tenjuu99(天重誠二)
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鄭梨愛さんの「私へ座礁する」。曾祖父を巡る物語で、在日朝鮮人4世としての個人史が現在の中心的な主題となっている。日本に暮らした祖父が韓国の地に行って兄弟たちと再会し、父母(鄭の曾祖父母)の墓を作ろうというような話をする。その父母は、会場に吊るされていた布に摺られたテキストによれば、1945〜47年ころ、韓国の(?)警察によって射殺されている。鄭の祖父はその場面を見たらしいが、兄弟は見ていない。祖父の帰韓のようすを撮影したのは鄭の母で、母が撮った素材をもとに鄭梨愛が編集している。 鄭が、この展示に「座礁」という言葉を使ったのは、母が撮影した祖父の姿や、祖父の父を殺された記憶など、どこにも行きようがない断片が、浜辺に「座礁している」というイメージなのだろう。鄭が個人史を語るにあたって、「私」に対して「向こうから来るもの」というイメージをもっていることが印象的だった。
展示に語られる祖父の物語では、曾祖父は「警察」によって殺されたらしいのだが、この「警察」というものが、1945の戦後から47年のあいだであるらしく、会場にある情報からは「警察」とはどこの警察なのかわからなかった。戦争終結後であれば、日本軍ではない。会場で案内してくれた朝鮮大の人に伺ってみたが、その人もわからなかった。いま調べてみると、1945〜47年というのはおそらく連合国統治下にあたり、当時韓国の領土内で警察権力をもっていたのは米軍ということになるのだろうか。こうした説明性の欠如も、「座礁」のイメージを補強するものになっていて、そこに何かはあるのだが、その来歴がじつはよくわからない。この途切れたものを紡ぎなおすことが、鄭のこころみであると感じられる。祖父の帰韓の姿は鄭の母によって撮影され、途切れた物語として浜辺に座礁する。それを拾いあげ、もう一度語りなおすこと。