社〉與跨界域藝術時代』展を東京で再構築したものだが、それはたんなる巡回展に留まらない。風車詩社の活動を通じて台湾文化への理解を深めてきた黄が、膨大なリサーチと日本チームとの綿密な対話を経て、自国の多層的な文化をいかに海外へ伝えるかを追求した成果と言えるだろう」

「共時的星叢──時を共にした星たち 越境する芸術のまなざし」(東京都現代美術館)開幕レポート。無数の星々の営みが語る、もうひとつの近代
bijutsutecho.com/magazine/news

bijutsutecho.com

「共時的星叢──時を共にした星たち 越境する芸術のまなざし」(東京都現代美術館)開幕レポート。無数の星々の営みが語る、もうひとつの近代

東京・清澄白河の東京都現代美術館で、1930年代の台湾で結成されたモダニズム詩のグループ「風車詩社」を描いた映画を起点とし、台湾と日本の近代を多様な文化芸術から再考する展覧会「共時…

ART SINCE 1900が手元にあるのでマッタ=クラークが出てくるところを読んでみた。メインで取り扱ってる箇所はp.581の「1967a」で、ロバート・スミッソンとかを「エントロピー」というキーワードを中心にして読み解いていく話のケツで出てくる。
「マッタ-クラークの仕事にとって本質的な側面として、作品それ自体が廃材となるべく運命づけられていたこと、またたく間に消え去るべき存在だったことがある。どちらも建築の持つ(〈永遠にありつづけるべくして建てられる〉という)意味に対してマッタ-クラークが挑んだ戦いに関わっているからだ。」p.584
オルタナティブ・スペースのムーブメントの批判っぽいことは「1976」でロザリンド・E・クラウスが書いてるけど、難しくてなに書いてあんのかよくわかんない。

@pokarim@fedibird.com
@tenjuu99@hollo.tenjuu.net

AI倫理の話、一つしか論考読んでないけど大真面目に間抜けな議論しているもんだから、哲学の人マジで参入したほうがいいと思った

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)

続きもうちょっと考えてみたいけど、制度そのものを代替するというより、穴だらけの制度の穴をもっと広げていくとか、「オルタナティブ」という言葉よりはそのほうが考えやすそうだなとおもう。

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net

Instagramに書いてたこと、こちらにも書いておきます。


オルタナティブスペースが「オルタナティブ」であるのは、美術館やマーケットという制度に対して独自の制度・独自の観客を開拓することが「オルタナティブ」であるのだとするなら、わたしがnobiについて考えているのは、どちらかというと制度に対する補完的な機能ではないかなと思いました。nobiは武蔵美の近くに位置していて、わたしが武蔵美出身ということもあってその大学との関係は意識しているのですが、今回出展されている各スペース様でも、大学との関係がしばしばあるなと思いました。これは、ある種の制度との関わりがあると、自分では感じています。

極端な例かもしれませんが、八路軍は制度の打倒を目指したという点で「オルタナティブ」ですが、そういう意味でのオルタナティブというのは少ない気がしています。どちらかといえば、スタートアップのエコシステムに近い印象があって、シード期のアーティストの実験的な環境として、「オルタナティブスペース」があるのかなという印象があります。シード期を抜けたらマーケットや美術館での展示をやったりする。これは制度の代替物であるというよりは制度の一部であり、むしろ中央のアート環境との相互関係において成立している場合が多い気がします。

