@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to 関貴尚
@seki_takanao 技術的構造に主体が作りなおされるという話になると技術決定論的な観念になってしまうので、慎重な話が必要だとおもう。自分がさっきの投稿で言いたかったことは、たとえばSNSをやめてそういう雑誌(論壇誌)を作ったとしても効果がないはず、ということ。技術を変えても、それに従って議論が生じるということはない(そのような主体が形成されるわけではない)、ということです。朝まで生テレビはいまは録画1時間番組になっているらしいけど、それはもう社会のほうが変わっているからそうなっている。 「SNSが主体を作りなおした」ということは言えなくはないが、雑誌・マスメディアの凋落はそれが全盛期だった90年代にはすでに始まっていて(90年代は雑誌黄金期)、その象徴が「新しい歴史教科書を考える会」。これは、「歴史教科書」という大文字のメディアを疑う運動だが、そのなかに小林よしのりがいて、漫画家によるインテリ批判という構図で、メディアの失墜を狙っている。これはSNS登場よりはるかに昔のことで、この頃からメディアの失墜ははじまっていて、その理由は階級としてのインテリの凋落というほうが適切だと思う。雑誌の凋落はメディアの変遷というよりインテリが社会におよぼす能力の低下と見たほうが筋が通る。インテリをひとつの社会階層だと考えるなら、このとき起きているのは広くみて社会階層の変化というもので、これがメディア技術の変容にともなって起きたのではなく、社会変化のほうが先行しているというのが自分の見解。技術・メディアの形式変化は、あとから登場し、この流れを追認したもの。