tenjuu99(天重誠二)
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宮川淳の全体を把握できるかはともかくとして、中原佑介の「コラージュふうな戦後美術の歩み 一九五六〜六七」を読んでから宮川の「アンフォルメル以降」を読むと、状況がかなり掴める https://dl.ndl.go.jp/pid/2516718/1/117
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宮川淳の全体を把握できるかはともかくとして、中原佑介の「コラージュふうな戦後美術の歩み 一九五六〜六七」を読んでから宮川の「アンフォルメル以降」を読むと、状況がかなり掴める https://dl.ndl.go.jp/pid/2516718/1/117
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先日三島対全共闘のこの箇所見直していて、宮川とか中原読んでおもったけど、全共闘も三島もおそらく宮川とか中原とかのこのへんの論争読んでいるとおもう。 https://hollo.tenjuu.net/@tenjuu99/0198ecea-e7cb-79f8-bfb9-e3c90b251798
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https://youtu.be/Ynt2dWQytZg?feature=shared 机がその本来の機能を剥がされバリケードとして利用されるには、まず机が事物として扱われて機能が剥がされることが必要で、それが可能になるのは諸君が生産諸関係から疎外されているからではないかという三島の喝破、あきらかに同時期のアメリカでのヒッピームーブメントと呼応している指摘だな。革命の主体は従来の理屈では労働者という生産関係に埋め込まれた存在だけど、この時期には別な主体の可能性が模索されている、といえばまあ聞こえはいいが、革命の主体としての理論的根拠はたぶん作れない。