オルタナティブスペースの走りとしてはゴードン・マッタ=クラークがいて、いまのように制度が機能分化するより前の実践ではあるけど、レストランをやったり家をぶった切ったりなど幅広い活動をしていますが、実際に彼が短命だった以上にその活動内容も短命だったとは思います。ART SINCE 1900でのマッタ=クラークについての記述が誰だったか今手元になくて思い出せませんが、その短命さを指して「オルタナティブスペースのムーブメントはすぐさま制度に回収された」というようなことを言っていたような気がします。Octoberの面々はまあ自主運営であるから(ですよね?)、「オルタナティブスペース」ムーブメントがすぐさま制度に回収されてしまう(つまりスタートアップのシードのようなものとして捉えられるような)足腰の弱さを批判してみせたんだとおもいますが、そしてOctober派のような反骨心もいまの自分にはないわけですが、しかし、マッタ=クラークの活動にしても、「オルタナティブ」という言葉で考えるよりも、「都市の隙間」に発生するような諸活動の形態を考えてみることが生産的な批判ができたりしないかな、などと考えました。マッタ=クラークが家を切断してみせたのが、都市に空隙があることを明示するためであるなら、一枚岩の「制度」があって、それへの代替があるということより、そもそも「制度」が穴だらけであって、その穴にみんな棲みついてしまってかまわない、そういう実践をしてみせたのがマッタ=クラークであるとも思えます。

ほんとうにとりとめもないのですが、「オルタナティブ」という言葉を巡ってもやっとした感覚を置いておきます(前半と後半で言っていることがバラバラなのも眠い頭で思考したものでご容赦ください)。

@satomuch@fedibird.com · Reply to サトマキ

NEW PLATFORMに出展していた さんが参加された2日目のトークイベントの模様(行きたかった)。あとから「この前の社会科の戦略ではなく戦術、みたいな話だと思いました」とメッセージをいただき、そう、この前の「戦略と戦術」の話、聞いてて凄い大事だと思ったんだよなってなった。実践と応用が利く。
instagram.com/p/DdMk7v5D3Bw/?s

instagram.com

space nobi on Instagram: "せっかく写真とっていただいたので、アップしておきます。Art Center NEW でのNew Platformに出展しており、出展者どうしのクロストークに参加させていただきました。 何を話せばよいかあまりわからずわけのわからないことを口走っていたような気がするのですが、トークのあとに「オルタナティブスペース」というものについてなんとなく考えていました。以下はとりとめのないメモみたいなものです。 オルタナティブスペースが「オルタナティブ」であるのは、美術館やマーケットという制度に対して独自の制度・独自の観客を開拓することが「オルタナティブ」であるのだとするなら、わたしがnobiについて考えているのは、どちらかというと制度に対する補完的な機能ではないかなと思いました。nobiは武蔵美の近くに位置していて、わたしが武蔵美出身ということもあってその大学との関係は意識しているのですが、今回出展されている各スペース様でも、大学との関係がしばしばあるなと思いました。これは、ある種の制度との関わりがあると、自分では感じています。 極端な例かもしれませんが、八路軍は制度の打倒を目指したという点で「オルタナティブ」ですが、そういう意味でのオルタナティブというのは少ない気がしています。どちらかといえば、スタートアップのエコシステムに近い印象があって、シード期のアーティストの実験的な環境として、「オルタナティブスペース」があるのかなという印象があります。シード期を抜けたらマーケットや美術館での展示をやったりする。これは制度の代替物であるというよりは制度の一部であり、むしろ中央のアート環境との相互関係において成立している場合が多い気がします。 オルタナティブスペースの走りとしてはゴードン・マッタ=クラークがいて、いまのように制度が機能分化するより前の実践ではあるけど、レストランをやったり家をぶった切ったりなど幅広い活動をしていますが、実際に彼が短命だった以上にその活動内容も短命だったとは思います。ART SINCE 1900でのマッタ=クラークについての記述が誰だったか今手元になくて思い出せませんが、その短命さを指して「オルタナティブスペースのムーブメントはすぐさま制度に回収された」というようなことを言っていたような気がします。Octoberの面々はまあ自主運営であるから(ですよね?)、「オルタナティブスペース」ムーブメントがすぐさま制度に回収されてしまう(つまりスタートアップのシードのようなものとして捉えられるような)足腰の弱さを批判してみせたんだとおもいますが、そしてOctober派のような反骨心もいまの自分にはないわけですが、しかし、マッタ=クラークの活動にしても、「オルタナティブ」という言葉で考えるよりも、「都市の隙間」に発生するような諸活動の形態を考えてみることが生産的な批判ができたりしないかな、などと考えました。マッタ=クラークが家を切断してみせたのが、都市に空隙があることを明示するためであるなら、一枚岩の「制度」があって、それへの代替があるということより、そもそも「制度」が穴だらけであって、その穴にみんな棲みついてしまってかまわない、そういう実践をしてみせたのがマッタ=クラークであるとも思えます。 ほんとうにとりとめもないのですが、「オルタナティブ」という言葉を巡ってもやっとした感覚を置いておきます(前半と後半で言っていることがバラバラなのも眠い頭で思考したものでご容赦ください)。"

