tenjuu99(天重誠二)
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もとの「アンチ・アクション」論考でも、前半パートの日本人男性批評家への読解は秀逸で、後半の作家論も詳しく良くできているのだが、前後半であきらかな乖離がある。今回のアンチ・アクション展は本の後半部分を拡張しているわけだけど、これはただの美術史であって、フェミニズム美術史ではないし、企画者たちもそのように見られたがっている。
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もとの「アンチ・アクション」論考でも、前半パートの日本人男性批評家への読解は秀逸で、後半の作家論も詳しく良くできているのだが、前後半であきらかな乖離がある。今回のアンチ・アクション展は本の後半部分を拡張しているわけだけど、これはただの美術史であって、フェミニズム美術史ではないし、企画者たちもそのように見られたがっている。
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図録収録の成相さんの論考は、中嶋のもとの論考の前半部分の理論的なパートをより広げて考察・解釈するもので、花田清輝が婦人雑誌に書いた論考についての考察をしているが、おもしろかった。 さいきん、太宰とか安吾とかが戦後に家庭道徳みたいなものを批判していることについて考えていたけど、花田もそういうのを書いているらしく、こういう論点がわりと気になっている。 https://hollo.tenjuu.net/@tenjuu99/019b5613-81a3-7e70-981c-9d68d1d3491f
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文学読まなくなって久しいけど、昔太宰治にめちゃくちゃハマっていて、最近考えなおしてみたら、太宰の主題って今考えるとあきらかに家父長制で、「恋をする女性」が主人公だったのが、反家父長制の象徴的なモチーフとしてだったんだなと考えていた。 「人間は恋と革命のために生れて来たのだ」って斜陽で主人公に言わせているのも、内面化された家父長制を打ち砕くために、女性が恋をして私生児を産む、みたいな仕掛けになっている。「家」から解放される手段としての「恋」があった。 太宰がどこかで漱石の悪口を言っていたんだけど、漱石だと結婚の前段に恋があるが、男性が「結婚」という枠組みに回収されて恋は抑圧される。そこで抑圧されたものが「こころ」とかで告白されるけど、そこで懊悩するのも男性だし、なにより「家」はほぼ否定されていない。家父長制はそのまま踏襲されていて、男性はそこで悩むかもしれないが、「こころ」でも妻の内面は語られることがない。「こころ」の妻が家父長制の付属物みたいなものでしかないことを、漱石が否定しているようには思えない。 太宰が女性の恋を主題化して、恋と革命とを結びつけようとしていたのが、昔はおおげさなと思っていたけど、いま整理すれば家父長制と女性というのがモチーフだから、おおげさな話ではないなと思う。