threads で「個展をすべき理由」みたいな投稿が流れてきて、それが貸画廊前提の話で、年1回個展をやるとして一週間20万円でやる理由はなにか、みたいな話しだった(あらためて探しても見つからない)。いまも貸し画廊はあるんだけど、自分が浪人していた20年くらい前だとまだ銀座の貸し画廊で展示する人はけっこういたとおもう。いまはアーティスト志望の人の意識は変わっていて、コマーシャルギャラリーがキャリアの中心になってきた。まあほとんど成立していないとおもうけど...。 threads の投稿を読んで、世代の差を感じながら悶々と「個展」というものについて考えていたけど、この記事を読むと、貸画廊での「個展」というのは70年代から80年代くらいの時期にはけっこう重要な文化で、美術制度の「外」で自由な表現活動をするための場だと認知されていたのはなるほどというか。そういう意味は現在ではもうかなり薄れている。 https://murrari.hatenablog.com/entry/20140622/1403423969

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田村画廊ノート(後) - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術
【承前】 六〇年安保で一身上にも様々なことがあり、その後遺症や虚脱感から何とか人並みの生活感覚を得るまで十年の歳月が過ぎ去っていた。朝鮮動乱の特需景気を受け、日本の経済は繁栄に向かっていたし、世情は六四年の東京オリンピックを前後して随分と賑わっていた。が、あの革命前夜を思わせるほど、積極的な行動を示した多くの若者達は、余程目ざとく時代の趨勢を読みとる者でない限り鬱屈した青春の日々を送っていた。(略) 七〇年前夜 「夜なきそばの屋台を引こうや」 哲学書を積んだ下宿屋で、わが仲間達は、毎日そんな相談に耽っていた。実際に、臨時雇いのガードマン、産休先生の代用教員、製薬会社の牛の薬の翻訳、画廊の俄かマ…