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1944年9月の「美術」という雑誌に掲載されている座談会、陸軍報道部から二人、美術史家、ほかは美術評論家が9人、司会は山脇巌という面子なのだが、時局からするとそうとう呑気な話をしているのと、陸軍報道部の秋山という中佐が時局的な美術とかもいいんだけど、敗走のなかでも静かな表現を生みだせるのは日本の芸術の良さなのではないか、みたいなことを言っていて、驚くほどリベラルな考えを吐露している。リベラルすぎて評論家たちがもっと戦争画をやろうと言う始末ですごい。陸軍にいて敗北必至とすでに内情がわかっているから、せめて芸術性のたかい表現が生まれてほしいというのがあったのかもしれない。

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この44年の座談会について、中村義一「美術史の空白と暗黒」(『続日本近代美術論争史』)でも触れられている。

"また先の座談会(注:44年のではなく41年の座談会、41年の座談会はかなりすごい)の強圧的な物言いとはまったく調子の異なる軍部の態度がうかがえるのだが、それは「軍の美術、画壇に対するお考えが穏健すぎるのに驚いて居ります」と出席者の美術史家谷信一に言わせているほどで、始めは戦争に美術など無用の長物と考えていた軍部の認識を、戦争画による戦意昂揚の実際的効果が、大いに改めさせたということのようだ。もっと気になるのは評論家らの姿勢である。(...)柳亮が、この座談会中でも戦争画の効果を上げるために〈芸術の作戦本部〉をつくることを定言しているのは、驚くには当たらぬとしても、戦争美術研究会を軍の肝煎りでこしらえることを提案したり、美術にこれほど深いご理解があることを美術家に知らせたい、知ったなら画家も奮い立つであろうと、と真剣に話し合っていた評論家らが、戦後のこの国の美術の繁栄に大きな役割りを果たした新しい国立の美術館の責任者となった人たちだったことは、やはり気にしないわけにはいかない。"