文学読まなくなって久しいけど、昔太宰治にめちゃくちゃハマっていて、最近考えなおしてみたら、太宰の主題って今考えるとあきらかに家父長制で、「恋をする女性」が主人公だったのが、反家父長制の象徴的なモチーフとしてだったんだなと考えていた。 「人間は恋と革命のために生れて来たのだ」って斜陽で主人公に言わせているのも、内面化された家父長制を打ち砕くために、女性が恋をして私生児を産む、みたいな仕掛けになっている。「家」から解放される手段としての「恋」があった。 太宰がどこかで漱石の悪口を言っていたんだけど、漱石だと結婚の前段に恋があるが、男性が「結婚」という枠組みに回収されて恋は抑圧される。そこで抑圧されたものが「こころ」とかで告白されるけど、そこで懊悩するのも男性だし、なにより「家」はほぼ否定されていない。家父長制はそのまま踏襲されていて、男性はそこで悩むかもしれないが、「こころ」でも妻の内面は語られることがない。「こころ」の妻が家父長制の付属物みたいなものでしかないことを、漱石が否定しているようには思えない。 太宰が女性の恋を主題化して、恋と革命とを結びつけようとしていたのが、昔はおおげさなと思っていたけど、いま整理すれば家父長制と女性というのがモチーフだから、おおげさな話ではないなと思う。
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山の中の集落、岩座神(いさりがみ)に住む1956年生れの面倒くさい爺さん。
プログラミングと社内PC環境の保守を糊口の資としてきたが、引退してゆるゆると野良仕事三昧中。
てんせき a.k.a.みんないいこ。@minna_iiko@fedibird.com
「ここにある一切は、小説の一登場人物によって語られているものと見なされるべきである。」―「彼自身によるロラン・バルト」扉表紙
映画「007 / 果報は寝て待て」のモデル。