そういえば元記事読んで思ったけど、ゴードン・マッタ=クラークらのオルタナティブスペース運動とヒッピームーブメントって関係ないの?ふつうにありそうだけど。

tenjuu99(天重誠二)
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読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など いろいろ雑につぶやいています SPACE NOBI というアートスペースやっています
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クラウスがオルタナティブスペース運動について論じていたのと近い。 https://hollo.tenjuu.net/@tenjuu99/019f9dde-420e-7d5e-8c83-0c41b3402c70
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Art Since 1900 でゴードン・マッタ=クラークに…
Art Since 1900 でゴードン・マッタ=クラークについて書いてあるところ探すと、ひとつはスミッソンの後継者としての記述で、もうひとつはオルタナティブ・スペース運動についてで、後者を書いているのがロザリンド・クラウスだった。クラウスの文としては意外に感じられるくらいジャーナリスティックな書き方で、オルタナティブ・スペース運動は10年も経たずに制度に回収される、というような内容だった。もちろん言っていることはわかるんだけど、一部の事例だけから見た記述だからなぁという印象が拭えない。いまだったら、オルタナティブスペース運動はルアンルパとか繋げて考えたほうがたぶんよくて、制度とのコンフリクトをかかえつつ自律的な経済・社会を目指すみたいな流れがあるとは言いたい。クラウスは諦めが早すぎる。
Art Since 1900 でゴードン・マッタ=クラークについて書いてあるところ探すと、ひとつはスミッソンの後継者としての記述で、もうひとつはオルタナティブ・スペース運動についてで、後者を書いているのがロザリンド・クラウスだった。クラウスの文としては意外に感じられるくらいジャーナリスティックな書き方で、オルタナティブ・スペース運動は10年も経たずに制度に回収される、というような内容だった。もちろん言っていることはわかるんだけど、一部の事例だけから見た記述だからなぁという印象が拭えない。いまだったら、オルタナティブスペース運動はルアンルパとか繋げて考えたほうがたぶんよくて、制度とのコンフリクトをかかえつつ自律的な経済・社会を目指すみたいな流れがあるとは言いたい。クラウスは諦めが早すぎる。
絶句
【分析】「あれを覚えているか?」 起きたことのない出来事を国民に思い出すよう求めるトランプ氏 - CNN.co.jp https://www.cnn.co.jp/usa/35250986.html

cnn.co.jp
【分析】「あれを覚えているか?」 起きたことのない出来事を国民に思い出すよう求めるトランプ氏
トランプ米大統領は23日、国民にこう問いかけた。2年前に起きた大規模なテレビの機能停止を覚えているかと。そのような機能停止は起きていない。空想を話すのが好きなトランプ氏は以前と同じように、自身が作り出した出来事を思い出すよう国民にはっきりと求めた。
舞台で起きるイリュージョンと客席の外部にある現実、という枠組みは芸術鑑賞においてかなり根本的な様式だけど、この安全性を脅かすこと(イリュージョンの破綻)は近代芸術の主な手法で、終わりどころではない。この手法が陳腐化しているんじゃないかという議論はありうるにしても。
なぜ近代芸術の出発点がリアリズムだったのかって話。
芸術の終わりどころか、こうした鏡としての芸術みたいなのは近代芸術の始まりそのもの。
マネってこれだけどね。ただし、「考えさせる」んじゃなくて、芸術に観客席なんてなくて、ただ見るという行為だけで現実に巻き込まれてしまっている。
「現実を見せることで問いを投げかけて考えさせる」ことしかなくなったらあらゆる芸術は終わりである。
権力の象徴敵体系を打ち砕くだけで抵抗になりうるだろうか、とは素朴に疑問がある。
ヒトラーの真の敵 芸術の政治化のために 田野大輔 https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_054_003_095-113.pdf