85 likes, 0 comments - spacenobi on September 12, 2026: "せっかく写真とっていただいたので、アップしておきます。Art Center NEW でのNew Platformに出展しており、出展者どうしのクロストークに参加させていただきました。 何を話せばよいかあまりわからずわけのわからないことを口走っていたような気がするのですが、トークのあとに「オルタナティブスペース」というものについてなんとなく考えていました。以下はとりとめのないメモみたいなものです。 オルタナティブスペースが「オルタナティブ」であるのは、美術館やマーケットという制度に対して独自の制度・独自の観客を開拓することが「オルタナティブ」であるのだとするなら、わたしがnobiについて考えているのは、どちらかというと制度に対する補完的な機能ではないかなと思いました。nobiは武蔵美の近くに位置していて、わたしが武蔵美出身ということもあってその大学との関係は意識しているのですが、今回出展されている各スペース様でも、大学との関係がしばしばあるなと思いました。これは、ある種の制度との関わりがあると、自分では感じています。 極端な例かもしれませんが、八路軍は制度の打倒を目指したという点で「オルタナティブ」ですが、そういう意味でのオルタナティブというのは少ない気がしています。どちらかといえば、スタートアップのエコシステムに近い印象があって、シード期のアーティストの実験的な環境として、「オルタナティブスペース」があるのかなという印象があります。シード期を抜けたらマーケットや美術館での展示をやったりする。これは制度の代替物であるというよりは制度の一部であり、むしろ中央のアート環境との相互関係において成立している場合が多い気がします。 オルタナティブスペースの走りとしてはゴードン・マッタ=クラークがいて、いまのように制度が機能分化するより前の実践ではあるけど、レストランをやったり家をぶった切ったりなど幅広い活動をしていますが、実際に彼が短命だった以上にその活動内容も短命だったとは思います。ART SINCE 1900でのマッタ=クラークについての記述が誰だったか今手元になくて思い出せませんが、その短命さを指して「オルタナティブスペースのムーブメントはすぐさま制度に回収された」というようなことを言っていたような気がします。Octoberの面々はまあ自主運営であるから(ですよね?)、「オルタナティブスペース」ムーブメントがすぐさま制度に回収されてしまう(つまりスタートアップのシードのようなものとして捉えられるような)足腰の弱さを批判してみせたんだとおもいますが、そしてOctober派のような反骨心もいまの自分にはないわけですが、しかし、マッタ=クラークの活動にしても、「オルタナティブ」という言葉で考えるよりも、「都市の隙間」に発生するような諸活動の形態を考えてみることが生産的な批判ができたりしないかな、などと考えました。マッタ=クラークが家を切断してみせたのが、都市に空隙があることを明示するためであるなら、一枚岩の「制度」があって、それへの代替があるということより、そもそも「制度」が穴だらけであって、その穴にみんな棲みついてしまってかまわない、そういう実践をしてみせたのがマッタ=クラークであるとも思えます。 ほんとうにとりとめもないのですが、「オルタナティブ」という言葉を巡ってもやっとした感覚を置いておきます(前半と後半で言っていることがバラバラなのも眠い頭で思考したものでご容赦ください)。".

