tenjuu99(天重誠二)'s avatar
tenjuu99(天重誠二)

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net

マティスが硲伊之助に「どの国も自分の美を持っており最後はそれが勝つのです。日本の絵画の美はあなたにみずみずしい感性をよみがえらせ、別れたばかりのフランス絵画の美と同様、楽しい仕事をあなたにもたらすに違いありません」と手紙で書いているやつ、国=民族=人種の一体化が無自覚な前提になっていると疑っている。マティスがオリエンタリズムの画家だったのは偶然ではなくて、彼にフランス画家だという自覚があり、こういってよければ「人種的無意識」のようなものがあり、他者表象を弄するのはそういう無意識だとしか思えない。国に固有の美など近代ナショナリズムの幻想にすぎないけど(おそらく源流はロマン主義)、こういう物言いを日本の美術史家は見逃しつづけてきたどころか、たとえばピカソについて「カタルーニャ地方の血が云々」と書いてはばからない(この記述を見たのはだいぶ前で正確なことはわからないけどたぶん1970年代に書かれた文章だとおもう)。

とか思っていたら水声社から「女性・戦争・植民地 1919-1939 両大戦間期フランスの表象」という本がでており、大久保恭子さんの「アンリ・マティスとプリミティヴィスムの変容」という論考があるらしい。水声社かぁ...とおもったけど読まねばならぬ。 http://www.suiseisha.net/blog/?p=20790

tenjuu99(天重誠二)'s avatar
tenjuu99(天重誠二)

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)'s post

というか日本の美術史を規定しつづけてきた強力な力は戦前・戦後を通じておそらくロマン主義なんだよな。一国の美術史を構築しようとする努力はまさにロマン主義的パースペクティブなのだし。そしてそれがようやく崩れてきたのが日本におけるニューアートヒストリー的なやつで「眼の神殿」とか佐藤道信とかがこのロマン主義に冷や水をかける。この人たちの著述がでてくるまで、美術史において「日本」という概念はある実在的な役割を与えられていて、その実在性が構築されたものだと暴露したのが北澤や佐藤の仕事だったと受けとってよい。