@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to 関貴尚

@seki_takanao それはそのとおりで、そこに異論は全くないんだけど、「批評家を自認するのであれば」というところが強調ポイントで、批評家として関貴尚が、クラウスという批評家と作家のすれ違いの事例を引いて、批評家の発言を擁護する、という形に(意図してか意図せずか)なっているということに、もっと注意したほうがいいとおもう、ということが、言いたかったことです。 批評家の場合、批評的語り自体がある程度権威的に見えてしまうということは、書き手としては意識しておいたほうが良いのではないか。ここで、クラウスの語りを肯定してシャーマンの語りを無視しても構わないという形に、結果的になっているというのは、外形的に見れば、二つのナラティブがあって批評家のナラティブを優先しているように見えるわけだけど、それがクラウスみたいな固有名とセットででてくると権威主義に見えちゃうから、注意するに越したことないよ。

自分の考えでは、これ(批評家の語りを作家の語りより優先すること)は肯定されるべきだが、もっとおおくの留保が必要という意見です。

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@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)

@seki_takanao 留保の内容はさっき書いたとおり、論そのものが公論として開かれた状態にあるか、もしくは私的言語として閉じた状態にあるかのどちらかとして、性格を明らかにしておくことだと思う。 ただ、「これは私の意見だけど」と前置きをして、つまり私的言語であるかのように前置きをして、ハラスメント的な物言いが起きる場合もあるので、このへんもふくめて言語のありかたを管理しておく必要があるんじゃないか、ということです。バルトの作業はそこがかなり丁寧に見えるから例として出した。