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tenjuu99(天重誠二)

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この話、解釈学的循環のことだけど、本人が言ってたっけな。それはともかくいろんな意味でパノフスキーはハイデガーとかとの近さを感じる。 https://fedibird.com/@seki_takanao/114263333720618924

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関貴尚

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「「素朴な」観賞者と美術史家の違いは、後者が自分の置かれた状況を自覚しているというところにある。彼は自分の文化的素養が、それ自体では他の国や他の時代の人々の素養と調和しないものだということを「知って」いる。 だから彼は、出来る限り彼の研究している対象が生まれてきた環境について学び、そうすることによって調整を図ろうとする。彼は、展色材、状態、年代、作者、制作目的等々といった事実に関する手に入る限りの知識を蒐集し、確認するばかりでなく、当の作品を他の同種の作品と比較し、その地方と時代に特有な美意識の基準を反映しているような著作を検討して、作品の性格に対するより「客観的」な評価に達しようとするだろう。 その主題を確定するためには、古い神学や神話の本を読むことだろうし、さらには作品の歴史的位置を決定し、作者が独自に寄与したものと、その先行者ないし、同時代人の寄与とを識別しようとするだろう。〜

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あと、「人文学の実践としての美術史」という概念じたい、ブルクハルト的なものとしての美術史を継承するぞみたいな語りをしているわけで(これも本人が言っていたのかどうか思いだせない)、こういうのも現代から見るとやっぱりまあ別様に読みたくなる。