@tenjuu99@hollo.tenjuu.net
claudeに聞いたらグランジの階級的な読みは英語圏ではまあまあスタンダードな解釈ではあるらしい。claudeが参考文献上げてくれたけど、わたしが不案内すぎる。ハルシネーションの有無は知らない。
学術的な解釈としては、いくつかの系譜があります。もっとも直接的なのはRyan MooreのSells Like Teen Spirit: Music, Youth Culture, and Social Crisis(2010)で、グランジやパンクを、脱工業化とレーガン以降の経済再編で「親の世代より豊かになれない」ことが確定した白人中間層の子どもたち——つまり下方移動(downward mobility)する中産階級——の文化的応答として読みます。ご指摘の「落ちこぼれ」感覚を階級論的に定式化したものと言えます。もう一つの系譜は白人性と男性性の研究で、Fred PfeilのWhite Guys(1995)はグランジを、ヘゲモニックな白人男性性が自己嫌悪や脆弱さの演技を通じて再編される場面として分析しますし、Matthew BannisterのWhite Boys, White Noise: Masculinities and 1980s Indie Guitar Rock(2006)はインディ・ロック全体の「白さ」——黒人音楽的な身体性やファンクからの距離の取り方として構築されるカノン——を論じていて、Nirvanaもその延長で読めます。ちょうどヒップホップが商業的に台頭する同時期に、グランジが「白人の疎外」の表現枠として機能したという指摘もこの文脈でよく出ます。