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鄭梨愛さんの「私へ座礁する」。曾祖父を巡る物語で、在日朝鮮人4世としての個人史が現在の中心的な主題となっている。日本に暮らした祖父が韓国の地に行って兄弟たちと再会し、父母(鄭の曾祖父母)の墓を作ろうというような話をする。その父母は、会場に吊るされていた布に摺られたテキストによれば、1945〜47年ころ、韓国の(?)警察によって射殺されている。鄭の祖父はその場面を見たらしいが、兄弟は見ていない。祖父の帰韓のようすを撮影したのは鄭の母で、母が撮った素材をもとに鄭梨愛が編集している。 鄭が、この展示に「座礁」という言葉を使ったのは、母が撮影した祖父の姿や、祖父の父を殺された記憶など、どこにも行きようがない断片が、浜辺に「座礁している」というイメージなのだろう。鄭が個人史を語るにあたって、「私」に対して「向こうから来るもの」というイメージをもっていることが印象的だった。

展示に語られる祖父の物語では、曾祖父は「警察」によって殺されたらしいのだが、この「警察」というものが、1945の戦後から47年のあいだであるらしく、会場にある情報からは「警察」とはどこの警察なのかわからなかった。戦争終結後であれば、日本軍ではない。会場で案内してくれた朝鮮大の人に伺ってみたが、その人もわからなかった。いま調べてみると、1945〜47年というのはおそらく連合国統治下にあたり、当時韓国の領土内で警察権力をもっていたのは米軍ということになるのだろうか。こうした説明性の欠如も、「座礁」のイメージを補強するものになっていて、そこに何かはあるのだが、その来歴がじつはよくわからない。この途切れたものを紡ぎなおすことが、鄭のこころみであると感じられる。祖父の帰韓の姿は鄭の母によって撮影され、途切れた物語として浜辺に座礁する。それを拾いあげ、もう一度語りなおすこと。

鄭梨愛「私に座礁する」展の風景。半透明な布が6枚吊り下げられており、それぞれに文章や写真が印刷されている。奥の壁には、映像が投影されている。
ALT text details鄭梨愛「私に座礁する」展の風景。半透明な布が6枚吊り下げられており、それぞれに文章や写真が印刷されている。奥の壁には、映像が投影されている。
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「私へ座礁する」でした

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在日四世の眼差しから、断絶や境界を問い、生と死の記憶を描く。鄭梨愛 「私へ座礁する」(朝鮮大学校 美術棟)レポート https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/chong-ri-ae-report-202507

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たぶんこの事件関連っぽい。 https://ja.wikipedia.org/wiki/大邱10月事件

"大邱10月事件(テグじゅうがつじけん)とは、1946年10月1日にアメリカ軍占領下の南朝鮮慶尚北道大邱でアメリカ軍の軍政に抗議した市民を南朝鮮警察が銃殺したことに端を発し、南朝鮮全土で230万人が蜂起し[1]、136名が犠牲となった事件。"

作中で鄭さんのお祖父さんが「警察」と呼んでいたものも、こうしたものであるように思える。

"事態を収拾するために、アメリカ軍や南朝鮮防衛隊や警察、右翼団体が投入され、136名の犠牲者が出ることになった。"