tenjuu99(天重誠二)'s avatar

tenjuu99(天重誠二)

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読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など いろいろ雑につぶやいています SPACE NOBI というアートスペースやっています

@triary@fedibird.com

X以外のSNS探してる人にfediverse勧めたら「人いないじゃん」って言われたことに遅れて衝撃を受けたりした 人いる…よ…?それとも人外の集まりだと思われてるの……?

@nofrills@ohai.social

ジェノサイド下のガザ地区で、テント暮らしをしながら勉強を続けて大学を卒業し、その後病院で破壊されたり壊れたりした医療機器をボランティアで修理してきたエンジニアのオダイさんが、あとほんの少し(数万円程度)、金銭的なご支援があれば、名門UCL工学部の大学院に進めそうです。よろしければ情報拡散を、また可能であれば金銭的ご支援をよろしくお願いします。

詳細⇒凄腕医療機器修理人のオダイさん、英名門大学院に進むための学費があと数万円のところまで来ています。可能な方はどうかご支援を!|nofrills note.com/nofrills_note/n/n4f21

必要な£510のうち、たぶん£400くらいは集まっています。

note.com

凄腕医療機器修理人のオダイさん、英名門大学院に進むための学費があと数万円のところまで来ています。可能な方はどうかご支援を!|nofrills #\ガザ市民の声翻訳 発起人

ガザの凄腕医療機器修理人、オダイさん この3月に作成・配布した拙フリーペーパーでご紹介した、ガザの凄腕医療機器修理人、エンジニアのオダイさんから、将来のためにとても重要な要請が来ています。彼個人の将来にばかりでなく、ガザ地区の将来を支えていくうえでも重要だと思います。 オダイさんは24歳。ガザ市のアル=アズハル大学(同名のエジプト、カイロの大学とは別)で、医用生体工学を修めた技術者(メディカル・エンジニア)です。「医用生体工学」とは、医学と工学を結ぶ学問領域で、今はAIを医学に取り入れての研究なども進んでいますが、医療に用いる機械類の開発なども含んでいて、かなり幅広い領域です。大学

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三島対全共闘みたいなのを引き合いに出す人いるけど、まったく状況が違っていて、あのときは左派が大学という権威的・制度的空間をアナーキーな場にしている状況がまずあって、三島はそこに呼ばれている。おおくの観客は左派学生で、遊び半分で三島をからかう積りで見ている。五月祭はむしろ、自治とは言っても制度的な空間の維持を自治会が担当するわけで、そこにアナーキックな場が立ち上がるように画策したのが例の右派学生なんだとおもう。炎上マーケでしかないんだけど、結果から見れば例の学生はたぶん結果を成功として受けとっているように思う。

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あれを企画していた右派学生、あきらかにそういう効果を狙っての企画だよな。学園祭は学生自治によって成り立っているけれど一方で外部から大量に人が流入するイベントでもあり、イベントの開催に成功しようと失敗しようと自治の破壊としては成功しているし、自己/大学の外部にある力みたいなものを流用して炎上させるのがそもそもの意図であるようにしか思えない。

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東大の五月祭の件、大学みたいなある程度自律的な場に対して、外部的な対立が持ち込まれているという関係が気になった。

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この前友人たちと話してたけど、10年くらいまえのTwitterだと展覧会の感想ってけっこう流れてきたし感想書く人それなりに多かったし、むしろそこから書き手とかになってった人とかいるけど、いまなにか感想書くとかがリスクしかなくて展示の感想書く文化がほとんど廃れて、だいたいインスタのストーリーズに「行った」報告して終わりになってしまった。

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美術業界だと、作家のポートフォリオがInstagram化とでも呼びうるようなあり方を呈しはじめていることには問題があって、ポートフォリオつくったりWeb作ったりする代わりにInstagram使うもんだから、ナラティブを欠いた断片として見せることが当然であるかのように思う人がいるのはけっこう厄介だと思う。ついでに若干悪口書くけど、ArtStickerとか美術手帖がやっているOilとか、ああいうのはまじで断片化を促進して作家性を揮発させていて、情報としての画像が並んでいるだけになっていて、とくに美術手帖みたいなメディアが率先してやっているのが終わっていると思う。せめてメディアはナラティブを語ってくれよ。

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答え合わせになるように展示を組織してしまうキュレーターというのはたまにいて、図録そのものが現実空間に投影されているという印象を持つことがある。それは写真的な知覚というか、写真と図録によって枠付けられた作品という概念装置があってそれが現実空間に投影されていて、作品が断片化されているという印象になる。

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展示の写真というのは、全体からの切り取りにほかならないんだけど、そこからそれぞれの撮影者のナラティブが立ち上がることはしばしばあって、展示写真はおもしろいなぁと思ってしばしば見ている。

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音楽のことはそんなに考えたことないんだけど、展示についてだと、展示会場における経験というのは緊密な全体性があったりする。それをSNSなり広報媒体なりに出すときには、どうやっても断片化する。写真で空間経験を記述しようとしたって不可能なので、展示写真の撮影はなにかにフォーカスして情報の圧縮を試みているとおもう。また、プレスリリースに使う画像とかも断片としてある。この断片の経験はそれじたい一個の独立した経験であることは間違いなくて、作品経験とか展示空間の経験とは根本から異質なものだけど、それ自体として機能している性格がある。そうでなければ展示図録というのは成立していないとおもう。