@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)

記事内容で、自分が意味わからないなとおもったのは、硯友社が「同人誌」であることはそのとおりであるけど、「同人」というのは結社のメンバーのことで、同人誌はその社が発行する雑誌という以外の意味はないとおもう。 硯友社の時代に、「まず仲間内で手作りし、反応を得ながら正式な刊行物へ成長するという歩み」と言っても「正式な刊行物」なんてものが存在しなくないか。 そのあとの明星や白樺の話も「当時の同人誌が必ずしも商業出版の対立物ではなかった」というのは定義から自明であるとしか言えないけど、「明星」が「自主制作の練習場である」とはどういうことなのか。 これ、本人のパースペクティブが、現代の「同人誌」的ニュアンス(商業誌と対比的な意味での「同人誌」)を持ち込んでいるから、歴史理解が歪んでいるというだけで、AIがおかしいわけではない。

1 reply

@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)

自分の整理がヌルかったのがあとでわかったけど、「結社」という概念をとるなら、結社には同人と会員の階層区分があり、当時の雑誌区分には「結社誌」と「同人誌」が明確に区分される。結社誌はたぶん編者が同人で投稿者が会員、同人誌は投稿者も同人、ということらしい。この区分で言えば、明星は結社誌で、同人誌ではない。

一般に「編集者=執筆者」が同人誌であり、記事で言おうとしている「商業誌」とは編集者と執筆者が分業的になっている雑誌のことだと整理できる。結社誌も形態的には後者であるけど、性格は異なっている。記事ではこういう整理がおこなわれていないから、「編集者=執筆者」という体制で重要な共産主義運動とか見逃しているし、地方誌の整理も同じで編者と記者が別れている地方誌もあれば同一のものもあり、編者と記者が別れている地方誌はただの地方誌であって同人誌ではない。