「私へ座礁する」でした

tenjuu99(天重誠二)
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読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など いろいろ雑につぶやいています SPACE NOBI というアートスペースやっています
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在日四世の眼差しから、断絶や境界を問い、生と死の記憶を描く。鄭梨愛 「私へ座礁する」(朝鮮大学校 美術棟)レポート https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/chong-ri-ae-report-202507

tokyoartbeat.com
在日四世の眼差しから、断絶や境界を問い、生と死の記憶を描く。鄭梨愛 「私へ座礁する」(朝鮮大学校 美術棟)レポート
会期は6月27日〜7月16日。「在日朝鮮人四世」というバックグラウンドを持つアーティスト、鄭梨愛による絵画、映像、インスタレーション作品が展示されている
鄭梨愛さんの「私へ座礁する」。曾祖父を巡る物語で、在日朝鮮人4世としての個人史が現在の中心的な主題となっている。日本に暮らした祖父が韓国の地に行って兄弟たちと再会し、父母(鄭の曾祖父母)の墓を作ろうというような話をする。その父母は、会場に吊るされていた布に摺られたテキストによれば、1945〜47年ころ、韓国の(?)警察によって射殺されている。鄭の祖父はその場面を見たらしいが、兄弟は見ていない。祖父の帰韓のようすを撮影したのは鄭の母で、母が撮った素材をもとに鄭梨愛が編集している。 鄭が、この展示に「座礁」という言葉を使ったのは、母が撮影した祖父の姿や、祖父の父を殺された記憶など、どこにも行きようがない断片が、浜辺に「座礁している」というイメージなのだろう。鄭が個人史を語るにあたって、「私」に対して「向こうから来るもの」というイメージをもっていることが印象的だった。
展示に語られる祖父の物語では、曾祖父は「警察」によって殺されたらしいのだが、この「警察」というものが、1945の戦後から47年のあいだであるらしく、会場にある情報からは「警察」とはどこの警察なのかわからなかった。戦争終結後であれば、日本軍ではない。会場で案内してくれた朝鮮大の人に伺ってみたが、その人もわからなかった。いま調べてみると、1945〜47年というのはおそらく連合国統治下にあたり、当時韓国の領土内で警察権力をもっていたのは米軍ということになるのだろうか。こうした説明性の欠如も、「座礁」のイメージを補強するものになっていて、そこに何かはあるのだが、その来歴がじつはよくわからない。この途切れたものを紡ぎなおすことが、鄭のこころみであると感じられる。祖父の帰韓の姿は鄭の母によって撮影され、途切れた物語として浜辺に座礁する。それを拾いあげ、もう一度語りなおすこと。
チームみらいが推せないのは、思考した形跡がみあたらないからであってほかの理由はない
@miyarisayu 会期はあと3日ですが、校内は関係者以外立ち入り禁止のため、完全予約制です。
TABに展覧会レポートが出ています。
https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/chong-ri-ae-report-202507?fbclid=PAQ0xDSwLUlahleHRuA2FlbQIxMQABp6C9S-iXaf45LTJcd22xNDhIK_16q9YyjLgsA_pnJ1cjWYyRsKftQxPUNcvc_aem_qxP7hG9Q3W4wWx3hJ4FrgA#google_vignette