@satomuch@fedibird.com · Reply to サトマキ

NEW PLATFORMに出展していた さんが参加された2日目のトークイベントの模様(行きたかった)。あとから「この前の社会科の戦略ではなく戦術、みたいな話だと思いました」とメッセージをいただき、そう、この前の「戦略と戦術」の話、聞いてて凄い大事だと思ったんだよなってなった。実践と応用が利く。
instagram.com/p/DdMk7v5D3Bw/?s

instagram.com

space nobi on Instagram: "せっかく写真とっていただいたので、アップしておきます。Art Center NEW でのNew Platformに出展しており、出展者どうしのクロストークに参加させていただきました。 何を話せばよいかあまりわからずわけのわからないことを口走っていたような気がするのですが、トークのあとに「オルタナティブスペース」というものについてなんとなく考えていました。以下はとりとめのないメモみたいなものです。 オルタナティブスペースが「オルタナティブ」であるのは、美術館やマーケットという制度に対して独自の制度・独自の観客を開拓することが「オルタナティブ」であるのだとするなら、わたしがnobiについて考えているのは、どちらかというと制度に対する補完的な機能ではないかなと思いました。nobiは武蔵美の近くに位置していて、わたしが武蔵美出身ということもあってその大学との関係は意識しているのですが、今回出展されている各スペース様でも、大学との関係がしばしばあるなと思いました。これは、ある種の制度との関わりがあると、自分では感じています。 極端な例かもしれませんが、八路軍は制度の打倒を目指したという点で「オルタナティブ」ですが、そういう意味でのオルタナティブというのは少ない気がしています。どちらかといえば、スタートアップのエコシステムに近い印象があって、シード期のアーティストの実験的な環境として、「オルタナティブスペース」があるのかなという印象があります。シード期を抜けたらマーケットや美術館での展示をやったりする。これは制度の代替物であるというよりは制度の一部であり、むしろ中央のアート環境との相互関係において成立している場合が多い気がします。 オルタナティブスペースの走りとしてはゴードン・マッタ=クラークがいて、いまのように制度が機能分化するより前の実践ではあるけど、レストランをやったり家をぶった切ったりなど幅広い活動をしていますが、実際に彼が短命だった以上にその活動内容も短命だったとは思います。ART SINCE 1900でのマッタ=クラークについての記述が誰だったか今手元になくて思い出せませんが、その短命さを指して「オルタナティブスペースのムーブメントはすぐさま制度に回収された」というようなことを言っていたような気がします。Octoberの面々はまあ自主運営であるから(ですよね?)、「オルタナティブスペース」ムーブメントがすぐさま制度に回収されてしまう(つまりスタートアップのシードのようなものとして捉えられるような)足腰の弱さを批判してみせたんだとおもいますが、そしてOctober派のような反骨心もいまの自分にはないわけですが、しかし、マッタ=クラークの活動にしても、「オルタナティブ」という言葉で考えるよりも、「都市の隙間」に発生するような諸活動の形態を考えてみることが生産的な批判ができたりしないかな、などと考えました。マッタ=クラークが家を切断してみせたのが、都市に空隙があることを明示するためであるなら、一枚岩の「制度」があって、それへの代替があるということより、そもそも「制度」が穴だらけであって、その穴にみんな棲みついてしまってかまわない、そういう実践をしてみせたのがマッタ=クラークであるとも思えます。 ほんとうにとりとめもないのですが、「オルタナティブ」という言葉を巡ってもやっとした感覚を置いておきます(前半と後半で言っていることがバラバラなのも眠い頭で思考したものでご容赦ください)。"