ファシズムの「政治の美学化」に対して「芸術の政治化」をもって答えようとするベンヤミンの考えを敷衍して、どうした表現が「芸術の政治化」として抵抗運動たりうるかを整理した論考。 この論考は、ベンヤミンをテーゼとしてだけでなく、実践レベルで検討していて、いろいろ参考になるなとおもいつつ、限界を感じる。「政治の美学化」という命題じたいが間違いなんじゃないだろうかという気もしている。とくに問題なのは「政治の美学化」が有効に機能するには、おそらく人種主義と検閲という二つの力が必要になっているはずで、というのも美学化された政治が徴発するのは同胞意識と排他感情で、またそうしたときに「何が敵であるか」を決定する検閲システムこそが、この美学を駆動している本体であるように思われるのだけど、ここで述べられている実践だけでは端的に検閲システムに対して、なんら抵抗力がないとおもう。
ベンヤミンが期待をかけていたのは、複製技術の発達ということであるだろうけど、現代がハイパー複製技術とでも呼びうる時代になってみて、それでもなお政治的権力はさまざまな場で強力な検閲を実行することができる。検閲を潜りぬけるための技術的諸条件を、ベンヤミンが生きた時代に考えぬくことは不可能だっただろうけども、いまはたぶんそれを考える必要があるのだとおもう。
これを読むと、ベンヤミンはある時期ユングを批判的に研究をしていたそうで、それはユングのなかに人種主義を見ていたからだろうとは思われる。 https://satotarokarinona.blog.fc2.com/blog-entry-1649.html

satotarokarinona.blog.fc2.com
『ベンヤミン – ショーレム往復書簡』 | 荒野に向かって、吼えない…
『ベンヤミン – ショーレム往復書簡』新装版が出たが僕が手にしたのは旧版の方である。ヴァルター・ベンヤミンの遺品はゲシュタポの手に落ち、ほとんどが廃棄されたものと考えられていた。つまり、ベンヤミンが送った手紙は受け取った人が保管していたが、ベンヤミンが受け取った手紙は失われたと思われていた。しかし実際にはその多くがソ連を経て東ドイツに保管されていた。こうして1933年からベンヤミンが命を絶つ40年までに交...
ベンヤミンはナチを批判するけど、ナチのなかの人種主義についてはあまり検討していないように思える。友人のショーレムはシオニストで、ショーレムとの往復書簡が出版されているけど(未読)、すくなくともベンヤミンはシオニズムを批判してはいなそうで、ナチとシオニズムの同型性を見ていたのかどうかわからない。
ベンヤミンがナチの追手から逃れることができて、戦後のシオニズムの展開を見てなんと言っただろうかということをなんとなく考えてしまうが、想像がつかない。
不快な経験ってどうしても頭にこびりつくな
Art Since 1900 でゴードン・マッタ=クラークについて書いてあるところ探すと、ひとつはスミッソンの後継者としての記述で、もうひとつはオルタナティブ・スペース運動についてで、後者を書いているのがロザリンド・クラウスだった。クラウスの文としては意外に感じられるくらいジャーナリスティックな書き方で、オルタナティブ・スペース運動は10年も経たずに制度に回収される、というような内容だった。もちろん言っていることはわかるんだけど、一部の事例だけから見た記述だからなぁという印象が拭えない。いまだったら、オルタナティブスペース運動はルアンルパとか繋げて考えたほうがたぶんよくて、制度とのコンフリクトをかかえつつ自律的な経済・社会を目指すみたいな流れがあるとは言いたい。クラウスは諦めが早すぎる。
自分もこの展示を見にいったようなんだけど、なんかぜんぜん記憶がない。
2018年東近美でのマッタ=クラーク展の図録の論考を読んでいるけど、アーティストとして扱いすぎていて、あんまりおもしろくない。
んー、ゴードン・マッタ=クラーク関係の本、高いなぁ
サッカー疎くて全然知らなかったけど、今回優勝したスペインのラミン・ヤマル、FCバルセロナでの優勝パレードでパレスチナの旗を掲げて、パレスチナでは英雄らしい。
「ドレゲネ」で検索したらwikipediaがちゃんとあって、なんとなく読んでしまいネタバレしてしまった
最後のほうの質疑だったとおもうけど、大山のあの商店街が元は闇市だったはずで、朝鮮や中国ルーツの人たちが、それまで誰何されていたのが市ではそうしたことはなくて、という話とかも網野っぽい話だとおもって聞いていました。オドラデクも闇市なら家父に心配されることもなかったのに。
