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tenjuu99(天重誠二)

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読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など いろいろ雑につぶやいています SPACE NOBI というアートスペースやっています

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[展示のお知らせ] SPACE NOBI では、10月23日(木)から11月24日(月・祝)の期間、櫻井崇史「絵を見る会」を開催します。是非ご覧くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

https://space-nobi.net/exhibition/2025/appreciate_pictures

2025.10.23(木) 〜 11.24(月・祝) 月火金休

開廊時間: 水木 17:00 - 19:00 土日祝 13:00 - 19:00(最終日含む) ※ただし、10月26日はイベントのため17時閉廊

櫻井は、3D空間上にスキャンされた粘土を支持体として絵を描いています。櫻井の画面に現れる抽象的な黒い背景、3Dとしてスキャンされた粘土、描画されたイメージという関係は、通常の絵画における描画行為が、支持体を被覆するようにイメージを形成するものであるという関係性を、メタ的に言及しつつ脱臼させています。また、3D空間内での描画行為の明示によって、コンピュータグラフィクスであると同時にアナログな絵画であるという、奇妙なユーモアを生みだしています。

櫻井は、従来から自宅やオンラインなど多様な発表形態を模索しており、本展覧会においても、「絵」をめぐる制度的な問題を批判的に検討し、デジタル時代の発表形態を展開しています。

本展会期中の10月26日(日)にはトークイベント「制度、絵、デジタル」(ゲスト: gnck 有料・予約制)、11月15日(土)には、明源と櫻井崇史による図像観察ワーク「絵をさわる人をさわる--絵の内在的観察」(無料)を行ないます。

どうぞご期待ください。

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@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to 北市真's post

@KitaitiMakoto いえ、とくに答えにくいことはないです笑 深津さんはもともと寡占化・プラットフォーム化を目指すようなことをずっと言っているので、そういうところにのっかるのが好きではないという感じですね。利便性という意味では、ユーザー数をそもそも抱えているから、企業側が課金についての選択肢をとりやすいのはありますね。これが寡占化の源泉になると目算しているんだとおもいますが。こういう理屈に抵抗する手段がないかなぁとかは考えていますが、テキストへの課金はいがいと難しい気がしますね。

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@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to 北市真's post

@KitaitiMakoto いや、たいした理由はなくて、ひとつには深津さんが好きじゃないのと、note という企業をあまり信用していないのと、利用者側の安きに流れてしまっている感じとか、そういうところですね。単なるオルタナティブ志向だとおもいます(オルタナティブな選択肢が多いほうが良いとは思っています)。

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メディアが舞台を作る能力を無くしているというのは、どの業界でもおおきな傾向としてある気がする。

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50年代〜00年代くらいまでの美術メディアの傾向と、ここ10年くらい、とくにここ5年だともう決定的に変わっている。〜70年くらいまで、そもそもアーティストはメディアを挑発して批評家に書かせるようなことを意識しているから、雑誌そのものが美術が展開する舞台であったりする。で、そのあとだと、中原佑介とか椹木野衣とかが、自分でキュレーションしてデカい展示をするとかがあり、もうこうなるとライターというレベルではないんだけど、まあでも彼らは職業的なライターであり(ぜんぜんアカデミシャンですらない)、舞台を作ることに長けているという感じはある。いまはこういう動きは見当らないんだけど(カオスラウンジとかが最後くらいじゃないか)、それは才能ある書き手がいないからなのか、それとも構造的なものなのか。

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「ライター 稼げない」で検索したら工夫とチャレンジと持続力があれば稼げるというのがあって、まあそりゃそうだろうけどそういうこと?ってなった。

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サトマキ

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これ凄いいいと思った!
資本主義のトラックからも逃れられる書き手と読み手の相互扶助の仕組み。
x.com/x_Atara_303/status/19624

ライター食っていけない問題についてのアキラさんの連投
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note じゃないやつでやってほしかったな...

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関貴尚

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「蜘蛛と箒通信」というnoteのメンバーシップに参加しています! 初回は全記事無料にて公開中です。ぜひご一読いただければ。
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70年代に美術評論の活動をはじめた北澤憲昭が、こうした状況にたいして嫌気がさしており、その状況と相似形だった明治初期の制度化する美術への関心のはじまりで、そういう調査が結果的には美術史という制度に組み込まれ、まさに官僚的な動きをしていた高階秀爾に褒められてうれしい、みたいなのは皮肉ではある。批評の退潮というか、官僚化みたいな流れがある。

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いわゆる「非政治的フォーマリズム」というのもこの流れで、いってしまえば美術の官僚化とでも言える。作家が自主的スペースで発表するのではなく美術館で発表する、みたいなこと考えると、まあ迂闊・過激なことはできない。丁寧にキャリアを積んでいく必要もでてくる。70年代後半から90年代の状況がこうであってみれば、批評空間なんかはむしろこの状況への反動として現れたとも言える。

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日本の戦後美術、50年代〜70年ころまでは明確に流れがあって、めちゃくちゃ雑に言えばアクション・ペインティングの誤読(具体)にはじまって、制度批判(読売アンパン、反芸術)〜オフミュージアム的な流れ(反芸術〜もの派・美共闘)で、ここらへんまではまじで明確な流れとして理解できる。それ以降流れを見失うのは、美術館建設ラッシュがはじまって文脈関係なくデカ絵画・彫刻が登場してきたからで、新左翼運動の退潮と歩を合わせていると言っていい。

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椹木野衣の周辺だけが悪い場所なのではないか。

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読みなおそうとおもって開いているけど、悪しきポストモダンすぎて読むのがつらい。

