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tenjuu99(天重誠二)

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net

展覧会のキュレーションの手法として、ある作家を制作時期に沿って配列していって、読解可能な物語が成立していることがしばしばあるけど、それは当然無垢に配列していったらそうなるということではぜんぜんなく、未来から先取りして物語として再構成しているからそうなる。書いてしまえば言うまでもないことだけど、この物語化のなかでかなりの情報が捨てられることになり、かつ編年体的構成によって真実性のようなものが増す。物語性のある編年体構成は、自身の取捨選択という手口そのものを隠し、そこから「何が捨てられたか」を忘れさせてしまう。

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これは、2023年のマティス展のことを想起しながら書いている。あの展示では、マティスの造形的発展が物語化され、マティスの旅行も戦争もないが如くだった。マティスの旅行はアルジェリアやモロッコ、タヒチなどで、だいたいフランス植民地である。彼が光を求めてこうした国に行ったのも、ゴーギャンという先例があり、脱西洋的な文脈意識でやっているわけだけど、こうした文脈はすべて切り捨てられる。