スナック社会科「私がいるところ、あなたがいるところ#2-1」を駆け込みで見た。駆け込みというか11時半くらいに動画流してこの時間まで見ていたけど、たぶん一度でもリロードしたら見れなかった。見てよかった。いろんな話が横断して繋がっていたけど、なかでも大山ハッピーロードの再開発の話が、再開発によって住民の能力そのものが減衰させられるという話は、かなり身近なところから考える必要がある問題で、いろいろ考える手掛りがあった。 https://note.com/away/n/n38534ebe5a8f

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スナック社会科vol.19「私がいるところ、あなたがいるところ#2-1 新しい秩序」が終わりました。|サトマキ
会場と配信でご参加いただいた皆さま、ありがとうございました!ご参加されずとも拡散にご協力いただいた方もありがとうございました。アーカイブは7/25(土)まで販売&配信中です。 スナック社会科「私がいるところ、あなたがいるところ#2-1」 【出演】 発表者:堀真悟、田崎英明、梁英聖 モデレーター:早尾貴紀 ファシリテーター:ちょうさん・サトマキ ビデオ出演:イ premier.twitcasting.tv これから配信を見る方もいらっしゃると思いますが、感想も是非お寄せください。イアンさん含め、出演された皆さまにも共有いたします。 また、配布資料は共有ド
カフカが描いたオドラデク、同化主義的な社会のなかに居場所のないユダヤ人としてのカフカ、みたいなのを否応なく想起させられたんだけど、このカフカの短文もゾルゲと原題にあって、そのゾルゲの主体は家長なのだった。ハイデガーもゾルゲについて考えていて、このゾルゲの前提はホモジーニアスな社会なんじゃないか。 https://hollo.tenjuu.net/@tenjuu99/019f950e-9943-7dea-9273-6f7df49ebe8f
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https://www.aozora.gr.jp/cards…
https://www.aozora.gr.jp/cards/001235/files/49858_41918.html カフカの「家長の心配」という短い文章、かなり惹かれるものがあって考えている。 文章はドイツ語で書いているんだとおもうけど、「オドラデク」というよくわからな言葉(たぶんカフカの造語)がスラブ語起源かどうかという語りから始まって、ドイツ語のなかに異物として「オドラデク」という響きを置くことから始めている。 語り手である「家父(Hausvaters)」は、この無用の壊れた存在である「オドラデク」について心配するけど、家父の「どこに住んでいるんだい」という質問にオドラデクは「泊まるところなんかきまってないや」と答える。 オドラデクは、社会の中に定まった位置をもたない遊民的なものに見えるけれど、それがスラブ語と結びつけられるといろいろなことを想起させるというか、「スラブ」とはslaveの語源となっているのだし、ルンペン化したなにかだとも思える。語りの始めに、語源探索をしているのは、ドイツ語に馴染まない響きとして想定されているからだろう。 カフカは、初期シオニズムに強い関心を示したようだけど、たぶんある社会内で民族的なアイデンティティは持ちつつもその社会に溶け込まない存在としてのユダヤ人という自覚があったようには思える。オドラデクは、ドイツ語圏社会内の異民族的なものの象徴であるように見える。言語的な同化を拒むもの、そこに居るが住まないものとして。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001235/files/49858_41918.html カフカの「家長の心配」という短い文章、かなり惹かれるものがあって考えている。