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こういう叙述でだいたいタネが尽きているというか、わりとありがちな「日本は近代ですらない」を前提に、その欠損を畸形として描くのが椹木の手口。

"もしかすると「日本の前衛」とは、乗り越えるべき「近代」を未完に放置したまま、「近代」を乗り越えるための思いが、いわば「超近代」的な身振りとして自立してしまった、「奇妙な前衛」なのではないのか。"

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『日本・現代・美術』、むかしはたいしたこと言っているふうに聞こえていたけど、まじでたいしたこと言ってないというか、まじめな探求が一切ないな。

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美術について、同時代的なパラダイムのようなものがあると語りうるようになったのって、戦後なんじゃないかとおもう。科学哲学でパラダイム理論がでてくるのも戦後だけど。このとき、「近代」というものはひとつのまとまりとして見えているんだけど、各所を詳細化していくと、「近代」の経験が一つであるはずがなく、たとえば植民地における「近代」の経験は「近代化」と呼びうるようなものであるはずがない。

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日本の近代化というものを追いかけていけば、それがフランスの近代とはよほど異なった形をしていて、単一の「近代」というものを取り出すのは困難だとおもうのだけど、単一の「近代」があると考える論者にとって、日本の近代とはヨーロッパ近代の影でしかなく、いつも「未然の近代」とでもいうものになるんだとおもう。

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宮川の「アンフォルメル以降」を読んで、彼にとって「近代」というものはバリエーションがない単一のものだ。だからその出発点がボードレールであることは動かないし、宮川が日本美術史にあまり関心をもたなかったのもそのへんが理由だとおもう。

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宮川淳もこういう弁証法的な記述だなと思うけど、こういう弁証法っぽいものが通用するのって、それが調和のイメージをもとうと分裂のイメージをもとうと、前提となるのはある種の単一性で、それは国家とか日本とか美術とかなんでもいいんだけど、そういうものの単一性がある。それが通用する時代も、いがいと限定されているんじゃないかという気がしなくもない。

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関貴尚

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「内在批判にとって成功したといえるのは、客観的諸矛盾を欺瞞的に調和させ融和する形象というよりも、むしろ諸矛盾を純粋に、頑として、自己の最内奥の構造に刻みこむことによって、調和の理念を否定的に表現するような形象である。」

これはアドルノが「文化批判と社会」のなかで自身の方法論を語ったさいの言葉だが、戦中世代の批評家のひとつの特徴として、矛盾の解決ではなく、矛盾を矛盾としてそのまま書き出そうとすることろがある。
戦中世代は、敗戦によって言語体系の激変に直面したわけで、ゆえに言語の自明性それ自体を批評の対象にせざるをえなかった。それを批評の方法論として実践したのが、アドルノであり、日本の場合であれば、織田達郎。言説を批評の対象にしたミシェル・フーコーもそう。フーコーは、フランスがナチスドイツに敗れ占領された経験が研究の出発点になったと述べている。

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沖縄の近代・彫刻・風景──美術館コレクション展「沖縄の彫刻たち」(沖縄県立博物館・美術館)レビュー(評:勝俣涼) https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/okimu-review-202508

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多摩の光おもろそう

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今回安田靫彦の「黄瀬川陣」はポスター展示だったけど、そもそも実物が近美所蔵品で、ポスター展示だけというのは意味がわからなかった。

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安田靫彦の作品、さっきたまたまXでツイート見たけどこういうのめっちゃ展示してほしかったな

x.com/Dea_RK/status/1954674216

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人間と物質展の図録、11,000円かとおもったら110,000円じゃねぇか

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ついでに椹木野衣「日本・現代・美術」に「アンフォルメル以前」という宮川批判が載っているので読みなおしてみたところ、これはたんにムチャクチャなだけの文章だった。ていさいだけは批評っぽさを装っているだけにタチが悪い。

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まぁ俺の描いたドット絵オウムガイでも見てよ

ドット絵で描いたオオベソオウムガイ
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宮川の制度論が、具体的な国家による美術制度の形成とかまで行かなかったのが、いまだと若干中途半端な哲学的思索とうつってしまうけど、そういう具体的な制度論(北澤らによる)がでてくるまでに必要だったのは、ポストコロニアリズムだったとおもう。ポストコロニアリズムによる近代の相対化がなければ北澤のモダニズムの発生を思考する発想はたぶんなくて、宮川がそうだったように哲学的な制度論にとどまっていたとおもう。全共闘と三島が議論する内容が異常に哲学的なのを見ていると、そうなんだと思う。

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ところで、中原にせよ宮川にせよ、制度批判的な文脈と一種のアナーキズム的な感性がありつつ、批判の対象となる「制度」のなかに国家というものがほとんど見えてこないのが、びっくりする。だから「近代」も「美術における近代」みたいな論点に閉じている面があり、美術が具体的にどのように制度化されてきたかをまったく論じようとしない。このとき論じられなかった対象が北澤憲昭とか佐藤道信とかになるのだから、かなり先の話だ。

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「アンフォルメル以降」を最初に読んだのがもう何年前なのかわからないけど、論じられている内容があんまりわかっていなかった。というかアンフォルメルがそんなに重要だったというのが理解できていなかったんだけど、中原を読んで、アンフォルメル以前と以降でははっきりした切断があり、その流れが読売アンパンの中期から後期、ハイレッドセンターの美術外美術の活動を生みだしている。こういうのを単にわかっていなかったんだけど、その理由もいま振り返ってみれば2000年ころのアメリカ美術批評言説の輸入とその言説空間のなかで自分が思考していたからで、日本でアンフォルメルが切断したものをこの言説は塗り潰していたとおもう。

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