@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)

あと、展覧会があると、わたしはお客さんにめっちゃ説明するんだけど、こういう鑑賞体験も、読書というモデルとはかなり隔たりがある。展示って、時間が限定されていること(テンポラリーであること)と、作者やギャラリーオーナー・他の鑑賞者と空間を共有しつつおしゃべりする場であるという性格があり、人と話していると誤解を含めて連想でいろいろ展開する。そしてほとんどの場合に断片しか伝わることはないが、その断片は脳内で再構成され、その人独自のビジョンが構築されている。

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ギャラリーでの展覧会、そもそもおおくの一般鑑賞者からすると入りづらいもので、人間関係の親密性などを基礎にできあがっているように見えるし事実そうだとおもう。こういうのも、バルトがイメージしていたであろうようなテクストの公開性とは大きな隔たりがある。ギャラリーでの展示は、半-日記/半-作品のような性格があるかもしれない。いや日記ではないんだけど、このテンポラリーな時空間から「作品」と呼ばれる何かを取り外すことができない、とはギャラリーをやっていると常々感じる。そういう意味では、テクストは文脈から取り外すことができるし、「作品」と呼ばれるものもそういうものだ。