
tenjuu99(天重誠二)
@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)'s post
福岡伸一、エセ科学だと批判されるより、正面から思想として批判されるべきなんだろうけど、たぶんそういうのは誰も読まない。「エセ科学」としての批判ってそもそも射程が狭いし科学者の権威性を増すだけになる。
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福岡伸一、エセ科学だと批判されるより、正面から思想として批判されるべきなんだろうけど、たぶんそういうのは誰も読まない。「エセ科学」としての批判ってそもそも射程が狭いし科学者の権威性を増すだけになる。
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この人の書いた本、note に全文公開されているから読んでみている。 https://note.com/masakadokawata/n/n13ee5e649f7c
今西説は批判されてもいいとおもうけど、この人はあんまり理解しないで批判しているとは思う。今西が言っている「種」って具体的な社会集団みたいなものだから、ふつうにあるでしょというか、超越的な「種」を持ち出しているわけではない。アリを個体で生命体として捉えるのではなく群体でひとつの生命なのではないか、みたいなことを言っていて、アリが共同社会を構築しているのは間違いなく、そういう共同生活単位を今西は「種社会」と呼んでいるのでしょう。
記事では次のように言うけど、
"今西理論が示唆するように種自体が個体の行動や変化を規制するためには、種という存在の主体的な判断や情報を個体に伝達するか、あるいは、個体は常に自分の属する「種」を知っていて、個体の中にある「種に自分を捧げるための指令」に規制されて行動するというような機構がなければならない。しかし、種の主体的判断ということ自体、現実の生物で思い浮かべるには無理があるし、まして、種の判断を種に属する個体すべてに伝える機構や個体のふるまいを規制する「指令」の存在は、論理的に不可能である。"
いや「指令」なんてふつうにあるでしょ。人間でも集団のための行動はあり、それはコミュニケーションによっておこなわれている。アリがなんらかの集団的活動をしているのが個体の振る舞いが結果的にそういう「社会」のように「見える」振る舞いになっている、というはずがなく、具体的なコミュニケーションによって社会秩序が構築・維持されているはずで、むしろそう考える以外どうやって考えればいいのか?