tenjuu99(天重誠二)'s avatar
tenjuu99(天重誠二)

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to nagutabby's post

@nagutabby 返信が遅れましたが、疑問の前提としているのはいわゆる義務論で、カントの立場です。カント的には、道徳的な対象は意志をもった存在(としての人間)で、その人間を目的として扱う必要がある(手段として扱ってはならない)ということがいろんな理屈の基礎にあります。これは現代で言う人権と近いんですが、他方で動物や植物とかはこの義務の対象にならず、いってしまえば手段として扱うことができる。 https://hollo.tenjuu.net/@tenjuu99/0198734c-ca46-7e97-8208-49af2ee7de60

カント哲学の前提にあるのは、あきらかに、行為主体性を持った存在者に自由意志を仮定し、自由意志があるがゆえに行為の責任を問うことができる、という構造で、この自由意志の存在を人間にのみ認めた。法学を知っているわけではないですが、これはおそらく近代社会における法律の基礎になっているとおもいます。

ただ、このカント学説が生みだす歪みはあきらかにあって、それが自由意志を持たないとされる存在者たちのことが考えられていないということになります。これが問題であると自分が考えているのは、現代の環境問題などを背景としているわけですが、それは自然や環境というのは自由意志を持たないと考えられ、法的な身分を与えられなかった、というより、道具と見做された。日本ではかつては山は御神体であったわけですが、それももはや利用可能な環境として採掘の対象となった。その結果は現在見るとおりのことになっていますが、自分の考えでは、カント哲学をどう修正していくかがかなりキーになっていると考えています。「他の動物を殺していいのか」という問いは、これらに関連して、問題を採掘し、再構築していくためのキーとなる問いになってくると思います(単純に「動物を殺してはならない」とは考えていません)。

tenjuu99(天重誠二)'s avatar
tenjuu99(天重誠二)

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)'s post

カントの倫理説、犬を殺しても問題にならないというか「べし」の範囲内になかった気がする(「犬を殺してはならない」という命題がカント倫理説になかった気がする)ただ、人の振る舞いとしてよろしくないから犬を殺さないほうがいい(たぶん徳倫理とかになる)。犬の権利は?みたいなのが議論の対象から外れつづけている気がする。

nagutabby's avatar
nagutabby

@nagutabby@mastodon.social · Reply to tenjuu99(天重誠二)'s post

@tenjuu99 これを指摘すると本来の議論から外れるかもしれないけど、カントがいた時代と今とでは個人の価値観に影響するものの1つである科学的根拠が異なるから、脱構築のような手法で二項対立を解消してから考え直した方がいいと思う