@seki_takanao 自分は野良で考えているだけでブックリストわからなかったので、AIに聞いてみた。
まず、このジャンルについて、2系統あり、つまり「メディアが変わったから知識人が落ちた」派と、「知識人層のほうが先に落ちたから、メディアはそれを追認しただけ」派のどちらもある。わたしの見解は後者であるが、どちらもレコメンドしてくれた。以下はAIのレコメンド文も添えておきます。
- 竹内洋『教養主義の没落——変わりゆくエリート学生文化』(中公新書, 2003)
これが「インテリ層の失墜」側の本命です。旧制高校を発祥地として、その後半世紀にわたって日本の大学に君臨した教養主義が、1970年前後までキャンパスの規範文化であり、そこから没落していく過程を追った本。教育社会学者の本なので、「教養があった/なくなった」という嘆きではなく、教養主義を担っていた学生・読書人という社会階層がどういう条件で成り立ち、どう条件が崩れたかを扱っています。あなたの言う「階級としてのインテリの凋落」にほぼそのまま対応します。しかも没落の起点を70年前後に置いているので、SNSどころか90年代の雑誌黄金期よりさらに前です。 同じ著者の『革新幻想の戦後史』『メディアと知識人——清水幾太郎の覇権と忘却』はもっと分厚い版だと思ってください。まず新書のほうを。
- 大澤聡『批評メディア論——戦前期日本の論壇と文壇』(岩波書店, 2015/『定本 批評メディア論』として岩波現代文庫にも)
こちらはメディア形式側から。論壇時評・文芸時評・座談会・人物批評・匿名批評といったフォーマットが、どう成立して定着したかを解析した本で、第3章がまるごと「座談会論」です。 この本の要点は、座談会も特集も「昔からあった自然な議論の場」ではなく、1930年前後の出版産業の条件のなかで発明された商品形式だ、というところ。つまりフォーマットのほうも歴史的な産物なので、それを復活させれば議論が戻るわけではない、という話になります。あなたが「論壇誌を作っても効果がないはず」と言ったことの、実証的な裏づけになると思います。 竹内が「担い手の階層」、大澤が「入れ物の形式」を扱っていて、この2冊がちょうど噛み合います。
関くんの関心は後者があうかも。
ほかのおすすめも以下
- 北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』(NHKブックス, 2005)
小林よしのりと2ちゃんねるを同じ流れのなかで論じた本です。60〜70年代のアイロニー(真面目さを嗤う態度)が、80年代の消費社会を経て、90年代の「インテリを嗤う」構図に転化していく——という筋を立てています。SNS以前に、すでに「批判に応答しない」主体のかたちが用意されていた、という論点が取り出せるはずです。あなたが挙げた「漫画家によるインテリ批判」の構図を、それ単体の事件ではなく系譜として扱っている点で有用です。
- Russell Jacoby, The Last Intellectuals (1987)
アメリカで公共的知識人が消えたのは、彼らが大学に吸収されて制度内職業人になったからだ、という議論。メディアのせいにしない構造論なので、あなたの主張の英語版とも言えます。邦訳は見つかりませんでした。
- フリッツ・K・リンガー『読書人の没落——世紀末から第三帝国までのドイツ知識人』(西村稔訳, 名古屋大学出版会, 1991)
機械と大衆の登場によって文化的危機に見舞われた世紀末ドイツの学者=読書人層が、混乱と対立を経てナチズムにからめとられていく過程を追った思想史。竹内洋の下敷きになっている本で、「知識人がひとつの社会階層として権威を失う」という現象の古典的なモデルケースです。高いし古いので図書館向きですが、友人が「詳しく知りたい」なら本命はここかもしれません。