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在日四世の眼差しから、断絶や境界を問い、生と死の記憶を描く。鄭梨愛 「私へ座礁する」(朝鮮大学校 美術棟)レポート
会期は6月27日〜7月16日。「在日朝鮮人四世」というバックグラウンドを持つアーティスト、鄭梨愛による絵画、映像、インスタレーション作品が展示されている
朝鮮大学校美術科で開催中の鄭梨愛 「私へ座礁する」展に行ってきました。
2015年の映像作品から、長生炭鉱を主題にした近作まで見ることができる。
2015年の《ある所のある時におけるある一人の話と語り聞かせ》は、鄭さんのターニングポイントとなった作品で、お祖父様がお墓参りのためにはじめて渡韓した際のビデオを編集してつくられている。お祖父様がきょうだいたちに囲まれて嬉しそうにしながらも、言葉や重ねてきた時間や立場によって、引き裂かれつづけている様が、繋ぎあわされている。見ることができてよかった。
ヤブイヌ通信、本当にかわいい。関東近郊の人は、横浜のズーラシアにヤブイヌを見に行くといいよ!
www.hama-midorinokyokai.or.jp/zoo/zoorasia...
ヤブイヌ通信 帰りたいパパマルと、帰したくないカノン
hama-midorinokyokai.or.jp
ヤブイヌ通信 帰りたいパパマルと、帰したくないカノン
展示場側から獣舎を覗いているのは... 手前:パパマル 奥:眉間にシワが.....
スミッソンとラトゥール
"このサイト/ノンサイトという概念は、ラトゥールが言う、科学に於ける論文=「可動の不変物」(immutable mobiles)という定式と明らかに呼応している。ラトゥールは科学を、計算の中心としてのラボから出発し、情報を収集してラボに持ち帰るという円環的な運動と表現している(Latour 1987)。こうして集められた情報は、論文という形で拡散し、共有される。サイト/ノンサイトという概念をこの図式と重ね合わせて見ると、サイトはそうした情報の場所であり、ノンサイトは、論文同様、どこにでも移動可能で、展示可能であるモノを示す。ある意味、この計算の中心をふくむネットワークと同様、芸術作品もこうしたサイト/ノンサイトの円環的なネットワーク全体によって構成されるのである。これがスミッソンが言いたかったことであろう。その意味ではスミッソン自身、こうした科学実験を一つのモデルとし、自分の芸術観を新たに再構築した人物なのである。" p.247
#読書 #メモ
第1章2節、実験がおこなわれる場として「ラボラトリー」に加えて「シアター」と「ワークショップ」があり……という話になって、面白い。「ワークショップ」はもちろん「工房」の意味だけれど、教育分野で(演劇や建築というか都市計画などでも)使われる「ワークショップ」という言葉が持つ「共同的な創発性」みたいな含意が、実はラボにおける実験にも言えるのだ、というのは、STSを経由するとそこつながるんだ…… と門外漢にはかなり面白い(pp.23-24)。 [参照]
fedibird.com
投稿の参照(1件) by imdkm (@imdkm@fedibird.com)
これ読みはじめたけど第一章の序盤からすでに面白くて買ったの正解だったなとなっている 福島真人『「実験」とは何か 科学・社会・芸術から考える』 東京大学出版会 https://www.utp.or.jp/book/b10087847.html
そういえばトランプ登場で英語の radical left が「極左」と訳されることを知ったのですが、暴力革命の実践的活動に従事しているわけでもない人間を「極左」呼ばわりするというのは言葉の乱用というか不当なラベリング、意味の縮減であるという思いを禁じ得ません、老人としては。
選挙公報確認してたんだけど、こんな世の中で人権関連に触れてる人と政党少なすぎん?(自動的に投票先決まる…)
自分はめちゃくちゃ漫然と山登ってるけど、知識あるほうがだんぜん楽しそうだ。
あと、著者の山・環境の読み方が考古学的考証みたいでおもしろい。たとえば島に高山でもないのに飛び地的に残っている高山植物群から、氷河期時代の陸続きの頃には(現代の)高山植物が広がっていたことを想定し、氷河期の終わりとともに海が広がり孤島化したがゆえに高山植物群がそのままのこったとする推測など、読み方がすごく立体的でおもしろい。
「山の自然学」おもしろい。当たり前のことなんだけど、自然は人間から自律したシステムで生きていて、その仕組みは長い年月をかけて形成されている。人間化している山もあるけど、やっぱり基本的には人間にとっての他者なんだなとおもう。
アーティゾンでやっている「彼女たちのアボリジナル・アート」かなり良かった。
東京選挙区で参政党からでている候補、誰?という感じで、まったく実体がわからないのに当選しそうな勢いなの意味がわからない
参政党とか自民党はそもそも回答が少ない。回答しているのをわざわざ見にいってみると、まあやっぱり異質である。
アムネスティインターナショナルの #選挙は人権で考える 特設サイト。議員への「全候補者人権意識調査アンケート」もある。 https://amnesty-jpn.org
柳田國男とか読んで、人間中心主義に対する一定の制約として怪談的なものがあったということは考えた。意味不明な怪異は、人間が自然のリソースを過剰に消費することへの警告としてあったように見える、というか柳田はそう言おうとしたんじゃないかと読める。
本筋からはズレるけど、そもそも「生態学的自然観(生物多様性を重視する自然観)」とされているものについても、保全生態学(本文中では単に「生態学」としているけど、生態学自体は価値中立のはず)の主流的立場としてそもそも生物多様性の重要性の根拠として生態系の人類にもたらす利益(生態系サービス)が前提に置かれているらしい以上は、人間中心主義というのは元々それはそうなのだよな

japan-wolf.org
Q&A | 日本オオカミ協会
オオカミに対する偏見を正し、誤解を解くために!オオカミ復活についての疑問に答える最新Q&Aオオカミのいない日本の生態系(=国土)は、シカの増えすぎによって荒廃し続け、このままでは私たちに深刻な災害をもたらすことでしょう。シカの過剰採食によって、森林を含む植生が消失し、あちらこちらで裸地化が進み、貴重な土壌が流失し、山地の崩壊すら発生しています。同時に、多くの野生生物が住処や食べ物を奪われて絶滅に追い込まれ、生物多様性が低下しています。深刻な農林業被害や交通事
これ当然「猫飼いたい」やと思ってたけど、猫に何らかの規範性を見出している人が「猫解体」を訴えている可能性もあるし、「猫か遺体」という謎の二択や、「猫・貝・鯛」という謎の三択の可能性もあるのか
山いくとシカは毎回見るし、雲取山でもシカによる食害で貴重植物が危機的だという話は書いてあった。それで数年前まではなかった柵が一部の場所に設けられていたのだけど、そのときは焼け石に水っぽいなとはおもった。
生態系へのオオカミの導入、人間中心主義とはどういうことかについて考えさせられておもしろかった。 https://japan-wolf.org/faq/

japan-wolf.org
Q&A | 日本オオカミ協会
オオカミに対する偏見を正し、誤解を解くために!オオカミ復活についての疑問に答える最新Q&Aオオカミのいない日本の生態系(=国土)は、シカの増えすぎによって荒廃し続け、このままでは私たちに深刻な災害をもたらすことでしょう。シカの過剰採食によって、森林を含む植生が消失し、あちらこちらで裸地化が進み、貴重な土壌が流失し、山地の崩壊すら発生しています。同時に、多くの野生生物が住処や食べ物を奪われて絶滅に追い込まれ、生物多様性が低下しています。深刻な農林業被害や交通事
奥宮(本来の聖域)に詣るのが大変なので、町に近い方に聖域の代替物として一宮みたいなものがあるんだから、ドデカ鳥居は本来的に人間の場所だと思う。
自分は、ドデカ鳥居での一礼が信仰心の発露であることを疑っている。マナー講師的なマナーでしかないと思っている。


国際ニュース - CNN.co.jp

