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熊本博之『辺野古入門』読了。 https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480074768/ 20年にわたって辺野古のフィールドワークをしてきた著者の本。辺野古近辺の活動家や、生活している人たちの声、基地移設容認派に投票する人から反対する人まで丁寧に声を綴っている。わたしのような本土の人たちはまじで読んでほしい。必ず知っておいたほうがよい問題だとおもう。 単純に基地を容認・反対と割り切ってよい問題とは言いづらく、それよりも、国策によって振り回される地方自治の問題という印象はつよく持った。2014年名護市長選挙は基地容認派と反対派の争いだったが(反対派が勝利)、その告示日に、当時自民党幹事長だった石破は「基地の場所は政府が決めるものだ」と述べている。

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「おわりに」から、印象的だった箇所。

"「他人(ひと)のシマで勝手なことしないほうがいいよ」 名護でこう言われてから、もう二〇年が過ぎた。このときはまだ何もつくられていなかった辺野古の海には、護岸がつくられ、埋め立てが進み、平島も長島も見えなくなった。 なぜ辺野古の海は埋め立てられ、新たな基地が建設されようとしているのか。 辺野古が条件つきで建設を容認しているからではないことは、ここまで読んでくれた方はわかってくれているだろう。辺野古には、普天間代替施設/辺野古新基地の建設の是非を決める決定権がない。それは名護市にも、沖縄県にもない。 それなのに、辺野古が普天間基地の移設候補地になった一九九六年からずっと、建設に賛成なのか、それとも反対なのか、問われ続けている。つまり辺野古区民も、名護市民も、沖縄県民も、「決定権なき決定者」なのである。 「決定権なき決定者」という概念を説明するためには、社会学者ニクラス・ルーマンのリスク論から説明しなければならなくなるため(詳しく知りたい方は拙著『交差する辺野古』の第九章をお読みいただきたい)、ここでは簡単に、「あることについて賛成したときにしか決定を認めてもらえないのに、賛否を示すよう迫られている人(たち)」と定義しておこう。 このような状況に置かれ続けると、人は、賛否を問われること自体から距離を置くようになる。いくら反対の意思を示しても認めてもらえず、賛成したときだけ決定したとみなされるのであれば、賛否を答えることに意味がなくなるからだ。"