@tenjuu99@hollo.tenjuu.net

バルトの「作者の死」って、テクストは永続化され、読者も持続的に存在している。マクルーハンと比較すれば、マクルーハンはむしろ「テクストの死(=読者の死)」みたいなことを考えていたはずで、彼がテクストに代わって現代のメディアの中心的なモードになると考えていたのが口話・音声とかかとおもう。テレビで喋る芸人みたいな。こういうのは、発話者の身体にべったりくっついていて、作品/テクスト未満的な存在としてある(度合いによるけど)。美術での映像の利用とか、わりとこのへん考慮しておいたほうがよい気もしている。テクスト論的な読解態度も一つのモードであるというか。

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美術批評、または美術史の役割は、作品を「テクスト」として措定して読解可能なものに変換することだとも言える。批評家は、作家やギャラリーなどとの利害関係について距離を取るというより、読者としての自律性をまずは確保しようとする。

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バルトの「作者の死」って、テクストは永続化され、読者も持続的に存在している。マクルーハンと比較すれば、マクルーハンはむしろ「テクストの死(=読者の死)」みたいなことを考えていたはずで、彼がテクストに代わって現代のメディアの中心的なモードになると考えていたのが口話・音声とかかとおもう。テレビで喋る芸人みたいな。こういうのは、発話者の身体にべったりくっついていて、作品/テクスト未満的な存在としてある(度合いによるけど)。美術での映像の利用とか、わりとこのへん考慮しておいたほうがよい気もしている。テクスト論的な読解態度も一つのモードであるというか。