
tenjuu99(天重誠二)
@tenjuu99@hollo.tenjuu.net
近代フランスのアカデミズム美術のなかで歴史画はオリエンタリズムに展開していったとおもうんだけど、このへんの経緯あんまりわかってないな。自己の表象から他者の表象になる、みたいなことが言えたりするの?
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近代フランスのアカデミズム美術のなかで歴史画はオリエンタリズムに展開していったとおもうんだけど、このへんの経緯あんまりわかってないな。自己の表象から他者の表象になる、みたいなことが言えたりするの?
@tenjuu99@hollo.tenjuu.net · Reply to tenjuu99(天重誠二)'s post
日本の場合、1900年ころに歴史画が盛んになって、それからまたしばらくして昭和にはいって歴史画をまたやることになる、もちろん時局的な意味で。1900年ころ(明治30年代)はナショナリズムの勃興期として歴史画が要請されたけど、それからはナショナリズムだけでなくてアジアの盟主としての日本みたいな自己意識でオリエンタリズム的な視線がでてくる(他文化の庇護者的な自己意識)。日本画がとくにこういうパースペクティブで動いているとおもうのだけど、洋画がまたこれとは異なった原理で動いているように思う。これがフランスのアカデミズムと前衛の二重化と対応しているかまでは断言はむずかしいとしても、構造的には似ているようには思う。