tenjuu99(天重誠二)'s avatar

tenjuu99(天重誠二)

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読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など いろいろ雑につぶやいています SPACE NOBI というアートスペースやっています

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近美所蔵だったはずと思って調べるとやはりそうなので、ポスターだけ出すのは、軍部が勝手にプロパガンダに利用しただけとして安田の責任を免除しようとする意図に見える。日本画業界はたぶんまだこういうのがまかり通ってるんじゃないかと思わされる。 https://www.momat.go.jp/collection/ji0008

momat.go.jp

黄瀬川陣 (コレクション)- 東京国立近代美術館

 源頼朝が挙兵したと聞き、弟の義経が黄瀬川陣に馳せ参じるという、『吾妻鏡』に記された一場面が描かれています。広い余白を用いた緊密な構図に よって、 視線を交わす二人の間の緊張感と、後に待ち受ける悲劇を暗示するかのような冷 […]

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近美の展示たいへんよかったが、安田靫彦の義経が頼朝に馳せ参じている絵(臣民として喜んで忠義を果たすことのアナロジーである)が、実物なしでポスターだったのは、日本画の学芸員が非協力的だったのではないかと邪推してしまう。れいによって横山大観の富士山とかはないのだ。常設には文脈説明つきで展示してあったけど。

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あー、これ「レプリカントは一人くらい黒人の見た目を採用してもよかったんじゃないか」というのは別に多様性配慮しろとかそういうことじゃないです。いや別に誤解されようといいんですが。むしろ、主題が奴隷制であるにもかかわらず、黒人表象を採用しなかったのは、かなり積極的な意図を感じてしまう、ということです。

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デザインというかリサーチ的なものが「人類学的に」なっていくのって、観察の技法を人類学から輸入しようとしているわけなのだが、なんというか当初の労働運動を発端とするHCDの目標と真逆の方向ではないかという気はする。なぜなら、労働運動としてのHCDとは、デザインの民主化そのもので、労働者が自分の手に機械をデザインする権限を持とうとするもので、人類学的「観察」というものがあくまで学術的な手法として成立している限りにおいてぜんぜん目標とするものが異なっている。

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企業のリサーチ部門とかに人類学者とかが一定入りこんでいったから、そこでリサーチの手法に対する方法論的な批判として参与観察とか人間中心主義批判とかの言説もセットで人類学から取り込んでいった、みたいなのがたぶん実態じゃないかとおもう。いやデザインはどこに?って話ではあるんだけど。

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UXなるものが鵺なのは、現在ではもう何を指しているか誰もわからないからで、UXリサーチとかに人類学とかが入りこんできてずいぶんアカデミックっぽい雰囲気をまといはじめている。人類学的なリサーチ活動となると、まさしくそのリサーチによって他者を構成してしまう。UXに人間中心主義批判っぽい言説が入ってきたのは、人類学を経由してというか、むしろ人類学者が人類学の方法論的な批判をそのままデザイン(というかリサーチ)に当てはめているという印象がある(だからインゴルドが参照されている)んだけど、デザインはどこにいったのという感じはある。

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デザインにおけるポストヒューマニズムの流れはまあわからないではないけど。一時期、欧米のデザイン界隈はけっこうリベラルっぽい勢力が主流だったようではあり、たぶん環境問題にたいしてデザイナーが敏感だったのが言論状況に影響を与えていたっぽい。南米とかだと話はまた別で、あっちはガチの左翼運動とデザインとかが繋がっているようす。

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用語としての「人間中心設計(Human-Centered Design)」の登場は1980年代で、源流がふたつほどあり、一つはイギリスでの労働運動起源のものと、もうひとつはアメリカの認知科学。前者は、まじでマルクス主義的な主題で、機械や資本が労働を疎外するので労働者の主体性を取り戻すぞっていうので機械のほうこそ人間に合わせようというもの。後者はAppleがとりこんでいってUXって呼ばれるようになった鵺みたいなやつ。いずれにせよ機械中心にたいする人間中心なんだけど、言うほど人間中心のデザインが成立していないのはそのとおりすぎる。

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ブレードランナーの描いている世界観、あからさまな階級社会で、白人が中心で、科学者みたいなアジア人はでてこない、「眼を作っているだけ」と怯えながら喋っていたのは中国人じゃないかとおもうのだが、彼はデザイナーを名乗っていない。彼より上位にJFセバスチャンという白人が遺伝子デザイナーを名乗っている。ようするにこのアジア人は下請け。で、さらに外地があって、外地での労働を担うのがレプリカント。こういうのが、ほぼ階級として表現されているのだけど、この社会に黒人がいないのがすごい。また、レプリカントが外地(宇宙)での労働を担わされているのはわかるが、外地にはネイティブがいるのかどうかも不明。映画の視点は、ほぼ白人の視点から描かれていて、黒人の表象が排除されている。

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net

ブレードランナー、宇宙に帝国主義的に拡張してその奴隷労働としてレプリカントを使うみたいな話で、表象としてはやたらアジアへの謎オリエンタリズムが目立つんだけど、むしろ特徴なのは黒人の表象が消し去られているということなんじゃないか。カリフォルニアがアジア移民がはいってきても、黒人がいないなんてことはありえないし、主題からすればレプリカントは一人くらい黒人の見た目を採用してもよかったんじゃないかとおもう。たぶん、「われわれ」と「見た目が変わらない」という条件を優先した結果、映画内に黒人の居場所がなくなってしまっているっぽい気はする。白人にたいする外部としてアジア系のイメージが使われ、黒人がでてきてしまうと白人社会にとって外部なのか内部なのかよくわからなくなる。

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会社デカくするのには従業員がたくさん必要でした、会社デカくなったら従業員がいらなくなりました、それで退職勧告するの辛いよ〜辞めてくれる人優しくてよかった〜とか舐めてんのか

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"昨今の差別的な言動は、単なる無知や悪意の表れではない(その点を左派は過小評価している)。それはしばしば、社会構造の中で理不尽にも不利な立場に置かれた人が、自らの苦しみや怒りを可視化するための「回路」として機能している"
"一方、差別に反対する側が示す「道徳的な余裕」には、失うものの少なさに由来する無自覚な鈍感さがにじむため、その語りは相手を逆撫でする"
"..だから、差別を「悪」として排除するだけでは全然足りない"
note.com/toba_torakitsune/n/n7

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あなたはきっと今日も差別をしました|鳥羽和久

昨今の差別的な言動は、単なる無知や悪意の表れではない(その点を左派は過小評価している)。それはしばしば、社会構造の中で理不尽にも不利な立場に置かれた人が、自らの苦しみや怒りを可視化するための「回路」として機能している。トランプや参政党のようなポピュリスト政治家たちは、この回路を直感的に理解し、あえて差別的な言説を用いることで、鬱積した感情の風通しをよくしている。人々は彼らを通じて不満を正論として語り直す機会を得るが、その過程でわかりやすい敵を与えられ、怒りは排除の快楽へと変換されていく。それは一見、解放のように見えて、じつは感情の回路を囲い込み、政治的支配へと変える巧妙な戦略である。