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以前展示してくれたルイス・デヴィッドソンの作品から care と compartmentalization(区画化) について考えていて、どちらもルイスが言っていた言葉なんだけど、 compartmentalization はゴミがみつからない、みたいな経験に根差している。それぞれの区画にゴミが収まるみたいな。

ただ、これがケアとの関係で言いはじめると、区画化というものが、ケアの境界を明確にするものだと考えはじめている。ある区画内のモノ・人間はその区画の住人にはケアの対象になるが、その区画の外のモノ・人はケアの対象にならない。ゴミを捨てるとは、それ自体がそのモノをケアの対象から外して区画の外に追いやることである。

こういうの考えてみると、ある種の同族的なものがケアの対象であり、「compartmentalization 区画化」とここで呼ぶものは、排外主義というのはまさにこういうことだなとを考えていた。「いやなら国に帰れ」という言い方は compartment の外部に追い出して、ケアの対象としないということでもある。compartmentalization と care はセットで権力作用であるとも言える。

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care ってフェミニズムの方面からでてきている印象あるけど、個人的にはハイデガーをとっかかりに考えていて、とはいえハイデガーに限界があり、彼はこの種の compartment と care の関係は肯定的に見て、「無関心」という care の様態はネガティブに見ている。このへんがハイデガーであるなとおもうんだけど、こういう観念に網野善彦の「無縁」とかを対比的に考えると、「無関心」というモードはむしろポジティブなものとしても把握できるなと。それは無縁/公界が compartment ではないからである。