85 likes, 0 comments - spacenobi on September 12, 2026: "せっかく写真とっていただいたので、アップしておきます。Art Center NEW でのNew Platformに出展しており、出展者どうしのクロストークに参加させていただきました。 何を話せばよいかあまりわからずわけのわからないことを口走っていたような気がするのですが、トークのあとに「オルタナティブスペース」というものについてなんとなく考えていました。以下はとりとめのないメモみたいなものです。 オルタナティブスペースが「オルタナティブ」であるのは、美術館やマーケットという制度に対して独自の制度・独自の観客を開拓することが「オルタナティブ」であるのだとするなら、わたしがnobiについて考えているのは、どちらかというと制度に対する補完的な機能ではないかなと思いました。nobiは武蔵美の近くに位置していて、わたしが武蔵美出身ということもあってその大学との関係は意識しているのですが、今回出展されている各スペース様でも、大学との関係がしばしばあるなと思いました。これは、ある種の制度との関わりがあると、自分では感じています。 極端な例かもしれませんが、八路軍は制度の打倒を目指したという点で「オルタナティブ」ですが、そういう意味でのオルタナティブというのは少ない気がしています。どちらかといえば、スタートアップのエコシステムに近い印象があって、シード期のアーティストの実験的な環境として、「オルタナティブスペース」があるのかなという印象があります。シード期を抜けたらマーケットや美術館での展示をやったりする。これは制度の代替物であるというよりは制度の一部であり、むしろ中央のアート環境との相互関係において成立している場合が多い気がします。 オルタナティブスペースの走りとしてはゴードン・マッタ=クラークがいて、いまのように制度が機能分化するより前の実践ではあるけど、レストランをやったり家をぶった切ったりなど幅広い活動をしていますが、実際に彼が短命だった以上にその活動内容も短命だったとは思います。ART SINCE 1900でのマッタ=クラークについての記述が誰だったか今手元になくて思い出せませんが、その短命さを指して「オルタナティブスペースのムーブメントはすぐさま制度に回収された」というようなことを言っていたような気がします。Octoberの面々はまあ自主運営であるから(ですよね?)、「オルタナティブスペース」ムーブメントがすぐさま制度に回収されてしまう(つまりスタートアップのシードのようなものとして捉えられるような)足腰の弱さを批判してみせたんだとおもいますが、そしてOctober派のような反骨心もいまの自分にはないわけですが、しかし、マッタ=クラークの活動にしても、「オルタナティブ」という言葉で考えるよりも、「都市の隙間」に発生するような諸活動の形態を考えてみることが生産的な批判ができたりしないかな、などと考えました。マッタ=クラークが家を切断してみせたのが、都市に空隙があることを明示するためであるなら、一枚岩の「制度」があって、それへの代替があるということより、そもそも「制度」が穴だらけであって、その穴にみんな棲みついてしまってかまわない、そういう実践をしてみせたのがマッタ=クラークであるとも思えます。 ほんとうにとりとめもないのですが、「オルタナティブ」という言葉を巡ってもやっとした感覚を置いておきます(前半と後半で言っていることがバラバラなのも眠い頭で思考したものでご容赦ください)。".

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)

あと、地方の「オルタナティブ」スペースもわりと大学との関わりが重要で、そのへんもむしろ全体的には制度の一部として発達してきている面が強いと感じる。制度を代替するようなものではなく、補完関係にあると思う。

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)

というかオンゴーイングとかも、そこに昔から関わっているアーティストとかは本流の(?)アートマーケットとかでバリバリにやっていて、オルタナティブとは?みたいなのは思う。Bゼミとか出身者はいまでは大学教授とかだし。

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net

トークイベント、オルタナティブスペースと社会との接続みたいな話で、何話せばいいかよくわからず変なこと口走っていた気がする。 オルタナティブスペースの定義が、美術館やアートマーケットという制度に対する「オルタナティブ」であるなら、正統派のオルタナティブってアーティストランスペースで、かつ売れない作品作って発表する場みたいなものだと思うけど、そういう意味では自分がやっているのは制度への補完関係として意識している気はしていて、「オルタナティブ」ではない気がする。