文章はドイツ語で書いているんだとおもうけど、「オドラデク」というよくわからな言葉(たぶんカフカの造語)がスラブ語起源かどうかという語りから始まって、ドイツ語のなかに異物として「オドラデク」という響きを置くことから始めている。 語り手である「家父(Hausvaters)」は、この無用の壊れた存在である「オドラデク」について心配するけど、家父の「どこに住んでいるんだい」という質問にオドラデクは「泊まるところなんかきまってないや」と答える。 オドラデクは、社会の中に定まった位置をもたない遊民的なものに見えるけれど、それがスラブ語と結びつけられるといろいろなことを想起させるというか、「スラブ」とはslaveの語源となっているのだし、ルンペン化したなにかだとも思える。語りの始めに、語源探索をしているのは、ドイツ語に馴染まない響きとして想定されているからだろう。 カフカは、初期シオニズムに強い関心を示したようだけど、たぶんある社会内で民族的なアイデンティティは持ちつつもその社会に溶け込まない存在としてのユダヤ人という自覚があったようには思える。オドラデクは、ドイツ語圏社会内の異民族的なものの象徴であるように見える。言語的な同化を拒むもの、そこに居るが住まないものとして。
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フランツ・カフカ Franz Kafka 原田義人訳 家長の心配 DIE SORGE DES HAUSVATERS
https://book.asahi.com/jinbun/article/13224839 轟先生、ハイデガーとナチスの一体化に疑問を呈するけど、それより関心あるのはハイデガーの思考がシオニズムに対して共感的なんじゃないかという点。ハイデガーの普遍主義批判、民族と土地の一体性の探求であればこの方向の現れとしてユダヤ人排斥運動があり、またその同じ形態の別な現れとしてシオニズムがあるとも言える。根はぜんぶ一緒なんじゃないかとおもうのだが。

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轟孝夫『ハイデガーの超‐政治』 ハイデガー後期思想のアクチュアルな意義を解き明かす|じんぶん堂
ハイデガーはなぜナチスに加担したのか? 「黒ノート」の「反ユダヤ主義的」覚書の真意は何か? ハイデガーの技術論はどのような現代的意義をもつのか? このたび明石書店から刊行した『ハイデガーの超‐政治』は、「黒ノート」を含む広範な新資料に...
https://gendai.media/articles/-/67538 ハイデガーの哲学、普遍主義の批判から民族主義的な純化を目指しているようにしか見えないけど、彼が「住む」についてこだわって考えるのも、「土地と一体化した民族」観があって、そうした観念が、土地を失った民族としてのユダヤ的なものを批判させているように見える。

gendai.media
ハイデガーの「黒いノート」に記されていた、驚きの内容とは
講談社「現代新書」は、1964年に創刊された教養新書のシリーズです。政治・社会・ビジネスから哲学・思想・芸術まで、幅広いジャンルを取り扱っています。わかりやすく、楽しく、かつ深く学べるような1冊をお届けいたします。
ハイデガーの反ユダヤ主義について知りたかったら何読めばいいんだ
「ベンヤミン」って検索しようとすると「ベンヤミン・ネタニヤフ」がでてくるの不快すぎる
https://www.aozora.gr.jp/cards/001235/files/49858_41918.html カフカの「家長の心配」という短い文章、かなり惹かれるものがあって考えている。
文章はドイツ語で書いているんだとおもうけど、「オドラデク」というよくわからな言葉(たぶんカフカの造語)がスラブ語起源かどうかという語りから始まって、ドイツ語のなかに異物として「オドラデク」という響きを置くことから始めている。 語り手である「家父(Hausvaters)」は、この無用の壊れた存在である「オドラデク」について心配するけど、家父の「どこに住んでいるんだい」という質問にオドラデクは「泊まるところなんかきまってないや」と答える。 オドラデクは、社会の中に定まった位置をもたない遊民的なものに見えるけれど、それがスラブ語と結びつけられるといろいろなことを想起させるというか、「スラブ」とはslaveの語源となっているのだし、ルンペン化したなにかだとも思える。語りの始めに、語源探索をしているのは、ドイツ語に馴染まない響きとして想定されているからだろう。 カフカは、初期シオニズムに強い関心を示したようだけど、たぶんある社会内で民族的なアイデンティティは持ちつつもその社会に溶け込まない存在としてのユダヤ人という自覚があったようには思える。オドラデクは、ドイツ語圏社会内の異民族的なものの象徴であるように見える。言語的な同化を拒むもの、そこに居るが住まないものとして。
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